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第13回「本を売る」ことに魅せられて

 2004年(平成16年)は、年初から大騒ぎとなりました。まず第130回 直木賞は、江國香織の『号泣する準備はできていた』(新潮社)と、京極夏彦の『後巷説百物語』(角川書店)のダブル受賞でした。昨年は「該当作なし」『半落ち』の落選で物議を醸し出しましたね。大きな反動です!

が、さらに凄いことが!芥川賞も、金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社)と、綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)のダブル受賞だったのです。これには、マスコミも大騒ぎ。金原ひとみ20歳、綿矢りさ19歳で、しかも芥川賞最年少受賞記録を更新したのですから。

単行本は、勿論売れに売れました。そして、芥川賞2作品を掲載した『文藝春秋』2004年3月号も、通常よりも桁違いに売れました。綿矢りさは、『文藝春秋』のインタビューに

語呂がいいですよね。「最年少芥川賞」。でも自分では年齢のことは意識していません。

と答えていますが、オジサンたちは、意識して、今どきの女の子が書いた文学を、興味津々で読んだと思うのです。
僕は、お金がなかったので(笑)単行本は買わずに『文藝春秋』を買って、金原ひとみ、綿矢りさ、二人の作品を、山手線2周して読みました。

さて、近藤先生のもとで、仕事をする事となりましたが、志夢ネットには、事務所がなかったのです。登記簿の住所は、渋谷でしたが、そこは近藤さんの友人宅であり、間借りして、仕事することもできません。
そこで、自宅にADSL(Asymmetric Digital Subscriber Lineの略で、非対称デジタル加入者線のことでデジタル加入者線の一種。一般のアナログ電話回線を流用してブロードバンドインターネット接続サービスを提供することができる高速デジタルデータ通信技術。日本では2000年代前半に急速に普及)を敷いて、自宅をSOHO(Small Office Home Officeの略語で、小さなオフィスや自宅を仕事場とする働き方、またはその仕事場)として、仕事を開始していました。
SOHO懐かしい言葉ですね。2000年代の初頭にはやりました。今で言うリモートワークです。

僕は、自宅から出版社がある都内へと通い始めたのです。そして、POSデータ(日次、週次)を持って、河出書房新社を訪ねました。ご対応いただいたのは、岡垣重男さん。データを見て「こんなに売ってくれているのですね」と言って、『蹴りたい背中』の追加注文を受けてくれました。これが、どれだけありがたいことか、このご恩は一生忘れません。

というのも、その後、訪問した出版社に塩対応され、悔しい思いをしたからです。どことは書きませんが(笑)

ちなみに河出書房新社のお近くの草思社に伺うと、サイマル出版会で、お世話になった浴野英生さんが営業部長をされていたので、志夢ネットには、大変好意的に対応してくれました。営業部の鈴木葉子さん、とてもチャーミングな女性が、志夢ネットの担当になってくれたのです。

 それにしても、2004年という年は、当たり年と言いますか、前段の直木賞、芥川賞のW受賞、そして、4月に第一回「本屋大賞」の発表があり、小川洋子の『博士の愛した数式』が大賞を受賞しました。 

2位は、横山 秀夫『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋)3位は、伊坂 幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)4位は、森 絵都『永遠の出口』(集英社)5位は、伊坂 幸太郎『重力ピエロ』(新潮社)6位は、石田 衣良『4TEEN』(新潮社)7位は、よしもと ばなな『デッドエンドの思い出』(文藝春秋)8位は、福井 晴敏『終戦のローレライ』(講談社)9位は、京極 夏彦『陰摩羅鬼の瑕』(講談社ノベルス)10位は、矢作 俊彦『ららら科學の子』(文藝春秋)ですが、「本屋大賞」は、書店員が投票した全ての作品のことを指します。

4月半ば以降は、紀伊國屋書店時代にお世話になっていた版元も、廻り始めました。まずは、僕が好きな日本史を出版している吉川弘文館の横井真木雄さん(当時53歳)を訪ねました。横井さんは、久しぶりの再会を暖かく迎えてくださいました。それから営業の春山晃宏さんを紹介してくれました。志夢ネットは、かたい専門書を売る店は、少ないことを承知の上で、横井さんは、『日本史年表・地図』を薦めてくれました。おお!これなら一家に一冊欲しい本。大河ドラマや、時代劇などテレビの横にあれば便利な本です。それから『歴代天皇・年号事典』も、ご案内いただきました。

僕は「全店に案内して、発注します」と言って、吉川弘文館をあとにしました。そして、同じ本郷にある日本実業出版社を訪ねると、部長の吉渓慎太郎さんが、直接ご対応頂き、各店舗の常備、長期セットなど棚の有無、配本があるか否かなど本来ならこちら(本部)が把握してなければならないことを、調べて各店舗にあわせた提案をいただけるとのこと。やっぱり、顔見知りだと対応が違いますね。勢い余って麹町へ。かんき出版を訪ねると、小林清志さんが丁寧に対応してくれました。「齊藤さんは、お元気ですか?」と聞くと「相変わらず太ってます」と、明快な答えをいただきました。

しかし、しかし、志夢ネットの加盟店が、欲しいのは、配本が少ない文芸書とコミックなのです。ならばと、特にツテもなく、神保町あたりへ出かけて行きました。どことは言いません(笑)しかし、ひどい扱いを受けました。応接室で対面した営業の偉い方は、ソファに寄りかかり「ふーん」と言って、僕の名刺を眺め、「あれ?草彅さんて、どこかで会いませんでしたか?」(ええ。会ってますー心の声ー)言いたくは、なかったが「紀伊國屋書店の時に」と答えると、そのお偉いさんは、いきなり、立ち上がって「お世話になりました」と頭を下げたのです。水戸黄門の印籠ではないが、「紀伊國屋書店」という言葉に、ひれ伏したのです。だから言いたくなかった。こんなところで「元◯◯」ですと言って仕事するわけにはいきません。本当に志夢ネットを評価してくれる人と仕事しなければと思い、その出版社を後にしました。

ここで、志夢ネットに加盟する店舗を紹介します。まずは、北のほうから宮城県の、ブックスなにわ塩釜店、ブックスなにわ古川店、福島県の、ブックスなにわ会津若松店。関東は、千葉県の鴨川書店本店、鴨川書店SOFNET店、埼玉県の一清堂浦和店、一清堂加須店、山梨県の天真堂書店本店、天真堂書店塩山店、天真堂書店加納岩店、続いて関西の京都府まるぜん書店網野店、まるぜん書店野田川店、まるぜん書店マイン店、奈良県のBOOKヨシダ大和高田店、ラックス奈良柏木店、ラックス橿原店、ラックス天理店、兵庫県三田市のオクショウBOOKSアコードフローラ店の18店舗です。

2004年4月時点で、僕が直接訪問した店舗は、一清堂浦和店と加須店の2店舗のみで、残り16店舗は、まだ見たこともない店でした。

この頃、僕は大切な人とめぐり逢います。それは、また門前払いされた大手出版社を訪問したあとでした(涙)悔しい思いを胸に、このままでは、帰れないと思い、護国寺駅とは逆方向に歩きました。そこには、光文社がありました。
光文社の歴史は、
昭和20年 講談社の2階会議室から始まり、
昭和27年 『二十四の瞳』がベストセラー
昭和33年 『女性自身』創刊
昭和41年 多胡輝の『頭の体操』がベストセラー
昭和48年 小松左京の『日本沈没』が日本出版界新記録の215万部のベストセラー
昭和50年 『JJ』創刊
昭和59年 光文社文庫創刊
平成 2年 『Noと言える日本』がベストセラー
平成 3年 大沢在昌の『新宿鮫』がベストセラー
平成13年 光文社新書創刊

こう書くと節目節目に、いい本だしていますね。 ちなみに『JJ』は女性自身の略。創刊当時は『女性自身』の別冊でした。
はてさて、光文社には、歓迎してもらえるだろうか?一階には、受付があり、横には警備員が立っていました。僕は受付に名刺を出すと、「お約束ですか?」と問われ、「近くに来たので、ご挨拶と思い、立ち寄りました」と言うと、受付嬢は「少々お待ちください」と言って、「そちらにおかけしてお待ちください」と丸テーブルの椅子を指差しました。僕は、その椅子に座って、待っていると、僕と同年代の男性が「お待たせしました」と言って、近づいて来ました。僕は立ち上がって「はじめまして」と言って名刺を差し出すと、相手も名刺を出されました。名刺には「販売局 販売促進部 副部長 服部泰基」と刷られていました。服部さんは、僕の話を真剣に聞いてくれました。小さな書店同志が共同仕入の会社を立ち上げたことを喜んで歓迎すると言うのです。光文社新書や光文社文庫の一括発注にも対応すると約束してくれました。その前に行った出版社の後でしたので、服部さんの神対応に感動しました。その後も、光文社には毎月訪問するようになりました。
大兄!本当にありがとうございました。あなたのことは、忘れません!

5月1日、僕は千葉県の鴨川書店、鴨川書店SOFNET店を訪問しました。それにしても遠い、自宅のある神奈川県相模原市から電車で片道5時間かかりました。鴨川シーワールドがあるので、観光名所ですが、出版社も、なかなか訪問できるところではないですね。店を臨店診断して、本店の平野志郎さん、ソフネット店の小倉健一さんとお会いし、志夢ネットに対する要望を確認するとともに、本部で案内する商品を積極的に扱うことを確認。また店頭から新鮮な情報を、店長のメーリングリストで発信してもらうことを約し、僕はまた5時間かけて、帰宅しました。

5月3日ゴールデンウィークの最中でしたが、僕は特急「あずさ」に乗って、山梨へと向かいました。駅には、天真堂書店の専務である小菅一徳さんが車で迎えに来てくれました。小菅さんの案内で、天真堂書店本店、加納岩店、塩山店を臨店しました。
志夢ネットとして、スタートを切ったとは言え現場は、どのように捉えているのか、なんとなく、こちらに向ける視線の厳しさを感じとりました。小菅さん曰く、まだまだ現場には浸透していないとのこと。先般、案内した吉川弘文館の『日本史年表・地図』も発注をくれたのは、小菅専務であり、現場から直接の返信はもらっていませんでした。店舗のことでも気がついた点が、いくつもありましたが、心よく受けてもらえるか逡巡していたその時、レジで本の問い合わせがはいり、お客様と店員で棚の前で本を探していました。僕は、その会話を盗み聞きして、その本は、こっちじゃなくて、シリーズものだから、こっちなんだよな。と思い、素早く棚から、その本を抜き出して、お客様と店員の前に差し出すと、お客様は「これです」と喜び、店員も僕のことを見直した様子。それからは、相手の自尊心を傷つけないように、店舗で改善した方が良い点についても、やんわりと伝えて今回は引き上げることとしました。
山梨への日帰り出張は終了。これで、関東にある志夢ネット加盟店は廻っことになりました。

あとは宮城・福島のブックスなにわ、京都の丸善書店、奈良のラックス、兵庫のブックスアコードに早く行かねば。

と思っていたら、意外と早く関西に行く用事ができました。と言うのも、僕は志夢ネットの経営企画室長(部下はいません。ひとり部屋、というか部屋もないじゃん。自宅が事務所だから!)でありながら、日本書店大学の事務局も担当していました。日本書店大学の活動として、5月18日に会員30名を引き連れバスをチャーターして新大阪から橿原へ大移動。奈良のラックスを臨店研修することとなったのです。奈良と言えば古都。史跡もいっぱいありますが仕事で来ているので、何処にも行けません。しかし、ここで思わぬ再会がありました。ラックスの小西隆三さん。小西さんと初めてお会いしたのは、心斎橋にあった駸々堂の本部でした。僕は1988年(昭和63年)に明日香出版社に入社して、大阪や京都を担当しました。年4回は関西出張がありましたので、駸々堂全体を統括する小西さんにもお会いしていたのです。駸々堂は、2000年(平成12年)1月31日に自己破産しました。多くの優秀な人材が揃っていたゆえに残念でした。
その小西さんと再びめぐり逢い、一緒に仕事ができることは、心強いことでした。日本書店大学の研修は翌朝、奈良で解散となりましたので、僕は京都にある丸善書店に向かいました。
京都と言っても、日本海に面する京丹後市。福知山から北近畿タンゴ鉄道の宮福線に乗り宮津へ。そこからさらに1両しかないディーゼル車に乗り換え網野までの列車の旅。 大阪からも電車で2時間半の場所にある辺境の地とも言えます(地元の方すみません)。
どうせなら仕事ではなく、プライベートで来たかった。隣の宮津市には、日本三景のひとつ、天橋立があります。与謝野寛(鉄幹)晶子ご夫妻の歌碑も見たい。しかし、今回の弾丸出張では、史跡めぐりをすることもできません(泣)
社長の永井久仁明さんの車で、まるぜん書店網野店、野田川店、マイン店をご案内いただきました。京都市からも、電車で往復5時間かかるため、版元は勿論、取次の営業マンも来ない場所。当時の話ですが、この地には、コンビニエンスストアがないとのこと。つまり、雑誌を買う場所は書店しかないのです。おまけに小商圏とは言え、競合店もないのです。永井社長の話では、店の返品率は10%台。砂地に水が染み込むように、入ってきた商品は、ほとんど売れてしまうのです。つまり、もっともっと商品が必要なのです。

僕は、これこそが志夢ネットの価値であると思いました。例えば、一清堂のある場所も、駅からは遠い場所で、出版社の営業からすれば訪問しにくい場所ですが、地元の人たちで店は混雑しています。鴨川シーワールドがある鴨川書店も、競合がない地域です。山梨の天真堂書店も、山梨市、塩山市という(甲府市と比較して)小さな商圏にあります。競合がひしめき合い、血を血で洗うレッドオーシャンに対し、志夢ネットの店がある商圏は、謂わばブルーオーシャンなのです。
僕は、志夢ネットの未来に大きな期待を感じたのです。 

では、今日は、この曲で終わりにしましょう。
2004年のヒット曲で、オレンジレンジ「花」(作詞、作曲:ORANGE RANGE)

花びらのように散りゆく中で
夢みたいに
君に出逢えたキセキ.....


市川拓司『いま、会いにゆきます』(小学館2003年刊)の映画(監督:土井裕泰、脚本:岡田惠和、主演:竹内結子、中村獅童)のエンディング曲ですね。
この映画を劇場で観ましたが、この曲が終わり、館内が明るくなって、気がつきました。周りは、若いカップルでいっぱい。おじさんは僕ひとりでした(笑)

つづく

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