2024.1.9「映画 Dr.コトー診療所を観た」「うつよりも早く歩け!」
「映画 Dr.コトー診療所」を観た
先日録画をした「映画Dr.コトー診療所」を観た。録画時間を確認すると、180分。なかなか勇気が必要な時間だ。
はっきり言って映画館に行かなくてよかったと思った。イライラする。そして、そのイライラは恐らく製作人が意図するイライラだろう。製作がアンチテーゼとして「みんなが今までよかったよかったと思いながら見ていたこの島の出来事は、すべてコトー先生の無理の上で成り立っていましたよ。この物語は、喜劇ではありません。悲劇です。さて、どう思いますか?」と視聴者へ問いかけている。だから、今までこのシリーズを追っていた視聴者は、途端に考えなくてはいけなくなった。シゲさんをはじめ、今まで「笑いどころ」として機能していたキャラクターの態度を。自然が豊かでのどかな島が抱える深刻な過疎を。
今回、島民は、いい塩梅で嫌な感じで描かれている。新しく来た先生の診察は受けたくないと診察に来たのに帰って行く患者たち。薬を飲まないみどりさん。彼女は避難所で寝たくなりという理由で嵐のなか自宅に帰ってしまう。老体なのに救助に出かけてミイラ取りがミイラになって帰ってくるシゲさん。特に、嵐のなかの診療所のシーンは、イライラを通り越して胸糞悪い。先生や看護師たちが救命にあたっているのがわかっているくせに、島民たちは「まだですか?」「この子、どんどん冷たくなる」「まだ見てもらえないんですか?」を繰り返す。そこには、譲り合う精神や、家族のように過ごしてきた島民を思いやる気持ちなどは少しもない。
新キャラクター判斗先生は、島民の態度や島の医療の仕組みたいして疑問を問いかける。180分の映画で、判斗先生が投げかけた問いに対して、ついぞ抜本的な解決は提示されなかった。コトー先生みたいな先生を探す。栄えているところに近隣の無医村のための病院を作る。それらの提案は、それぞれ問題を抱えている。
結局、スパーDr.コトー先生の神がかった手術で、その場しのぎの危機を脱して映画の幕は下りる。
映画が終わった後、あの島はどうなったのだろうか? コトー先生は死んでしまったのだろうか?
今回、恐らく映画で描きたかったであろう問いかけは、判斗先生の口を通して投げかけられる。作中で判斗先生はしつこいぐらいに「判斗でいいです」と口にする。
判斗。
「判」は、明らかにさせる。さばくといった意味がある。「斗」は、元々は単位だ。しかし、人名で使われる場合、北斗七星のイメージから無限の可能性を秘めた人間に成長してほしいといった意味合いで使われることがあるらしい。
今回、判斗先生が島民に投げかけた問いに対して、私たちは、たくさんの意見をもって考えなくてはいけない。そうすることで、コトー先生のような医者や、あの島で起こったようなことがなくせるはずだ。そういう願いをエンドロールを聴きながら感じました。
うつよりも早く歩け!
ここ最近、気持ちの沈み込みが恐ろしい。ルナルナ曰く「絶好調」らしいが、おかしいな。休みの日なのに何もできない。虚無。いつもの口癖をブツブツ言いながら丸くなる。
そういう日はお散歩をする。
ピクミンを立ち上げて、カマミクを流す。お化粧はしない。そんな気力はありません。
気持ちが沈んでいる時の定番コース。
①ホームセンターの動物たちに会いに行く。
可愛い。特に犬が好きだ。ふわふわした小型犬。トイプードルとビジョンフリーゼの女の子がとびきり可愛かった。まるでぬいぐるみみたい。なぜか分からないが、一生懸命、ベッドを移動させていた。そういう謎行動も含めて動物は可愛い。いつか飼えたらいいな。一緒にお散歩とかしてみたいな。
②美味しいご飯をテイクアウトする
今日は、お肉屋さんへ行った。以前から目をつけていたお店だ。目的は、そこで売っている惣菜品だ。「注文されてから揚げます!」。そののぼりに心惹かれた。
コロッケとメンチカツを買った。メンチカツは、歩きながら食べた。そういえば最近歩きながら物を食べている人を見かけない。蛮族だと思われてしまうかも。
コロッケは帰宅してから食べた。恐ろしく美味しいコロッケだ。次は、コロッケを2つ買おう。
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