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人生は謎、時を超えてめぐりあう三人の女性

めぐりあう時間たち   マイケル・カニングハム  高橋和久訳

 


 六月のある美しい朝。三人の女の特別の一日が始まる…
 
ヴァージニア
ロンドン郊外。 1923年。文学史上の傑作「ダロウェイ夫人」を書き始めようとする…
 
ローラ
ロサンジェルス。1949年。『ダロウェイ夫人』を愛読するlミ婦。夫の誕生パーティを計両し、息子とケーキを作り始める…
 
クラリッサ
ニューヨーク。20世紀の終わり。「ダロウェイ夫人」と同じ名ゆえに元恋人リチャードにミセス・ダロウェイと呼ばれる編集者。文学賞を取った彼のためパーティを開こうと。花を買いに行く…
 
異なる時代を生きる三人の「時間」はいつしか運命的に絡み合い、奔流のように予想もつかぬ結末へ…。

ミセス・ウルフ

 彼女はクラリッサ・ダロウェイをどのように自殺させたらいいかと考えながら、マウット・アララト・ロードを歩く。クラリッサには恋人がいたことになるだろう──女性の恋人。それとも娘がいいだろうか。そう、彼女自身の娘時代に知りあいになった娘。若いときに燃え上がるあの情熱のひとつ。愛もさまざまの観念も自分が発見したもので、自分より前にはこんなふうに理解したものはいない、と本気で思えるあの時代に。青年期のそうした短い期間には、なにを言うのもなにをするのも自由だと感じられる。
 周囲をあっといわせ、新しい道を進む自由。外から与えられた未来を拒否して、別のはるかに壮大で手垢に汚れていない未来を要求する自由。それはどこまでも自分で考え出して、自分が所有している未来であり、毎晩お決まりの椅子に座っては、プラトンやモリスを若い娘が読むのはいいことかしら、などと声高に言ってみせる歳のいったヘレナおばさんの世話にはならない自由なのだ。
 クラリッサ・ダロウェイは青年期のはじめに同じ年頃の娘を愛するのだ、とヴァージニアは考える。クラリッサは自分の前に豊かで奔放な未来が待っていると信じるだろう。しかし結局(その変化をどうしたらうまく定着できるだろう?)彼女は正気に戻って──若い娘はだれもがそうだ──そしてふさわしい男と結婚することになる。
 そう、彼女は正気に戻って、結婚するのだ。
 彼女は中年になって自殺する。おそらくはなにか些細なことで自殺する(どうしたらそれを説得力あるものに、喜劇的にならず悲劇的に描けるだろう?)。
 もちろん自殺は本の終わりの方で起きることになる。そしてそこまで到達したときには、自殺の意味がおのずと明らかになっているようにしたい、とヴァージニアは思う。いまリッチモンドを歩きながら考えを集中するのは、クラリッサの初恋のこと。相手は若い娘。その娘は生意気でしかも魅惑的。咲いているダリアやタチアオイの花を切り取ってきて、それを大きなボウルに張った水に浮かべては叔母たちを憤慨させるのだ。ちょうどヴァージニアの姉、ヴァネッサがいつもやっていたように。

ミセス・ブラウン

 彼女は小麦粉をふるいにかけて、青いボウルに落としはじめる。窓の外にはこの家と隣家を隔てている細い芝生の帯。陽光の照り返しで眩しく光る隣家のガレージの白いスタッコ塗りの壁に、小鳥の影が筋をつけている。ローラはその小鳥の影に、まばゆい白と緑の帯に、ほんの一瞬だけれども深い喜びを感じる。
 目の前のカウンターにのったボウルは、白亜を思わせるようなわずかに褪色した薄青色。縁のところに白い葉の模様が細い帯状に描かれている。その葉はどれも同じかたちに図案化されて、少し漫画じみており、熊手を思わせる角度に傾いている。うち一枚がわきのところに小さい正三角形の刻み目のような傷を受けているのも、非のうちどころがなく、必然のことであるように思える。細かな白い粉の雨がそのボウルにふりそそぐ。
「すごいでしょう」彼女はリッチーに言う。「見てみたい?」
「うん」彼は答える。
 彼女は膝を折って、ふるいを通った小麦粉を彼に見せる。「さてっと、こんどは四カップ分を計らないといけないわね。あら、四カップっていくつか分かる?」
 彼は指を四本立てる。「そうね」彼女は言う。「よくできました」
 いまなら彼のことを食べ尽くすことができるような気がする。がつがつとではなく、崇めるように、かぎりなくやさしく。結婚して改宗する前に(母はそのことでけっしてわたしを許さないだろう、けっして)、聖餐式のパンをお腹に入れるときにはいつもそうしていたように。わたしを満たしているこの愛はとても強くて疑問の余地のないもの。食欲に似てくるほどに。

ミセス・ダロウェイ

 彼女はリチャードがパーティ用の支度をする手伝いに来ている。しかしリチャードは彼女のノックに応えない。彼女はもう一度ノックする。より強く。それから、せわしなく、不安になって、ドアの鍵を開ける。
 部屋には光があふれている。クラリッサは入口のところで息が止まりそうになる。濃い影も淡い影もすべてが消え、窓が開いている。部屋の空気を満たしているのは、晴れた日の午後にどこの安アパートにだって差し込むふつうの陽光にすぎないけれど、リチャードの部屋では、それが音のない光の爆発のように思える。リチャードの使っている厚紙製のボックス、バスタブ(前に知っていたころより汚れがひどい)、埃のついた鏡、値の張ったコーヒーメーカー。すべてがその真の哀れさ、ありふれた矮小さを露呈している。ほかに言いようがない、ここは発狂した人間の暮らす安アパート。
「リチャード!」クラリッサは声をかける。
「ミセス・ダロウェイ。ああ、ミセス・ダロウェイ、きみだったのか」
 彼女は隣の部屋に駆け込み、リチャードが相変わらずのローブ姿で、開いた窓の下枠に乗っているのを見つける。下枠を跨ぐ格好で、痩せた脚の一方を部屋のなかに、もう一方を、こちらには見えないが、五階の高さからぶらつかせて。
 「リチャード」彼女は厳しい調子で言う。「そこから下りなさい」
 「外は気持ちがいいよ」彼が言う。「最高の日だね」



 

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