見出し画像

未来のために貧乏人にもできること

一人一人が小さくても良いから未来のために行動しよう。ごもっとも。ゴミの分別もその一つ。税金以外に有料ゴミ袋で追徴され朝の忙しい時間にゴミを分別する。この小さな負担と作業が未来の資源問題を解決する。正論だ。ただ、その旗振りの自治体が、そんな小さな努力を吹き飛ばす程の税金を使い、商業施設ばりの新庁舎建設に邁進していたりする。判然としないのは僕だけだろうか?しかも分別プラスチックはサーマルリサイクル(熱回収)という名目で燃やしてしまう。ちゃんとリサイクル(素材として再利用)すると、新しくプラスチックを製造するよりコストが嵩むので、燃やすのは正解に見える。ただ、リサイクルに熱心な国では、そのコスト高になる工程に雇用創出を充る。環境対策はお金がかかるのが当たり前で相応の負担を市民に求めるが、市民の雇用創出で還元している。でも新庁舎の建設は大して一般市民の役には立たない。行政は企業とは違う。貧乏人の僻かもしれないが、こういう不公平感が、未来のための小さな一歩に水を差す。思い切り環境破壊してきた先進国が途上国に環境保護政策を強いるのも、構図は一緒。適切な還元政策と対でなければ、途上国の努力は報われない。
だから、僕の小さな一歩は、行政や大企業の唱える標語からは距離を取りたい。その方法は「貧乏人らしく生きる」ということに尽きる。僕自身IT企業にいたのでCSR(企業の社会的責任)は良く心得ている。広い展望を持つのは大事だけど、個人が大組織のお題目に巻き込まれると、妄信しがちになる。達成感もなく長続きしない。いざという時に大組織のご都合に引きずられる。典型は電気への依存。スマホ然り電子レンジ然り。電子レンジは確かに便利。時短だしエネルギー消費も少ない。問題はそれ一択になること。大事故で電気が失われた場合、電子レンジやクーラーが動き続ける大電力の維持が大前提の判断の鵜呑みしかできなくなる。電気のない生活に戻れと言っているのではない。世界には常時給電されるのが当たり前でない生活をしている人が沢山いる。僕は、普段は電気が無くてもいつでも代替できる「ケの生活」を心がけ、「たまのハレ」には最新の文明を楽しむ、そんな貧乏生活をしている。だから私生活ではクーラーも電子レンジも使わない。車も持たない。代替手段の心構えがあれば未来のための選択肢が増える。ここに書くことで貧乏を楽しむ輪が広がれば嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?