絶対的安心

宗教的安心は絶対的な普遍妥当性の真実に裏付けされたモノでないと意味がないでしょう。そうでないと事情が変わるとその安心が安心でなくなるからです。それでは普遍妥当性の真実とは何でしょうか?それは、間違いなく人間の思想を超えたモノでしょう。思想はすべからく人間の頭の中だけで作られたモノです。人間そのものがこの宇宙の中のごく片隅にたまたま存在しているのは厳然たる事実ですし、その人間の頭の中で創造したモノが絶対的真理になるということは決してないのは明らかでしょう。絶対的なる真実とはこの動きずめに動いている宇宙でしょう。この宇宙自体が絶対的真実であり、人間はその絶対的真実の中で何かのご縁でこのようなすがたであるのす。自分だとおもっている自我もこの宇宙の中のことなのです。悩もうが悩むまいがそれすべては宇宙の中なのです。生老病死は人間の立場で見れば全てが一大事ですが、動き詰めに動いている宇宙全体からみれば宇宙の動きのほんと一瞬のことなのです。そのことに気づけば楽になるのではないかと思うのです。大乗仏教ではこの宇宙のことを仏といい、動きのことを法といいます。この宇宙とその動きのことをある老師は「宗教の風光」という言い方をしていましたが、全ての存在がこの宗教の風向のなかで遊ばさせてもらっていると気づけば事情が変わろうが何しようが揺るがない安心につながるのだろうと思います。一時的安心ではなく、絶対的安心。

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