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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】『クール・ストラッティン』、再び (7/8)
主な登場人物
石井健一(プー):ジェイQの元メンバー。サックス担当。プロのサックスプレーヤー。
川口景子(ママ):ライブハウス『ジョイ』の経営者。
笠井三郎(サブ):ジェイQの元メンバー。ピアノ担当。ガンのため死亡。
安田久雄(ジョージ):ジェイQの元メンバー。ドラムス担当。安田運輸株式会社社長。
米田正志(マーシー):ジェイQの元メンバー。ベース担当。トラックの運転手。運輸会社勤務。
7.追悼ライブ 準備
追悼ライブの当日。
午前中は何とか小康を保っていた空だったが、昼過ぎからポツリポツリと滴を落としてきた。
「こりゃあ、サブの涙雨だな」
店の外で、立て看板に開演時間の案内を貼っていた石井が空を見上げた。
「案外、一緒にやれない悔し涙かもよ」
景子はドアから顔だけ出したが、風の冷たさに身震いすると中に引っ込んだ。
店内では常連の吉田と佐藤が機材のチェックに忙しい。景子は側に行って労いの言葉を掛けた。
「ヨシさん、いつも悪いわね」
吉田はミキサーを引き受けてくれる。去年還暦を迎えた。小柄で無口な吉田は笑顔で応えた。
「佐藤さん、お疲れ様」
照明は、二十数年来、佐藤が担当してきた。長身の佐藤は来年古希のはずだが、元気でおしゃべりだ。景子は吉田と足して2で割ったぐらいが丁度いいといつも思う。
「二十数年ぶりに『ジェイQ』の演奏が聴けるんだ。興奮して夕べから眠れなくてさ」
「体に悪いわよ。無理しないでね」
「なあに、ママの嬉しそうな顔が最高の薬さ。ただ解散ライブのことを思い出して、少し妬けるけどね」
「嫌ねぇ、佐藤さんたら」
笑いながら景子はステージに足を向けた。
「あのう、川口さんですか?」
久しく名字で呼ばれたことがない。振り向くと、知らない青年が立っている。前に会ったことがあるような気もするが、自信がない。小さく頷く。
「自分、安田久雄の息子でケンジっていいます。親父が、いつもご迷惑掛けてます」
ジョージの本名が安田久雄だったのを思い出すのに、多少時間が掛かった。
「えっ、あら。ジョージさんの。そういえば、若い頃に雰囲気が似てるわ」
健司が小声だったので、景子も声を潜めた。
「あの、ジョージって、親父のことですか?」
「そうよ。バンドの頃は、みんなそう呼んでいたの。目はお父さんだけど、口元はお母さん似かしらね」
「お袋もご存じなんですか?」
「あの頃、ジョージさんには、熱烈なファンがいたの。それが、あなたのお母さん。あっ、いけない。年取ると無駄口が多くなってね。それで、私に何かご用?」
「自分にも、何か手伝わせてもらえませんか」
健司は、またぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、大助かりよ。ジョージさんから、頼まれたの?」
「いいえ、親父には内緒です」
「そう」
「自分が知ってる親父は、いつも仕事が終わったら酒ばかり飲んで、それしか楽しみが無いのかって。そんな親父が、180度変わったんです。それが、二ヶ月ぐらい前です……」
□
ジョージが駐車場の隅にある休憩所の中に太鼓やシンバルを運んでいるのを、妻の美幸が目を細めて見ていた。
「あれ、何?」
「ドラムよ」
「それくらい分かるよ。一体何が始まるの」
「さあ、何かしら」
美幸は、少し熱を帯びた目をしている。
その日、ジョージは酒も飲まずに夜中までドラムを一所懸命磨いてた。次の日から、早朝のランニングと仕事の後の練習が、ジョージの日課になった。
ただ練習が始まると、健司の部屋から離れているとはいえ可成り五月蠅い。
健司は、文句を言おうとドアを勢いよく開けた。その時、父親の真剣で、それでいて楽しそうな顔が飛び込んできた。そんな姿を見たことなかった健司は、言葉をなくして立ち尽くしていた。
「ん? 何だ、何か用か?」
「別に。明日の現場遠いんだろ、いい加減にして早く寝なよ」
それだけ言うと、健司はドアを閉めた。
「何だ、変なヤツだな」
ジョージの声が弾んでいたのは、練習で息が上がっていたからだけではなかった。
□
「それからといいうもの、お袋も何となくうきうきして、機嫌がいいんです」
「そう、よかったじゃない」
「あんな親父の姿、初めてで。お袋から、昔バンドでドラム叩いてたって聞いて、急に親父のことが知りたくなりました。自分も何でもいいんで、ライブの手伝いをさせて下さい」
「じゃあ、玄関口を飾るのを手伝って」
「はい。あっ、それから一つだけ。何で、親父はジョージなんですか?」
「聞きたい?」
「はい」
「それはねぇ……。やっぱり止めた。本人に教えてもらって」
外での作業を指示し終えた石井はコートを脱ぎながら、ステージの飾り付けをチェックしている景子の横に立つ。ジョージとマーシーは楽器の手入れに余念がなかった。
ステージ後ろの壁にはグレーの布が引いてある。上手にドラムス、下手がピアノ。サブがいない分ベースとサックスは下手寄りに立った方がいいかなと石井は思った。
ピアノの前に移動する。イスにはサブの写真が立て掛けてあった。
サブの演奏中に右斜め後ろから撮ったスナップショット。サブは少し背中を丸めてピアノに向かっている。LPジャケットみたいだとサブはとても気に入っていた。これを遺影に使った。
石井は写真に掛けられた花輪飾りに気づいて、
「これもいいねえ」
と景子を振り返った。
「それは私じゃないの。さっきね、生徒の一人が持ってきてくれたの」
景子は先程彼女から聞いた話を繰り返した。
「笠井先生は部活の時、決まってピアノの上に写真を立てるんです。
ある時、それを見て、誰だったか何とはなしに、『先生、この写真は何ですか?』って尋ねたんです。
『私は、学生の頃、ジャズのバンドを組んでいたんだ。ほら、この人、石井って言うんだけど、今でもプロとして活躍しているんだよ』
先生の顔がパッと輝いて、思わず声にも力が入ったんですけど、私達は、お互いに顔を見会わせて小さく首を振るだけでした。
『そうか、テレビに出ないから知らないか。まあ。仕方ないね』
少しがっかりした様子でした。質問しなければ良かったかな、そんなちょっと重い雰囲気が漂い始めた時です、先生があの曲を弾き始めたんです。
その時は曲名が分からなかったんですけど、何だかお洒落でコミカルな感じの曲でした。少し前屈みで、上体を揺するようにしてリズムを取って。先生のあんな生き生きとした姿、初めてでした。
意外でした。いつもの、背筋をぴんと伸ばして静かにピアノに向かう、ちょっと気取った感じからは想像もできなくて。でも、私は、あの先生の方が好きでした。あっ、その、変な意味じゃなくて……。
その後、私達の求めに応じて、続けて何曲か弾いてくれました。
それからも、何度となく、色んな曲を弾いて下さいました。その中でも私は、やはり最初に弾いて下さったあの曲が好きです、クール・ストラッティンって曲が。
ある日の放課後、いつものように、あの曲を弾いて貰っていたんです。先生、ピアノを弾いてる手を突然止めて、
『あーぁ、またあのメンバーで一緒に演奏たいなあ』
って、ぽつりと仰って。その時、上手く言えないんですけど、とても大事な思い出を、どこかに置いてきちゃったんだなって、感じました。
あっ、生意気言って、すみません。そろそろ行かなくっちゃ。今日の演奏、楽しみにしています」
「それって、解散ライブの打ち上げで撮ったやつだな」
「そうね。サブさん、またみんなと演奏したかったのね」
「皮肉だよな、亡くなった後でしか、サブの気持ちが分からないなんて」
石井が呟くと、
「違うわ。亡くなったから気づくことができたのよ、そのことにも、それ以外のことにも。だから残された者は、おざなりにして来たことに、ケリを付けなくちゃいけないの」
といつになく厳しい口調で言う。思わず石井は景子を見た。サブに叱咤されている気がした。
今朝、石井は不安を抱えながら『ジョイ』に来た。
というのも、一度も自分の耳で二人の仕上がり具合を確かめていなかったからだ。どうしても都合が付けられず戻れなかった。景子から随時二人の状況報告は受けていたが、それだけでは安心できない。場合によるとソロは自分だけだなと諦めていた。
二人はすでに来ていた。二人の目の輝きを見て不安が少し和らぐ。石井は二人とがっしり握手を交わした。
ジョージの手に巻かれた白い絆創膏。マーシーの、何度も肉刺を潰してぼろぼろになった指先。石井は景子の目と耳を信じてみようという気になった。
「どう?」
振り向くと鬼コーチが腕組みをして立っていた。
「うん。少し安心したよ」
石井が正直な感想を述べると、
「少しだけ?」
と不満の色を浮かべた。二人は芝居気たっぷりの景子に白い歯を見せた。
「あっ、そうそう。こっちに来て。サブさんからの預かり物、忘れないうちに渡しておくわ」
景子は石井の腕を取って控え室に引き込むと、預かっていたレコードを石井に渡した。
手に取るとレコードジャケットが少し膨らんでいるのが分かる。そっと傾けると中から手紙が出てきた。表書きは几帳面な字で石井健一様と書いてある。裏には笠井三郎とあった。
景子はさり気なく席を外した。石井は徐に封を切った。
『君が、この手紙を読む頃には、僕はもうこの世にいないだろう。これは、僕の遺言だ。だから繕わず、本心を書く。
僕は、バンドがあんな形で解散したのを、悔しいと思ったことがある。恨みに思ったことも。が、同時に、ホッとしたのも事実だ。僕には、自身の暴走を止められそうもなかったから。今は、感謝している。
また、恥ずかしい話だが、君の活躍を妬むあまり、ブームが去って苦しむ君に手を差し伸べてやれなかったこと、本当にすまなかった。許してくれ。その後、再び君の輝く姿を目にし演奏を耳にする度に本当に嬉しく思ったものだ。
君と一緒にやれたことは僕の誇りだ。ありがとう。面と向かっては言えそうもないので、手紙にしたためた。
追伸。このレコードは、君が持っていてくれ。もっと早く渡すべきだった。
笠井三郎』
短い手紙だった。二十年以上経って知らされた友の気持ち。石井は何度も読み返した。熱いものが紙面を濡らす。手紙を握りしめた手が震え、食いしばった口から嗚咽が漏れた。
「気付けに、一杯飲む?」
頃合いを見て、景子が声を掛けた。ハンカチをそっと渡そうとすると、石井がぽつりと言う。
「サブのお父さんは、ジャズピアニストだったんだ」
「えっ、ホント? 初耳だわ」
景子は目を丸くした。
「解散ライブの次の日だ。退学届けを出した後、俺は部室に顔を出したんだ。サブがいてさ、色々話してくれたよ……」
□
軽音楽部の前に立つとピアノの音が漏れて来た。そっとドアを開ける。ピアノの前にサブがいた。空気の流れで気づいたのかサブが振り向く。
「退学届けを出してきたところだ」
石井が言うと、
「いよいよだな」
と手を止めた。石井は缶コーヒーを渡しながら、側の椅子に座った。
「じゃあ、成功を祈って乾杯」
ゴクリ。コーヒーを飲む音だけが妙に大きく聞こえる。三年間の学生生活の可成りの部分をすごした部室。石井はその壁を漠然と見ていた。サブも同じ方向を向いている。だけど石井には二人がもう同じものを見てはいないのが分かった。それでも不思議と何の感情も湧いてこなかった。
サブは飲みかけを足元に置いて撫でるように鍵盤を叩き始めた。
「景子のことだけど……」
石井は意を決して口を開きかけたが、サブはそれを遮った。
「父はジャズピアニストだったんだ」
「えっ」
石井は驚いたが、サブは構わず話を続けた。
「いつかスポットライトを浴びてやる。いつも、そんな夢みたいなことばっかり言っていたよ。当然、家のことなんか顧みないし、収入なんかほとんどなかった。母が教師やっていたから、それで何とか食っていけたけど。父がコンサートで地方に行く度に、母がどこからか工面して金を渡してたよ。そのせいでいつも火の車だった。だけど僕はそんな父が大好きで、地方での話やコンサートの話を聞くのが楽しみだったんだ」
「……」
「二間しかない狭いアパートだったけどアップライトピアノが置いてあってね。ピアノは父が教えてくれたんだ。四歳の頃からかな。いつもは優しいんだけど、その時だけはとても厳しくてよく怒られた。殴られたこともある。でも不思議と止めたいとは思わなかった」
「……」
「結局、父は夢を叶えることなく死んでしまった。僕が小学五年の時だった。アパートで簡単な葬儀をやったけど、両親とも勘当同然だったから、家族は母と僕の二人きり。母の友人と父のバンド仲間達が来てくれた。お経の代わりにジャズが流れていて、何だかそれがとてもお洒落で、父を送るには実に似つかわしいと思ったのを覚えている」
サブの柔らかなタッチで緩やかに奏でる曲が『クール・ストラッティン』だと気づくのに少し間があった。いつもとは全く違うアレンジだった。もの悲しい調べに聞こえた。
「それからというもの、母は女手一つで僕を育ててくれたよ。まあ、元々母子家庭みたいなものだったから生活自体はほとんど変わりなかったけどね。僕は母の期待に応えようと勉強に励んだよ。
鍵っ子って言うんだっけ、一人で親の帰りを待つ子供は。部屋にポツンといると、無性に寂しくなる時があるんだ。そんな時ピアノに触れていると父に甘えているみたいで気持ちが落ち着くんだよ。鍵盤を叩くと父が話しかけてくれるみたいでさ。
もっとも、母が家にいる時は、音楽の話もしないし、ピアノに触ることもなかった。子供心にも、そうしてはいけないと感じたんだろうな。僕は、母の前では一度もピアノを弾いたことがないんだ。
母も、留守中に弾いているのは知っていたはずだが、そのことには一切触れなかった。反対することが、逆に僕に火を点けるんじゃないかと恐れていたのかも知れない」
「……」
「でも、不思議だったな。あの頃、生活は決して楽じゃなかったはずなんだが、母は決してピアノを手放そうとはしなかったんだ。あれは、いつだったかな。何で父と結婚したんだって、母に尋ねたことがあるんだ。
両方の親から反対されて駆け落ち同然で、着の身着のままで結婚して。結婚した後も苦労ばっかりで。それで幸せだったのかって。
だけど母は、ピアノの前に座ってただ笑っているだけで、幸せだったとも不幸だったとも答えなかったなあ。母はピアノを弾くこともなく、ただ鍵盤をそっと撫でていただけだったんだが、今でもその姿が記憶に残っている」
「……」
「僕が、音大を目指さずに、教育学部を専攻したのは、精一杯の母への親孝行さ。だから、せめて学生時代ぐらいバンドやっても許されるかなって。僕には、それが関の山さ。
僕にも父の血が流れている、ピアノに向かうとそう感じるんだ。このまま音楽を続けていったら、きっと僕は父と同じ道を走り出す。だから心残りはあるけど止めるにはいいタイミングだったよ。母に、二度も同じ思いをさせる訳にはいかないからな」
サブの告白は衝撃的だった。石井はサブの手から唯一とも言える楽しみさえも奪ったことを知らされた。
「父の夢と、母の願い。生きている人間は、死んでしまった人間には、どう足掻いても勝てないんだよ。だったら生きている人間の肩を持つしかないだろう」
サブの指が止まった。余韻が消えてから、サブは静かに蓋を閉じた。サブは、蓋に置いた腕の間に頭を沈めて、フーッと大きく息を吐いた。
そして足元の缶コーヒーを掴み、残りを一気に飲み干して立ち上がる。
「プー、一緒にバンドやれて楽しかったよ。頑張れよ。僕も陰ながら応援するよ」
サブは、振り返ることなく、部室を出ていった。
□
「今でも昨日のことのように覚えてるよ」
「そう。サブさんのお父さんも、ミュージシャンだったの。途中で諦めた父を持つプーさんと、最期まで貫いた父を持つサブさん。あなた達には、何とも不思議な縁があったのね。そうと分かれば、今日の追悼ライブ、絶対成功させなくちゃ」
さてと。景子は手をポンと一つ叩いて控え室から出て行った。
<続く>
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