ユルスナールの靴
一週間後、その女性が修理された靴を取りにきた。修理代金が支払われ、領収書とつり銭を渡すと、篤史はこう言った。それは恋に落ちたことの告白でもあった。
「あの、この前にいらっしゃったとき、お客さまにサービスすることを忘れていました。後になって後悔したんですが、今日そのサービスをさせていただけますか」
「え、サービスですか、どんなサービスなんですか」
「あの日、コーヒーに淹れて差し上げるべきでした。コーヒーをお飲みになりながら、ビバルディを聞いていただくべきだって、あとで後悔していました。ですから今日はそのサービスをさせていただけますか」
「ああ、それはうれしいわ、いただきます、ここでコーヒーを飲みながら、またビバルディが聞けるんですね、うれしいわ、ほんとうに、喜んで、コービーをいただきます」
その翌週の土曜日に、またその人は紙袋を携えて修理屋やってきた。その紙袋から取り出したのは紳士靴だった。その靴は彼女の夫のものだろうと篤史は思った。しかし彼女はこう言った。
「これは父の靴なんです。もう何十年も履いていている靴で、こっちの靴なんてもう三十年前に買った靴なんですよ、愛着があって、捨てられないですよね」
二足ともがっしりとしたグッドイヤーウェルト製法の靴だ。最高品質の靴だった。何十年も履かれてきた歴史と風格がある。篤史はその靴にすっかり魅了されてしまった。彼の感性がその靴に投影されているような靴だった。彼がめざしているのもまたそういう靴を作ることだった。
その日、その人はもう一つの紙袋を携えていて、修理の工程の話が一段落すると、そこから小箱を取りだした。
「林業試験場ってご存知ですよね、武蔵小山にある、日曜日の午後にいつもあのあたりまでウオーキングするんですけど、その森の奥に若いご夫婦が営んでいる小さなケーキ屋さんがあるんです、とってもおいしいんですよ、そのケーキをお持ちしたんですけど、召し上がっていただけますか、というよりもここで一緒にいただきたいんですけど、あつかましいかしら」
「いいえ、とんでもない、いただきます、珈琲を淹れましょう」
「それを期待してきたんですよ、だってここでいただく珈琲が、とてもおいしいんですもの」
その日の会話はビバルディだった。そしてそのビバルディを生んだイタリアの話になった。彼女はこれまで四度もイタリアに行ったと言った。
その二週間後、修理された父親の靴を取りにきた。その日も女性はやはり林業試験場の奥にある小さなケーキ屋のケーキ持参だった。二人の会話は弾んでいく。篤史は自分の内部をちらりと開くように、イタリアで修業していたときに体験した話をした。
「たまたまその本屋に入ったら、日本語の本が置いてあったんです、イタリアの書店に日本語の本が置いてあるなんて、ものすごく珍しいことで、その本のタイトルが《ユルスナールの靴》と書かれていたんですよ」
「それってもしかたら、須賀さんの本じゃないんですか、須賀敦子さんの?」
「須賀敦子さんをご存知ですか」
「ええ、知っているどころか、私がこんなにもイタリアに惹かれて、何度もイタリアにいったのは須賀さんの影響なんです」
「ああ、そうだったんですか、いまはぼくにもわかります、なぜ須賀さんの日本語の本がイタリアの書店においてあったかということが、しかしそのときはただ靴という漢字が目に飛び込んできて、それでその本を手にしてぱらぱらとめくってみたら、それは靴の本じゃなかったんですよね」
「たしかに、靴の本じゃありません」
「でもなぜかその本に惹きつけられて、いったいどんなことが書かれているんだろうかと、その最初のページを読んだんですね、その最初のフレーズが、なんかずしんとぼくの全身を貫くように走ってきたんですよ──きっちりと足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶに行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったのだ、と」
「わあ、すごい、そんな長い文章をそらんじているなんて」
「このフレーズを、落ち込んだときなんかよくこの本を開くんもんで、自然におぼえてしまいました」
「その本はユルスナールというフランスの女性作家を、須賀さんが自分を語りながら追いかけいくんですよね、ユルスナールという作家の厳しい生き方に惹かれて、須賀さんその人もまた厳しい生き方をして、私はその須賀さんの追っかけをしていたんです、イタリアに四度もいったのは、須賀さんの歩いたイタリアを歩きたかったからなの」
彼女もまた彼女の内部を篤史にさらすように、
「私が毎日付き合っているのは、ビジネスマンなんですね、ビジネスマンって、ビバルディとか、ユルスナールとか、須賀敦子さんなんて話はしないんですよ、というか、こんな話ができない人たちなんです、でもここでは、おいしいコーヒーを飲みながら、ユルスナールの靴のお話ができるですね、とっても大切な時間です」
その二週間後だった。その女性が年配の男性と連れだって店に現れた。父親だと紹介された。その人は篤史の肩を何度も叩き、
「あなたはいい腕をしているな、感謝、感謝だよ、古い靴がよみがえった、古女房が新妻になったようだよ、新妻に足をいれるみたいにぞくぞくとしたよ」
と言った。するとすぐに娘に叱られた。
「いやねえ、お父さん、そんなたとえしないでよ、ほら、お父さん、あそこに展示されている靴、お父さんにぴったりの靴があるわよ」
この日に彼女は、父親の靴を購入するために、父親を引き連れて店を訪れたのだった。二人は棚にのせてある靴を一足一足手にして、その靴を愛撫するかのように吟味している。そんな二人を見て、篤史はこの親ありてこの娘だ、この娘ありてこの親だと思った。
やがて二人は一足の靴を選びだした。椅子にすわらせ、足台の上に足を載せてもらった。たくましい足だった。大地を踏みしめて歩いてきた人の足だった。その足が、篤史が作り上げた靴に挿入された。老人はひどく感動したように言った。自分は七十まで仕事をしていた、自分の仕事は歩くことだった。裏通りから裏通りへ、一軒一軒まわって集金して歩く。七十までその仕事をしていたんだよと言った。
「ああ、いい靴だ、履いた瞬間にわかるよ、いい靴だ、この靴はここでぼくが来るのを待っていたんだな、靴屋さん、この靴いをただくよ、いや、ぼくが買うんじゃなくて、娘がね、ぼくの誕生日プレゼントに買ってくれるというだな、娘の最高のプレゼントになる、うれしいプレゼントだよ」