ブルーアーカイブとマジックリアリズム
ブルーアーカイブが3周年を迎えましたね。
巷では、一時は低迷していたブルアカを救ったのはバニーとエデン条約編だなんて言われていますが、実際、バニーはめちゃくちゃエロいし、エデン条約編はめちゃくちゃ面白いです。
今回は、メインストーリー3章にあたるエデン条約編におけるブルアカ世界の謎について、物語の方法論の側面から考察したいと思います。
※以下、ネタバレ含みます。
マジックリアリズムとは
ブルアカでは、いくつか説明されていない謎が残っています。七つの嘆きやジェリコの古則、複製(ミメシス)、百物語(かいだん)などは具体的な説明はされていない、というより、ゲマトリア含めて現状の登場人物は詳細までは知らないようですね。
エデン条約編ではそのような謎は謎のままにストーリーが展開され、それを複数の登場人物の視点から見ることによって生まれる世界観が、章全体の魅力となっているように思います。
ところで、文学においてはマジックリアリズムという技法があります。マジックリアリズムがどのような技法なのか、それを詳細に説明するには骨が折れますが、私自身の理解としてすごく簡単に言うと、非現実的なものを現実的に描いたものが、超自然的な(=マジック)リアリズムです。
非現実的というとファンタジー小説が思い浮かびますが、マジックリアリズムとファンタジー小説は区別されます。非現実的なことが書かれた作品をファンタジー小説、非現実的なことを現実として捉えて書かれた作品がマジックリアリズム、という理解でよいのかなと思います。
そして、マジックリアリズムにおいてとても重要なことが、その非現実性(あるいは現実性)は、物語におけるその土地の神話や民話により担保されているということです。
難しい話になってしまうので、あえて語弊を恐れずに言うのであれば、マジックリアリズムとは、不思議な場所において神話や民話を基礎とした不思議な現象を現実として描く創作技法です。
そして、ここで話したいのがエデン条約編で登場するいくつかの謎については、このマジックリアリズムという技法を活かす形で構成されているのではないかということです。
キヴォトスと神話
マジックリアリズムにおいては、物語におけるその土地や地域での神話や民話が重要です。神話や民話では、有り得ないことが当たり前のように起きていて、そして、それは土地に根付いて語り継がれています。なぜならば、その土地においてそれらの神話や民話には一定の真実性が眠っているからです。
例えば、ある地域では村の奥の泉に近づくことは禁止され、近づいたものは妊娠してしまうという民話が語り継がれているとします。これは通常考えれば有り得ない話ではありますが、その実態としてはその泉には細菌が繁殖していて、泉の水を飲むと細菌性腹膜炎を患い、腹水が出来るためお腹が膨らんでしまうことからそのような民話が語られるようになった、と言われれば納得できます。
このように神話や民話には語り継がれていくうちに経緯や過程などは削ぎ落とされながらも一定の真実が隠されています。
ここで思い出してほしいのが、ブルアカ世界における神話や民話です。キヴォトスにおいて、いわゆる神話や民話に当たるものとしては、エデン条約編にて初出である"第一回公会議"が挙げられます。第一回公会議はトリニティ総合学園の前身となる三つの学園の和平及び統一を目的として開催されたもので、その後に各学園を統合する形でトリニティ総合学園は成立しました。
そして、ブルアカ世界における謎の一つである複製(ミメシス)は、この第一回公会議で策定されたルールを守護する組織である"ユスティナ聖徒会"の姿を模して顕現したのが最初かと思います。
第一回公会議がいつ開催され、ユスティナ聖徒会の活動時期がいつまでであったのかは、現状の登場人物にとっては過去の話であり、その実態を経験ないしは実感できている生徒はいないように思います。
少なくとも、シスターフッドにとってはユスティナ聖徒会こそが組織としての前身であるにも関わらず、史実の中での出来事であると認識されているようです。すなわち、それらはキヴォトスという土地においては神話ないしは民話として語り継がれているのです。
その第一回公会議を模して行われるのが、今回のエデン条約にあたります。そして、エデン条約を締結するにあたっては、シャーレの先生による宣言が、文字通りに実効的な効果をもって現実に影響を及ぼしました。また、シャーレの先生が宣言によってエデン条約を締結した際、先生によって条約上の解釈がねじ曲げられた旨のセリフがあります。
人の解釈が現実世界に直接影響を及ぼす、というのは些か非現実的な物語の展開ではないでしょうか。ブルアカはファンタジーな世界なんだから、といってしまえばそれまでですが、キヴォトスという不思議な土地、また、そこに根付いた神話と民話、それらを基にして生まれる不可思議な現象、これらをファンタジーだからで片付けてしまうのは勿体ないように思うのです。
シャーレの先生の解釈がエデン条約というあくまで条文上でのお約束に対して、現実的な効果を生じさせたというのは、ただのファンタジーとしてではなく、マジックリアリズムという非現実を現実として捉えるという創作技法によって、ブルアカ世界に物語上の一定の真実性を担保することが狙いだと考えるとどうでしょう。
これによってエデン条約やミメシスは神話や民話に留まらず、ブルアカ世界においては、実際の効力をもって現れることになります。それは、まだ説明がされていない七つの嘆きやジェリコの古則についても同様であると考えられます。
マジックリアリズムを用いた場合、ブルアカ世界における神話や民話を基礎としたいくつかの謎は現実に起こり得るものとなります。エデン条約は法的な効果としてではなく、現実における物的な効果として現れ、ユスティナ聖徒会という超自然的な現象を引き起こします。
キヴォトスという特異な場において神話や民話は空想上のものではなく、現実として表出するのです。
総合小説として
マジックリアリズムの方法論上の効果としては、神話や民話を基礎として一定の真実性を担保することで、超自然的な現象を現実のものとして描写し、ストーリーを予測不可能なものへと変えることができます。
しかしながら、エデン条約編における魅力はそれだけではないように思います。それは、ストーリーを各学園やキャラクター達の視点それぞれから描くことで、立体的な世界観の構築を試みている点にあります。
村上春樹はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を総合小説と評していて、春樹は、様々な世界観や登場人物それぞれの視点から描かれることによって表出する世界観を有する小説を総合小説であるとしています。
ブルアカを考えるにあたって村上春樹やドストエフスキーを持ち出すのは些か大袈裟な気はしますが、各学園や組織から語られる世界観と複数のキャラクターの視点から浮き上がる物語には、総合小説としての側面を持ち合わせているとも言えます。
トリニティ総合学園とゲヘナ学園、アリウス分校からはその対立の様相を、シスターフッドからはブルアカ世界における歴史観を、各キャラクターはそれらを踏まえた世界観を通した視点で語ります。
マジックリアリズムによって、ブルアカ世界では一定の緊張感を有した物語が語られ、それらは各キャラクターそれぞれの視点によって描かれるアイロニカルな語りでもあります。世界観としての一定の真実性は担保されながらも、各キャラクター視点での真実はそれぞれが個別的に有しています。
過ちによって奔走するしかなかったミカと、周りを信じることの出来なかったナギサには、それぞれの視点からしか見えてこない真実があります。
あるいは、ミカの認識とナギサの認識のズレを、あえてプレーヤーに認識させることで、私たちはそのズレによって生ずるすれ違いにハラハラさせられたままストーリーを進行することとなります。この視点による認識の差こそが、エデン条約編における物語の推進力なのです。
終わりに
ブルアカ世界がマジックリアリズムによって不可思議な現象を説明するのであれば、未だ全貌が明かされていない七つの嘆きやジェリコの古則は、物語上においては一定の真実性を有した状態で現れます。
そのような予測不可能な世界観の中では、各キャラクターにとって現実と非現実を明確に線引きすることはできず、それぞれの視点からそれぞれの真実を見出して新たな世界観を構築することになります。
エデン条約編の魅力というのは、こういった重層的な世界観によって生まれる物語の推進力によるところが大きいと思います。
エデン条約編の次はいよいよ最終章かと思いきやSRT編や百花繚乱編が始まり、今後はついに過去おじに触れる可能性も出てきました。過去おじといえばアビドス生徒会長がついに登場するのか、はたまた実は過去ではなく未来おじで、シャーレとの対立が描かれるのか。
どんな物語になるのかワクワクしますね!!!
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