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【連載小説】10 days (19/21)

11.十日目(月曜日)

11.1

「佑斗、さっさと朝飯を済ませて、燻製くんせいを作るぞ」
 後片付けを泰子に任せて、健一は準備に取り掛かる。
 健一はスモーカーを物置から取り出してきた。食用油の一斗缶を加工した健一のお手製だ。
 上段に魚を並べる網と、中ほどには脂受けのバット、下段はスモークウッドを入れる構造になっている。健一はそれを庭に設置した。佑斗は冷蔵庫から魚を取り出した。健一は次々に指示を飛ばす。
「佑斗、上の段の網に並べてくれ」
「今回は時間がないから、120℃くらいの高温で二時間ほど燻す『熱燻』という方法で作るぞ」
「スモークウッドに点火するから、温度計を見ていてくれ」

 如何いかんせん、煙がすごい。
 風に流された煙が佑斗を襲った。佑斗は目をしばたたかせる。
「ケンさん、煙いよ」
「燻製だからな」
「そうじゃなくて……」
 ごほ、ごほ。佑斗は咳き込んだ。
「これじゃ、僕の方が先に燻製になっちゃうよ」
「お前、面白いこと言うじゃないか。120℃になったら教えてくれ」
 泰子は、そんな二人の様子をじっと見ている。

「ケンさん、120℃になったよ」
「よし。今九時だから二時間後の十一時頃には完成だ。何とか間に合いそうだな」
 火の加減をして、健一は食堂に戻る。
「佑斗、そんなに付きっきりじゃなくて、いいぞ。一休みしよう」

 佑斗は目をこすりながら外から戻って来た。
「佑斗、お昼過ぎには出たいから、準備しておいてね」
 泰子が事務的な声で指示する。
「ねえ、ケンさん、もう少しいてもいい?」
 佑斗は助けを求めた。
「俺は構わんが……」
 佑斗の顔がぱっと輝いた。
「ほら、お母さん、ケンさんは、いいって……」
「でも一旦帰りましょう。また来ればいいじゃない」
「うん……」
 佑斗はとぼとぼと部屋に引き上げていった。


「お前が帰国したら、聞きたいことがあったんだ」
 健一はコーヒーをれながら、
「えっ、何?」
「お前、電話で『あの子、お母さんだと負けちゃうのよ』って言っただろう。あれはどういう意味だ?」
「私、そんなこと言った?」
「ああ、確かに聞いた」
「そう。でも多分負けるのは佑斗じゃなく、私の方ね」
「どういうことだ」

「私が大学二年の時、妊娠して、結婚して、休学して、佑斗を産んだでしょう。そして、一年も経たないうちに別れて。何やってるんだってことじゃない。でもお母さんは何も聞かないし、何も言わないの。悪いことしたって反省しているわ。でもね、後悔はしていないの」
「俺達に対していいとか悪いとか、そんなことはどうでもいいよ。でもお前が後悔していなければ、それでいいんじゃないか。今のままで」
「でも佑斗には、父親がいないことを悪いと思っている」
 健一は黙ってうなづく。
「途方に暮れていた時、お父さんは、戻ってこないかって言ってくれた。一条の光が差した気がしたわ。私には佑斗がいるし、いつでも帰れる家もあるって。私は独りぼっちじゃないって、そう思えたの」
 健一は、今の泰子に働きながら子どもを育てるのは難しいと判断して、手を差し伸べただけだった。まさか泰子が大学に戻りたいと言ってくるとは思わなかった。
「この先一人で子どもを育てるには、安定した収入が必要だったの。それにはアルバイトやパートタイムじゃなく、正社員として働く必要があったのよ。そのために復学したかったの。佑斗をみてもらって本当に助かったわ。感謝している。今回もこうして面倒を掛けている。私って、まだまだ自立できていないなと、そのことが負い目と言うか、お母さんには頭が上がらないと言うか、そんな気持ちが負けるって言わせたのかも……」
「そうか。でもそんなことは、どうでもよかったのに。ただ俺は、お前と佑斗に、幸せになってもらいたかっただけだ」
「お父さん……。ありがとう」
 泰子は深々と頭を下げた。
「それとは別だが、佑斗が父親のことを知りたがっている。折を見て話してやってくれ」
「分かったわ」

 泰子は佑斗の様子を見に行った。
「どう?」
 佑斗は荷造りする手を止める。
「やっぱり、帰らなくちゃ、ダメ?」
「ダメよ」
 泰子は即座に却下した。
 ――父と一週間ほど暮らしただけで、この変わりようは、何? どういうこと?
 泰子は佑斗の変化に戸惑っていた。
 ――私ってそんなに無力? 頼りない?
 素直に喜べない自分がいた。
 ――成長したってこと?
 佑斗が急に遠くなった気がした。
 そんな諸々の思いがい交ぜになって、ついきつめの口調になった。
 佑斗はしぶしぶ作業を再開した。

 しばらくして佑斗はバッグを持って下りてきた。

 健一は佑斗を呼んで、スモーカーの蓋を開けて燻製の具合を確認した。
「うん。上出来だ。魚の表面が渋い飴色になったぞ。これで完成だ」
 健一はスモーカーから魚を取り出した。
「えーっ。これが燻製なの?」
 佑斗の目が輝く。手に取って、指で突いたり、臭いを嗅いだり。
「結構固いね。それに焦げ臭い」
「燻製だからな。これがまた、いいんだ」

「さあ、これを持って『サクラ』に行くぞ」
「じゃあ、佑斗、荷物を車に載せて」


 昨日と同じ駅近くの駐車場に車を止めて『サクラ』まで歩いた。

 健一がドアを押し開けると、ママと源三が同時にぱっと振り返る。
 源三は、おうっと手を上げる。
「夕べは、楽しかったわ。ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、楽しい一時を、ありがとうございました」
 挨拶が終わるのを待って、健一が紙袋を差し出した。
「ママ、これ」
「今度は、何なの?」
「燻製を作ってみたんだ」
「まあ、燻製なの。ケンさん、意外と器用ね。前からこういうの、作っていたの?」
「ああ、自分用にね」
「俺の分もあるんだろうな?」
 源三が口を挟む。
「これはない。残りは佑斗と俺の分だ」
「まあまあ、源さん。私がもらったのを少し分けてあげるから」
 むくれる源三をママがなだめた。

  冗談も馬鹿話も飛ばない静かな昼食だった。

「佑斗、圭太の友達になってくれて、ありがとうよ」
 源三がぼそりと言う。
「僕も、友達ができて嬉しいよ」
「圭太から聞いたよ。バーベキューに両親を誘うように言ってくれたんだって」
「いいえ、僕は……」
「分かってるよ。ケンのヤツの入れ知恵だろう。ついでに、ありがとうよ」
「お礼は直接、俺に言え。お前、相変わらずひねくれてるな」

「でも、何だなあ。短かったなぁ。佑斗が来て、お前も楽しかっただろう?」
「いいや。とにかく大変だった。こいつが来てから、周りで色んなことが起こった。ほとほと疲れたよ」
 佑斗がママをちらっと見ると、可笑おかしさをこらえきれない様子だった。その一つをやらかした張本人なのに、全く憎めない人だ。
「でも遭難騒ぎには驚いたよ。無事でよかったけど」
「そうだな。あの時、お前が圭太の側にいてあげたいと言った心意気には、俺はしんから感服したぞ」
「俺もだ。今日は圭太にも声を掛けたんだが、あいつ、父親を手伝うと言って、出て行きやがった」


 泰子が頃合いを図っていると、ばたんとドアが開かれた。
「間に合ったーっ?!」
 夏美が飛び込んできた。
「師匠、どうしたんだ?」
「圭太も連れて来ようとしたんだけど、中々頑固で……。お父さんは行っていいと言ってるのに、圭太は聞かなくて……」
「別れが、嫌なんだよ。それらしいことを言うのも、何か照れくさいしな」
 健一は物分りがいい所を見せる。
「はい、これ。夕べ圭太のお母さんが撮ってくれた写真。大急ぎでプリントしてもらったの」
 夏美が真ん中で、両側に佑斗と圭太が並んだ。三つの顔がほころんでいる。
「ありがとう」

「そろそろ失礼します。皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
 いつまで経っても切りがない。泰子がいとまを告げた。
「お母さん、僕、もう少しいちゃあ.ダメ?」
 佑斗の名残なごりは尽きない。
「その話は、後でね」

「じゃあ、またね」
 夏美は笑顔で別れを告げた。
「うん、また」
 小声ではにかむ。

「ユウくん、また遊びに来てね」
 うん。ママが目に一杯涙を溜めて抱きしめると、途端に佑斗の顔が歪む。

 源三は何か言うと声が震えそうで、口をへの字にして押し黙っていた。
 佑斗は歯を食いしばって耐えている。

「お父さん、本当にありがとう」
「うん。佑斗、またな」
 佑斗は下を向いたまま肩を震わせた。

「佑斗。ルールその十だ。男だったら、人前で涙を見せるな。滅多なことでは泣くんじゃない」
 佑斗は顔を背けて手の甲でそっと頬の涙を払った。
「ルールその九が抜けたよ。ケンさん、忘れたんでしょう」
「いいんだ。十だと、ちょうど切りがいいだろう」
「変だよ」
「また来たくなったら、いつでも来い」
「うん」

 健一のせ我慢もそろそろ限界に近い。
「じゃあ、もう行け。気を付けてな」


 健一は坂道をぶらぶら歩いて帰る。

 そう言えば、佑斗のヤツ、来た頃はへろへろだったのに、いつの間にか俺を置いて行くようになってたな。
 もう酔い潰れても迎えに来てくれるヤツはいないんだな。
 もうママにお昼を食べさせてもらう理由もなくなったな。
 でも、これでやっと元の生活に戻ったんだよなぁ。

 家の中に入る。静かだ。自分が立てた音以外はしない。
 見回すと家の中が広くなった気がする。不意に寂寥せきりょうを覚えて「おーい」と呼んでも、返事する者も、「何?」と駆けて来る者もいない。
 ――これが普段の生活なんだよな。
 今まで、こんなこと意識したこともなかったし、考えたこともなかった。

 ――あいつら、ばたばたして帰ったから……。
 忘れ物はないかな。佑斗が使っていた部屋に入った。
 きちんとベッドメーキングしてある。使ったシーツとタオルケットは畳んでベッドの上に置いてあった。
 ――あの野郎、俺の言い付け、きちんと守りおって。
 鼻の奥がつーんとなった。

 冷蔵庫を開けると中にオレンジジュースのパックがある。振るとまだ半分近く残っている。
 ――あいつに持たせればよかったな。甘いのはちょっと苦手なんだが……。
 コップに注いで飲むと、少し苦く感じた。


 ――もうそろそろ家に着いた頃かな。
 健一は電話を待ってまんじりとしていた。

 黒電話がけたたましい音を立てた。健一は飛びつくように受話器を取る。
「あっ、先生。美咲です、つくも出版の」
「何だ、君か」
 健一はあからさまにがっかりした声を出した。
「何だ、君かって。先生、ご挨拶ですね。誰かを待っていたんですか? そう言えば電話に出るの早かったですものね」
「何か用かい?」
「いえね、次の原稿はどんな感じかなと思いまして……。もうユウ君は帰っちゃいました?」
「ああ、三時間ほど前にな」
「先生、これで心置きなくお仕事できますね」
 美咲は、佑斗がいなくなって健一がしょげていないか、もしそうだったら元気づけようと電話をくれたようだ。
 このまま明るい美咲の声に包まれていやされていたい気もするが、この間にも泰子からの電話が掛かってくるかも知れないと気が気でない。
「私は、大丈夫だよ。心配無用だ」
「そうですか。では原稿待ってまーす」
 ありがとう。そそくさと電話を切った。


 だが、夜になっても、泰子からの電話はなかった。
 健一の心配をよそに『便りがないのは良い便り』ならぬ『電話がないのは無事に着いた証し』とでも考えているのだろうか。
 ――薄情な娘だ。他人の美咲君の方が、余程優しくて気遣いがある。
 気掛かりだが、健一は自分から電話するのは違うと思った。それに何より自分の弱みを見せるようでしゃくだった。


 健一は今夜は眠れそうにないなと思っていたが、いつしか眠りに落ちていた。

魚の燻製の作り方は、「手前板前」氏のホームページを参考にしました。

<続く>


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来戸 廉
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