見出し画像

吉田秀和さんへの手紙

森の奥から聞こえてくる声と歌  
 
奇跡の番組
土曜日の夜、闇も深くなり、生活の喧騒も遠く去っていくとき、NHKのFMにチャンネルをあわせると、まるで森の奥に聳え立っている一本の木立から放たれるように、「名曲の楽しみ、吉田秀和」という声が流れてくる。なにもかも数値といったもので決まっていく時代にあって、これは奇跡というものに属することだった。吉田秀和さんは一九一三年の生まれだから、今年九十四歳である。九十四歳の人がラジオの定時番組を持っているなど、今日ではありえない奇跡に属する出来事であろう。土曜の夜である。しかも九時という時間帯(再放送が火曜日の午前十時から)に組まれている。FM放送といえどもゴールデンアワーのなかのゴールデンアワーである。民間放送ならば絶対に成り立たない、いや、公共放送だって常軌を踏みはずした番組編成である。

名曲の楽しみといっても、だれもが知っている耳になじんだクラシック音楽が流れてくるわけではない。いまこの番組で取り上げられているのは、リヒャルト・シュトラウスである。シュトラウスが世に残した作品のほとんどが、彼の失敗作といったものまで含めて何週にもわたって放送されていく。よほどのクラシック愛好者でなければ、ちょっと近づけない番組である。
しかしこの番組は、ただのクラシック音楽の番組ではないのだ。この番組がオン・エアされるとき、この英語の表現のごとく、吉田さんの言葉と音楽が、この日本の空に広がりわたっていく。それはあたかも森の木立が光合成によって、いっせいに清新な酸素を大気に放出するさまに似ている。汚れた大気をふり払う生命とよみがえりの声である。日本の退廃をせき止める声であり、疲労と衰弱で疲弊していく大地の中に流し込む声と音楽の雨である。日本人の大多数は、こんな番組が存在していることさえ知らない。
 
森の奥に立つ叡智の樹
吉田さんにだって好みがあるはずであり、何百人といる作曲家のなかでもいまこの番組で取り上げているシュトラウスは、吉田さんの好みの上位に入る作曲家ではないのだろうか。このリヒャルト・シュトラウスは、指揮者にとって特別の意味をもつ存在であるらしい。というのはこのシュトラウスをいかに指揮(ふる)かによって、大指揮者としての道を歩むのか、それとも並の指揮者で終わるのかというふるいにかけられる。大指揮者たちはいずれもこのシュトラウスを、新生の輝き、新生の音楽にして颯爽と楽壇にデビューしていったと、まあ、こんなことはみんな吉田さんから教えられたことだが。

かつてどの村にも叡智をもった老人がいて、その老人はその村を覆うばかりの葉をつけた一本の巨木にたとえられた。子供や若者はその巨木を見上げながら育ち、大人たちはいつもその巨木に問いかけながら生きてきた。歴史の木である。文化を伝承する木であり、魂を新しい世代に引き渡す木である。その巨木に村は見守られていたのだ。しかし今日ではこのような木は壊滅してしまった。いまや知恵と歴史と魂をたたえた巨木は、町はもちろん、どんな村を訪ねても立っていない。

歴史を知りたかったらインターネットで検索すればいいのだ。あふれるばかりの情報がコンピータースクリーンに映し出されていく。文化を伝承するとか、魂を引き継ぐなどといったことは余計なことである。古い文化などいまの時代には使いものにならない。旧時代の魂など受け継いでどうするのだ。村の中心に聳え立つその木は、開発や発展を阻害する老害とよぶべきものであり、新しい世代が登場するには邪魔な木であり、こんなものは一刻もはやく切り倒すべきだというわけだ。
 
老人とは棺桶に片足を突っ込んだ人であり、やがてこの地上から灰と煙となって消え去る人である。どんなに大きな仕事をなした人も、どれだけ深い知識をもった人でも、老人とはもはやそれだけの存在であるから、あとは棺桶に両足を突っ込む日にむかって、社会の片隅で、周囲に迷惑をかけず、ひっそりと生きよという時代なのだ。時代は激しく進化していく。それは流行とか時流などといったものではなく、社会のシステムや本質がその根底から一変していく進化である。このような激しい進化の時代に、老人はただ消え去るのみであり、それがこの進化の時代における老人の役割である。

FM放送「名曲の楽しみ」とは、こういう時代に反旗を翻す番組ということになる。いや、そう書くよりも、冒頭で書いたように、その木立につけた葉をふるわせて、この地上を覆う汚染された大気を浄化せんと懸命に光合成をしている番組だと。この番組は音楽を語る番組であり、クラシック音楽が流される番組である。しかし私たちは吉田さんの毎週語られる言葉の背後に、あるいは吉田さんが選曲した音楽の背後に、光合成をなした新生の酸素が大気に漂ってくるのを感じるのだ。時代は澱み、幼稚になり、退化していく。だからこそ生命のかぎりをつくして、この汚れた大気を浄化せんと光合成しなければならないという気配を。

戦慄のセザンヌ物語
吉田さんは音楽評論家だと紹介されるが、この評論家という肩書きは、小林秀雄が登場してから曲者になった。「実朝と公暁」という歴史小説を書くとき、さまざまな文献にあたったが、それらあまたある類書のなかで、小林秀雄の「実朝」が群を抜いて突き刺さってきた。さすがに実朝と彼が生きた時代を鋭くとらえていて舌を巻く思いだった。小林秀雄のなした仕事は大きく、とうてい評論家などという範疇でとらえることできず、むしろ言葉という大木を打ち立てた言葉の人と呼ぶべきであろう。吉田さんもまた音楽評論家などではなく、日本語という大木を打ち立てた言葉の人なのだ。

吉田さんは音楽だけではなく、絵画を探求することにも大きなエネルギーを傾注してきたが、その思索と創造が結実したのが「セザンヌ物語」であった。なぜセザンヌに魅かれるのか、なぜセザンヌには堅牢で、犯しがたい気品があるのか、なぜセザンヌは傾いている絵を描いたのか。なぜ遠近法に反逆するような絵を描いていったのか。なぜ今にもリンゴが転がり落ちるような絵を描いたのか。なぜ丸太を転がしたような肉体の群像を描いていったのか。それでいてセザンヌの絵は壮麗というより、むしろ荘厳な音響を響かせるのはなぜか。なぜ彼の絵は近代絵画に新しい道を開くことになったのか。それら数多の謎を追求していく、戦慄のドラマである。

私はこの作品を、ひと夏かけて精読したことがある。吉田さんがそれこそ半生をかけて思索し、格闘し、創造していった物語である。読者にも深い思索をもとめていて、いくら謎を追及する物語だからといって、推理小説を読むようなわけにはいかない。毎日、三ページ四ページといった速度で読むというより仕方のない物語である。そんな精読を続けていると、不思議なことが起こっていった。それは吉田さんが刻み込んでいく言葉によって、セザンヌの一点一点がありありと見えていくのだ。それは驚くべきことである。絵画とは絵である。絵を描くから絵画になるのである。言葉をいくら積み重ねたって絵画にはならない。しかし吉田さんは、言葉によって絵画を描くという奇跡を行っていたのである。私はそのことにはじめて気づいた。
 
絵画を言葉で描くことに苦闘した人
例えば、小林秀雄もまた絵画に深く傾倒していて、「ゴッホの手紙」や、セザンヌからピカソまで俎上にのせた「近代絵画」という大きな作品を残している。「セザンヌ物語」を読み、吉田さんの到達した技法というものにふれたとき、この小林秀雄の描いたもう一つの「画家たちの物語」がよく見えるようになった。小林秀雄の手法というのは、ちょうど外科医が肉体を切り開いていくように、よく尖れた鋭利な言葉というメスで、画家たちを切り開いていくのである。その執刀は、はっと息を飲むばかりに鮮やかである。彼のメスはさらに深く、画家たちの肉体と精神の内奥を切り開いていく。私たちはその裁き方に呆然とするばかりだ。しかし、この外科医は、そこで突然、執刀を打ち切り、手術台の前から立ち去ってしまうのだ。ぱっくりと切り開かれた画家たちを目の前にした私たちは、その場に呆然と立ち尽くすばかりなのだ。それが小林秀雄の物語だった。だから小林秀雄の物語からは、絵が見えてこない。
 
しかし吉田さんの物語はちがう。吉田さんの「セザンヌ物語」は、セザンヌの絵一点一点が見えてくるのだ。どうしてこういうことがおこるかというと、吉田さんはまず文字というものを後方に押しやる。文字とは画家が残した手記とか書簡とか、あるいは美術歴史学者や美術評論家たちの研究書といったものである。絵とはその一枚の画布に描かれたその絵がすべてなのだ。画家はその絵の中にすべてをたくしている。数多の謎も、すべてその中に織り込まれているのであって、だからこそ吉田さんは、まず一枚一枚の絵を見ることからはじめていく。

しかし謎を追求していくには、言葉が必要だった。言葉という道具がなければ、その謎の核心に下りていくことなどできない。そのとき吉田さんはどうしたのか。一枚一枚の絵を、言葉で描くということをはじめていったのだ。そんなことができるのだろうか。絵とは言葉にならぬものではないのか。絵と言葉とは次元がちがうものではないのか。しかし吉田さんは、その次元のちがうことに踏み込んでいったのだ。セザンヌが突き立てる数多の謎に踏み込んでいくには、そうする以外にないからである。

その文章から音楽が聞こえてくる
それは吉田さんが、音楽を描くときに体得した手法だった。吉田さんは言葉によって、音楽を描くという奇跡を成し遂げた人だった。言葉によって音楽を描く?  言葉と音楽とは、まったく別次元のものではないのか。解説書を書くのではない。言葉によって音楽を創造していくのだ。しかしそんなことができるのだろうか。あのバッハやベートーヴェンやブラームスやマーラーの壮大なシンフォニーを、言葉によって創造するとはどういうことなのか。そんな大曲でなくても、おびただしい数の弦楽四重奏やヴァイオリン・ソナタやピアノ曲もあるが、そんな一曲一曲を言葉によって創造できるのだろうか。この不可能なことを、吉田さんは成し遂げた人だった。例えば、次のような一文である。

それにしても《魔笛》とはまた何たる音楽だろう! この音楽をきいて、胸を打たれない人は、音楽を必要としない人だ。こんなに美しくて、しかも冷たい水が歯にしみるように胸に沁みてくる音楽はほかにない。タミーノの恋心、パミーナの悲しみ、夜の女王の誇り高き怒り、パパゲーノの嘆きと有頂天、ザラストロのくそまじめな説教とモノスタトスの黒い欲望。三人の侍女と三人の童子の、奇妙に無量感に脱した呼びかけ──この中の、そうして、これ以外のすべての一つ一つが、何の作為もなしに、透明な矢のように私たちの胸にまっすぐに走ってくる。

この音楽は、私にはほとんど涙なしにはきき終えられないものだが、さてその涙は悲しみから生まれたのか、それとも喜びからのものかときかれても、わかったためしがない。こういう芸術が、こういう世界があるのを知るのが、私にとって、うれしいからか、それがあるからこそ悲しいのか。とにかく、《魔笛》の浄らかな響き、金色に映える歌の数々の美しさというものは、数あるモーツァルトの傑作の中でも、また、無類のものである。

しかも、一方からいえば、こういうすべてが、(こんな難しいことをドレミファソラシドだけで言わなければならないなんて、音楽家とは何たる職業だろう)といったドビュッシーではないけれど、ドレミファソラシドだけで書かれていることは奇蹟でしかないようなものだが、別の見方からいえば、ドレミフアだけで書かれていればこそ、この音楽は、同時に、こんなに透明で、しかも哀切極まりない音を立てるのである。

ヴァイオリンの上のひとつの音。ソプラノのひとくさり。フリュートのひとふかし。それこそ音楽のアルファでありオメガであり、同時に人生の哀歓の極みである。音楽とは、もともとが種も仕掛けもないドレミファに、魂を吹き込む仕事にほかならないのだということを、《魔笛》ほど純粋な形で、私たちに伝えているものはない。(一枚のレコード)

音楽を聴くのは耳である。しかしおそらく吉田さんは、音楽を耳で聴くと同時に、言葉というもので聴いているのではないのだろうか。言葉によっていかに音楽を表現していくか、そのことと格闘してきた人なのだ。その長く厳しい戦いによって、とうとう音楽を言葉によって描くということに成功した人なのだ。吉田さんは言葉の作曲家だった。だから、吉田さんの文章を読むとき、その文章から音楽が聴こえてくるのである。

 
その文章から絵が見えてくる
音楽を言葉によって、表現することに苦闘してきた吉田さんにとって、絵画という領域に踏み込むことは、容易なことかもしれなかった。音楽と絵画は異次元のものとはいえ、芸術という同じ土壌の上にある。芸術という魂は互いに通底しているのだ。しかしそれはやはりまるでちがうものだった。絵は音楽の言葉では描けない。絵を描くには、まったくちがった言葉が必要だった。

吉田さんは、まず一枚一枚の絵と正対していく。今度は耳ではなく、眼である。見ることなのだ。その絵の形姿、輪郭、色彩、濃淡、筆のタッチ、その絵が放つイメージ、情感の波、精神の律動を。そのとき吉田さんは、あの手法、音楽を言葉によって描くという手法を、ここでも試みるのだ。すなわち、絵を言葉によって描くのである。大曲から小曲まで、おびただしい音楽を言葉によって描いていったように、ここでもまた、セザンヌの絵を一点一点、言葉によって描いていったのである。そうしなければ、セザンヌが突き立ててくる数多の謎を、追跡することができないからである。セザンヌが放つその謎の核心に迫るために、言葉によって一点一点、絵を描いていかねばならなかった。吉田さんは、ここでもその奇跡を成し遂げた人なのだ。
 
 吉田さんが言葉によってどのような絵を描いたのか。一点だけ紹介してみよう。セザンヌ物語に描かれたどの絵でもいいのだが、ここではマッケという画家の一枚を取り上げてみる。

マッケの絵は、最初にみたときから、私は気に入った。私はその絵を──といっても、雑誌にあった印刷の複製だったが──机のそばの壁にピンでとめ、おりにふれ眺めた。眺めるのが楽しみだった。眺めていると楽しかった。絵は書きもの机に向かっている一人の女性を描いたものだった。机は絵の左側にあり、右側には椅子とその輪郭の黒い線がある。椅子に坐って、絵の中央からやや左よりの空間を大きく占めながら、ひとりの女性の横向きの姿がある。彼女はあさく椅子に腰をおろし、その腰を軸として、逆の「く」の字型をなしている。つまり上半身も、下半身も、腰のところで、左のほうに向かって、ほぼ対称に曲がっている。楽な姿勢というか。

彼女の腰は、ほぼ正確に、絵の中心に位置している。上半身には、もちろん、頭部がついていて、それは頸筋のところから、背中の線より、もう一段前に曲がっている。彼女の机に向かって、何かを書いているのである。彼女の前傾した上半身と平行して、その奥に、もうひとつ椅子がある。背に大きな円型のもたれのついた椅子である。両側に肘かけがある。要するに、深くてゆったりとよりかかれる椅子である。椅子はばら色で、背もたれの中央には、白い布が、これも花のように、四方に円みをおびてひろがっている。
壁には暖かい椅子の後ろに黄色。それを受けて、書きもの机もオレンジ色。女性のかけている椅子のほうは、今みた、もたれ椅子のばら色と机のオレンジ色との中間の色。つまりオレンジがかかったばら色。以上の暖かい、柔らかな色にかこまれて、左側面を見せている女性の衣装だけが、濃い青で、そこに黒い線が走っている。彼女の横顔はばら色がかったオレンジだが、その先についた頭は黒い髪でたっぷり覆われている。

そうして、青い着物でゆったりと大きく包みこまれた彼女の脚と、腰かけ椅子との間にみえる床の敷物には、ばら色とオレンジ色を主調として、そこに青の厚ぼったい線で、枡形の模様が織られている。あと、絵の右側には淡い青、緑、灰色といったものも全くなくはないのだが、絵の色調を決定しているのは、あくまでも、以上の三つの色である。

いかにも暖かく柔らかい全体の中で、それに囲まれ、ただひとつ、黒の線を交えた濃く暗い青の人物の像がある。しかし、その人物は若い女性である。それも、かなり肉付きの豊かな女性である。服も上から下までゆったりとした形なので、青といっても、少しも寒い色には感じられない。むしろ、これがあるために、甘くて安易なものに陥りやすい全体の雰囲気、ひとつの精神的なもののトーンが与えられているというべきだろう。

しかしなんといってもあたりは柔らかな官能的なものが支配しているから、この女性像のとのコントラストから生まれるのは豊かな安らかさである。あるいは安らかさと調和である。横顔をみせて──といっても、顔にはなんの線を描きこまれていない。それは肉色のふくらみをしているだけである。わずかに髪の下で耳の輪郭がみえるが──坐っている女性は、きっと手紙でも書いているのだろうが、激しい言葉、暗い言葉は彼女の手から生まれるはずがない。

そういえば、書きおとしていた。この絵の全体にわたり、線はあっても、きつい厳しい線は一本もない。線も、色も同じく、ヴォリュームになっている。私が、こうして、はじめてその絵をみた画家は、アウグスト・マッケという名をもっていた。絵は彼が一九〇九年に描いたもので、《書きもの机に向かうエリザベート》という題だそうである。(アウグスト・マッケの絵)

 四つの最後の歌
かつて小宮山量平さんと「草の葉」で『千曲川』の仕事をはじめたとき、私は小宮山さんに、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」のCDをお送りしたことがある。この歌を歌うことが、ソプラノ歌手の永遠の憧れなのか、名だたる歌手の盤があるが、そのとき私が選んだのはルチア・ポップであった。その盤でなければならなかった。

というのは、ルチア・ポップは一九九三年、五十四歳という若さで病のため他界するのだが、その盤は、彼女がこの地上から立ち去る半年前に、病をおして吹き込んだ歌なのだ。そんなことを解説で読んで知ったせいなのか、なにかそのCDには彼女自身の白鳥の歌といった気配が漂っているように私には思え、そして、その気配に強いインスピレーションを得て、私は短編小説を書き上げたことがある。そんなことがあって、その盤を選んだのだが、しかし私が小宮山さんにその歌をお贈りしたのは、もっと深い理由があった。

「四つの最後の歌」は、R・シュトラウスの八十三歳のときの作品である。まさに彼の生涯の最後の時期にくる作品なのだが、この四つの歌は、なにかシュトラウス芸術の精華を思わせるばかりの見事な曲なのだ。迫りくる死の影を濃厚に縫いこめているのだが、木洩れ日がきらきらと、森の奥に降り注ぐような黄金の旋律が奏でられる。三番目の「眠りにつくとき」の中で奏でられるヴァイオリンのソロなどは、これは天上の音楽にちがいないと思わせるばかりに美しい。そして最後の歌「夕映え」は、これが死なのか、とつぶやき、二羽のヒバリ(夫婦である)が、闇のなかに手をとりあって消えていく様子が、二本のフルートで奏でられる。そのさえずりが、闇のなかに消えていくとき、私たちは、私たちの人生を思わずにはいられない。

私が感嘆するのは、これほどの曲が八十三歳の時にうまれたということだった。人間は八十三歳になって、かくも生命力あふれた創造をなしえるのだ。私が小宮山さんに「四つの最後の歌」をお贈りしたのは、このシュトラウスの生命力が小宮山さんの魂の中に流れこめという意味であった。そのとき小宮山さんは八十歳目前だった。

「そして、明日の海へ」という副題のついた『千曲川』が完成して、理論社より発刊されたのは、小宮山さん、八十二歳のときだった。このような精神の行為というのは、目に見えないからそれがどれほどの偉業なのかなかなかわからないが、長編小説を一冊書き上げることは、この地上に四十階建てのビルを打ち立てるに等しいエネルギーを要することなのだ。空に聳え立つ四十階の高層ビルを、小宮山さんは八十歳のとき手がけて組み上げ組み立てていった。そして驚くべきことに、この「千曲川」はその副題どおり海に向かって大河となって成長していくのである。「青春彷徨」と副題のついた第二部が八十三歳のときに、「青春回帰」という副題のついた第三部が八十四歳のときに、そして「青春回帰」という副題につい第四部が八十六歳のときに、次々に刊行されていった。

巻を重ねるごとに枚数も増えていき、第四部などは七百枚にも及んでいる。饒舌にまかしての、過去を回想したという作品ではない。一行一行が、厳しく磨き上げられていて、その行間にさえ張り詰めた空気が漂っている。この小宮山さんの仕事を間近でみるとき、あるいはシュトラウスの「四つの最後の歌」を聴くとき、その生に対して厳しく対峙している人間にとって、老齢とはその人生を大地に返すために、さらに豊かな肥やしとならんとするための成熟のときなのだということがわかる。成熟するには火の格闘が必要だった。豊かな肥やしになるためには、さらなる絶望と、さらなる格闘を背負わねばならないのだ。シュトラウスや小宮山さんが私たちにつきつけているのは、人間とは、今はの際まで、それらの大いなる闘争をわが身に背負えるということなのである。

          
絶望の底から立ち上がった
私たちはいままた「名曲の楽しみ」という番組のなかで、この大いなる闘争を背負った人の、その大いなる闘争をまざまざとみることができるのだ。吉田さんはこの番組で、一人また一人と作曲家を取り上げ、その作家が残してきた主要な作品を流していくのだが、そのとき蓄積した薀蓄を披露するという作業などですむわけがない。番組で取り上げる一曲一曲は、吉田さんに新しい言葉を要求しているからである。生命力をもつ作品は常に生きている。常に時代とともに成長をしていく。だから吉田さんはふたたびその曲を新しい言葉で描いていかねばならない。こうしてこの番組のなかに、その一曲一曲がどんなに長大な大曲でも全曲が流され、そしてそこに吉田さんが描く言葉の音楽がかぶさっていくのである。

大きな創造は必ず大きな絶望を背負っている。吉田さんのこの毎週毎週流される言葉と音楽の背後に、吉田さんが背負ってきた、そしていまもなお背負っている大きな絶望を見ないわけにはいかない。その一つが日本の腐敗である。ほぼ一世紀を生きてきた吉田さんの目には、いまほど日本人の魂がよどみ汚れていない時代はないと映っているにちがいない。いよいよ日本人は矮小になり、物質的になり、その本質が腐敗していく。だからこそ音楽なのだ。音楽は人間のけがれた魂を洗い、高き峰をめざして気高く生きよと魂を覚醒させるのだ。吉田さんはその番組でそういう言葉の音楽を奏でているのである。

吉田さんは、言葉で音楽を描くことをなしとげた言葉の作曲家であり、さらに絵画を言葉によって描き上げることにも、成功した言葉の画家であったが、もう一つ、大きな仕事があった。それは演奏家たちの、その演奏を言葉によって描くことを追及した言葉の演奏家だった。指揮者が、オーへケストラが、ピアニストが、ヴァイオリニストが、チェロリストが、どのようにその音楽を立て、その旋律を紡いでいるかを、吉田さんは言葉によって描いていったのだ。したがって吉田さんは、言葉の演奏家でもあった。吉田さんが紡いだ言葉の演奏はどのようなものなのか、もう一つの文章を紹介しよう。
この文章は妻を失った、その大きな虚脱と絶望のなかから立ち上がってふたたび連載のペンを握った、その最初の文章である。音楽を聴く耳はいささかも衰えてはいない。その音楽を言葉にして刻み込んでいく力もまた厳しく緊張している。吉田さんは、いまなお時代の最先端に立ち、世界を切り開く仕事をしているのである。吉田さん、九十三歳の時に、刻み込んだ文章である。

             
庄司のプロコフィエフは出色 かけがえのないカサロヴァの声

 身内に不幸があった。診断が下って三年八ヶ月。入院して半年と四日。その間も気の休まる間はほとんどなかったが、終末を迎えた時は精神と肉体の両面で強烈無残なボディ・ブローを喰らった状態。筆を執る興味はまったく失った。このコラムも当分休みとした。

昨今ようやく人心地を取り戻した気持ちになりかけたところで、軽い病気をした。すると、それまでは亡き人の許に早く行きたいと願っていたのに、急にこのまま屈するのが口惜しくなった。仕事ができていたころは何とよかったろう! いずれにせよ、私に与えられた時間は長くはない。いつまで続くか、保証の限りではない。だが、もう一度やってみよう。

この間、多くの方々の理解、激励、援助を頂いた。改めて、ここで感謝申し上げる。載は去る十二月からだった。あの月は、一年の終わりのCD品定めに当ててきた。遅ればせながら、ここでそれを取り返してみよう。といっても、私は長いこと、少ししか聴かずにきた。今ここで取り上げるのはそこから選び取ったもの。とはいえ、近年ずばぬけての優秀な成果と信じたものである。

まず庄司沙矢香によるプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第一、第二番(グラモフォン)。原田幸一郎氏は人も知る室内楽の名手である。近年はまた教養と経験の蓄積の豊かな、稀にみるヴァイオリンの名教師である。その人がこう述懐したと聞く。「今の日本の優秀な少年少女たちは、十五歳までにヴァイオリン技法のすべてを身のつけてしまったと言っていい。後は『音楽の内容』だけだ」と。

近年この国から輩出する国際コンクールでの優勝者、入賞者の数々を見れば、この説はまったく正しい(もっとも日本に限らず韓国もそうなっていようし、中国も恐らくあまり変わるまい)。
しかし、国の内外で指摘される通り、日本の演奏者の多くは「個性」がない。逆に「共通性」はある。それは彼ら、彼女らがどちらかというとギシギシ、ガリガリ、ザラザラ、鋸でもひくみたいな音を立てること。音の美しさ、優しさを犠牲にして力み返って難曲と取り組んでいるという印象を与える点である。クライスラーの優雅、ティボーの洗練と言わないが、音楽の香気があまりにも乏しい。

プロコフィエフのソナタはそれ自体──ことに第一番など──今言ったギシギシ、ザラザラの音を求める標本のような趣がある。これは、かつてこの曲を弾いて世界的評価を決定づけたヨーゼフ・シゲティの演奏を聴けばよくわかる。元来、シゲティの音はお義理にも美しいとは言えぬものだった。むしろ「美」に抵抗し、時に圧殺しかねない弾き方だった。ただ、彼の偉大は、そこから、かつてヴァイオリンが聴かせたことのないような精神の芸術としての音楽、新しい完成と知性のきらめきがキラキラと光り輝くように生まれてくるという奇蹟のようなことを成し遂げた点にある。

プロコフィエフのソナタは、しかしシゲティに見られた硬質の雑音性への傾きと並んで憂愁の響きや精妙な叙情も要求するものである。この反語的在り方の両方を満足させるのは難事中の難事だろう。絹のよう艶と豊かな響きで滑らかに弾かれた時、この曲は何と味気なく聞こえることか。

庄司のプロコフィエフは、シゲティの光り輝くザラザラを継承しながら、微妙な明暗を映し出す歌い回し、正確なリズムを守りながら翳に富んだ走狗といったものを音にする上で、ほとんど間然とするところがない。このCDは日本のヴァイオリン演奏の限界の一角を突破した記念碑的意義を持つ。第一ソナタでは曲の求める最高度の難技巧に立ち向かっても音の美しさは失われない。第二楽章第二主題の伸びやかな叙情も素晴らしいし、第三楽章のそれにいたっては流麗と呼んでも誇張ではないだろう。

総じて、このCDではピアニスト(イタマール・ゴラン)が十分以上に個性を主張している。そうなると、ピアノの表現力の幅と厚みはすごい。その圧力の下、ヴァイオリニストは力を尽くして弾くように迫られ、往々両者の間でギリギリのせめぎ合いが生まれる。この攻防も、対象なったソナタの性格からいって正統なものであり、このCDの聴きどころの一つなっている。
ツィマーマンが現代最高のピアニストの一人たることは今更言うまでもない。先年も彼はショパンの協奏曲で我々の度肝を抜いた。今度はラフマニノフの協奏曲の一、二番(グラモフォン)。これも極上の品質で、微細の点に至るまで徹底した正確さと重厚な迫力が一つなった名盤である。

最後になったが、以外なききものはカサロヴァの《ブルガリアの心》(BMG)。この国の(民族・民俗)音楽の精髄を伝える点でも、その音楽自体の土臭くて、しかも微妙な表現の在り方でも、かけがえのない一枚となっている。
なぜか、この国では音楽は女性の営みとして栄えたようだが、ここでは対象となる女たち──少女、娘、若妻、ママたち──から「子供」「家族」そうして舞踊などなど、そのどれもが柔らかな産毛の肌触りのまま歌となって聴き手を魅了する。ほかに類例のないような音程のポリフォニーの醸し出すハーモニーに、カサロヴァのあの鮮やかな、輪郭を持った艶やかな美声が加わって、目覚しくも不思議な音の色彩に満ちた、愉楽のひとときが味わえる。ただ私は、これらの歌のどこまでが「真正の民俗音楽」で、どこからが作曲家の手の入ったものか判定できない。(2004年3月17日発行の朝日新聞・夕刊「音楽展望」)



 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?