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後世への最大遺物 2 内村鑑三
しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、われわれは何もここにのこさずに往くのでございますか、その点からいうと、やはり私には千載青史に列するを得んという望みがのこっている、私は何かこの地球に Memento を置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい、それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたい、この世の中にわれわれの Memento をのこして逝きたい、有名なる天文学者のハーシェルが、二十歳ばかりのときに彼の友人に「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」というた、実に美しい青年の希望ではありませんか、「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」と、ハーシェルの伝記を読んでごらんなさい、彼はこの世の中を非常によくして逝った人であります。
今まで知られない天体を描いて逝った人であります、南半球の星を、何年間かアフリカの希望峰植民地に行きまして、すっかり図に載せましたゆえに、今日の天文学者の知識はハーシェルによってどれだけ利益を得たか知れない、それがために航海が開け、商業が開け、人類が進歩し、ついには宣教師を外国にやることができ、キリスト教伝播の直接間接の助けにどれだけなったか知れませぬ、われわれもハーシェルと同じに互いにみな希望 Ambition を遂げとうございませんか、われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか、何か一つ事業を成し遂げて、できるならばわれわれの生まれたときよりも、この日本を少しなりともよくして逝きたいではありませんか、この点についてはわれわれ皆々同意であろうと思います。
それでこの次は遺物のことです、何を置いて逝こう、という問題です、何を置いてわれわれがこの愛する地球を去ろうかというのです、そのことについて私も考えた、考えたばかりでなくたびたびやってみた、何かのこしたい希望があってこれをのこそうと思いました、それで後世への遺物もたくさんあるだろうと思います、それを一々お話しすることはできないことでございます、けれども、このなかに第一番にわれわれの思考に浮ぶものからお話しをいたしたいと思います。
後世へわれわれののこすもののなかに、まず第一番に大切のものがある、何であるかというと金です、われわれが死ぬときに遺産金を社会にのこして逝く、己の子供にのこして逝くばかりでなく、社会にのこして逝くということです、それは多くの人の考えにあるところではないかと思います、それでそういうことをキリスト信者の前にいいますると、金をのこすなどということは実につまらないことではないか、という反対がじきに出るだろうと思います、私は覚えております、明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました、その時分に東京には奇態な現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです、その時分私は後世に何かをのこさんかと思っておりましたが、私は実業教育を受けたものであったから、もちろん金をのこしたかった、億万の富を日本にのこして日本を救ってやりたいという考えをもっておりました。
自分には明治二十七年になったら、夏期学校の講師に選ばれるという考えは、その時分にはちっともなかったのです(満場大笑)、金をのこしたい、金満家になりたい、という希望を持っておったのです、ところがこのことをあるリバイバルに非常に熱心の牧師先生に話したところが、その牧師さんに私は非常に叱られました、「金をのこしたいとはいくじがない、そんなものはどうにもなるから、君は福音のために働きたまえ」といましめられた、しかし私はその決心を変更しなかった、今でも変更しない、金をのこすものをいやしめるような人は、やはり金のことにいやしい人であります、けちな人であります、金というものは、ここで金の価値について長い講釈をするには及びませぬけれども、しかしながら金というものの必要は、あなたがた十分に認めておいでなさるだろうと思います、金は宇宙のものであるから、金というものはいつでもできるものだという人に向って、フランクリンは答えて「そんなら今こしらえてみたまえ」と申しました。
それで私に金などはいらないというた牧師先生はどういう人であったかというに、後で聞いてみると、やはりずいぶん金を欲しがっている人だそうです、それで金というものは、いつでも得られるものであるということは、われわれが始終持っている考えでございますけれども、実際金のいるときになってから金というものは得るに非常にむずかしいものです、そうしてあるときは富というものは、どこでも得られるように、空中にでも懸っているもののように思いますけれども、その富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできないことであります、ちょうど秋になって雁は天を飛んでいる、それは誰が捕ってもよい、しかしその雁を捕ることはむずかしいことであります、人間の手に雁が十羽なり二十羽なり集まってあるならば、それに価値があります、すなわち、手の内の一羽の雀は木の上におるところの二羽の雀より貴いというのはこのことであります。
そこで金というものは宇宙に浮いているようなものでございますけれども、しかしながらそれを一つにまとめて、そうして後世の人がこれを用いることができるように、貯めていこうとする欲望が諸君のうちにあるならば、私は私の満腔の同情をもって、イエス・キリストの御名によって、父なる神の御名によって、聖霊の御名によって、教会のために、国のために、世界のために、「君よ、金を貯めたまえ」というて、このことをその人に勧めるものです、富というものを一つにまとめるということは一大事業です、それでわれわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それをせんじつめてみれば、やはり金銭問題です、ここにいたって誰が金が不要だなぞというものがありますか、どうぞキリスト信者のなかに金持が起ってもらいたいです、実業家が起ってもらいたいです、われわれの働くときに、われわれのうしろだてになりまして、われわれの心を十分にわかった人がわれわれを見守ってくれるということは、われわれの目下の必要でございます、それで金を後世にのこそうという欲望を持っているところの青年諸君が、その方に向って、神の与えたる方法によって、われわれの子孫にたくさん金をのこしてくださらんことを私は実に祈ります。
アメリカの有名なるフィラデルフィアのジラードというフランスの商人が、アメリカに移住しまして建てた孤児院を私は見ました、これは世界第一番の孤児院です、およそ小学生徒くらいのものが七百人ばかりおります、中学、大学くらいまでの孤児をずっとならべますならば、たぶん千人以上のように覚えました、その孤児院の組織を見まするに、今日の日本にあるところの孤児院のように、寄附金の足らないために事業がさしつかえるような孤児院ではなくして、ジラードが生涯かかって貯めた金をことごとく投じて建てたものです、ジラードの生涯を書いたものを読んでみますると、なんでもないただその一つの目的をもって金を貯めたのです、彼に子供はなかった、妻君も早く死んでしまった、「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない、けれども、どうか世界第一の孤児院を建てやりたい」というて、一生懸命に働いてこしらえた金で建てた孤児院でございます。
その時分はアメリカ開国の早いころでありましたから、金の貯め方が今のように早くゆかなかった、しかし一生涯かかって貯めたところのものは、おおよそ二百万ドルばかりでありました、それをもってペンシルバニア州に人の気のつかぬ地面をたくさん買った、それで死ぬときに、「この金をもって二つの孤児院を建てろ、一つはおれを育ててくれたところのニューオルリーンズに建て、一つはおれの住んだところのフィラデルフィアに建てろ」と申しました、それで妙な癖があった人とみえまして、教会というものをたいそう嫌ったのです、それで「おれは別にこの金を使うことについて条件はつけないけれども、おれの建ったところの孤児院のなかに、デノミネーションすなわち宗派の教師は誰でも入れてはならぬ」という条件をつけて死んでしまった。
それゆえに、今でもメソジストの教師でも、監督教会の教師でも、組合教会の教師でも、この孤児院にははいることはお気の毒でございますけれどもできませぬ(大笑)、そのほかは誰でもそこにはいることができる、それでこの孤児院の組織のことは長いことでございますから、今ここにお話し申しませぬけれども、前に述べた二百万ドルをもって買い集めましたところの山です、それが今日のペンシルバニア州における石炭と鉄とを出す山でございます、実に今日の富はほとんど何千万ドルであるかわからない、今はどれだけ事業を拡張してもよい、ただただ拡張する人がいないだけです、それでもし諸君のうち、フィラデルフィアに往く方があれば、一番にまずこの孤児院を往って見ることをお勧め申します。
内村鑑三著「後世への最大遺物」を「私たちは後世に何を残すべきか」に改題して《草の葉ライブラリー》より近刊。