何を信じたらいいのだろう

時代は刻一刻と変わる

人の考え方も変わる

そんなことわかってる


でも

変わってはいけないもの

変えてはいけないもの

不易なものは絶対にあるはず


それが例えば

道徳であり

倫理であるはず


その道徳と倫理、

人が人として生きていく

標(しるべ)を示すのが

教育であるはず


教育とは

家庭で家族で

学校でコミュニティで

教え・育てること

「知らない」子供達に

「知っている」大人達が

伝えること


「知らない」大人達も

「知らない」子供達と一緒に

「知る」こと


その教育が何かおかしい

最近何かおかしい


もちろん家庭環境の変化、荒廃…

家庭にも問題があることは否定しません


ただ

最近何かが

おかしい


メディアの発展と共に

露見しやすくなったからだろうか?

氷山の一角が見えやすくなったのだろうか?


それともやはり、教える側に歪みや不道徳さ、倫理感の欠如が増えたのだろうか?


とにかく本当に


学校や教職の不祥事が多すぎる

中には頑張っておられる先生もいるから…

いや、

もうそんな弁護も同情もしたくない


教育界全体の責任

子供達にとって

最も身近な大人は

親であり先生であるはず


その大人達

学校の先生を

信じられなくて

子供達は誰を信じたらいいのか?

子供達は誰に教えを請うのか?


例えば

教え子を性的対象とする教師…

敢えて鬼畜と呼びます

こんな人間に子供を預けてはいけない

預けるわけにはいかない

子供に接しさせてはいけない

不適格者

未来永劫の不適格者

教員免許再交付の議論をすること自体おかしい

鬼畜達は不適格なのだから

性的暴行は治りません

性的暴行は繰り返します

病気です

もう社会問題になってます



例えば

保身のあまり嘘をつく教師…

あなたは誰を見ているのですか?

なぜ子供達を見ないのですか?

子供にも嘘をつけと教えるのですか?

そんな人は不適格

教職を志した自分に嘘をついているんですよね…

国の盛衰は教育に有り

次代の人を育てる教育に有り


子供達は

間違えて当たり前

失敗するのも当たり前

出来ないことに苛つくのも当たり前

しんどいことをやらないのも当たり前

だから

間違えても間違えても

失敗しても失敗しても

子供達を信じて信じて

生きていくために「導く」ことが

子供達よりも先に生きてきた

「先生」であるはず

それは親もです

親も子供達にとって「先生」です


親も間違える

先生も間違える

子供達も間違える

別にいいじゃないですか

一緒に間違いを治せば

親と先生

家庭と学校

対等です

とことん話をすればいいんです

親と先生が間違い治す姿を

子供達は見てるんです

見たいと思ってるんです


教育は国の栄養

教育は国の血と肉と骨

時間は止まらない

子供達の時間は止まらない


今この時も

子供達が悲しんでいる

悩んでいる

子供達とその親にとっては

二度とない時間…


先生、あなた達にとっては

二度も三度もある時間なのですか?

学年が変われば

ゲームみたいに

リセットできるのですか?

教育が滅ぶ時

それは国が滅ぶ時

子供達は

何を信じたらいいのですか…

教えてください







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