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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係4 後編

3.再挑戦

 亜希子は仕事が終わると、大野屋に弥生を訪ねた。
 二人は互いの顔を見るや否や、
「チャレンジ精神が足りなかったのよ」
「小さく纏めすぎたわ」
 と同時に口をついて出た。
 表現は違うが同じことを言ってることに気づいた二人は、その場で笑い出した。

「亜希子さん、今日時間あります?」
「鉄は熱いうちに打てよ。やりましょう」


 水谷は作業場の片付けをしながら、弥生の笑い声を聞いてほっとした。水谷はあれからずっと弥生のことを気に掛けていたのだった。

 先日、水谷は社長から弥生が新製品の試食会を開くから参加してくれと要請があった。
 その時、社長から『獅子の子落し』をすると聞かされて、水谷は驚いた。
「何も、お嬢さんにそんなことしなくても……」
「いや、それではあいつのためにならない。親の贔屓目ひいきめかもしれないが、あの娘にはセンスがあると思っている」
「はい。それは私も感じます。お嬢さんの感性は素晴らしいと思います」

「うん。だから器用貧乏になってほしくない。多分今回の試作では失敗を恐れて、小手先で上手くまとめたような物を出すはずだ。それはそれでレベルは高いと思う。でもそれではだめなんだ。だからこそ一回千尋の谷に落とす」
「社長、それではお嬢さんが余りに可愛そうです」
「いや、そうじゃない。これくらいい上がれないようでは、どの道、大野屋を守っていくことはできない。その方が逆に可愛そうだ。だから、いいか。何か聞かれても、娘には一切助言しないでくれ。頼んだよ」

 水谷は弥生が生まれた時から知ってる。よちよち歩きの頃から彼の後を付いて回って、気づいた水谷を苦笑させた。小学生になると水谷の手さばきを食い入るように見ていたこともある。
 水谷が「やってみますか?」と水を向けると、目をきらきらさせた。ちょっと手解きすると器用にやってのけた。
「上手ですよ」
 水谷はおべっかではなく素直にめた。これがいけなかった。それからしばらくは「あれを教えて」「これはどう作るの?」と行く先々に付きまとわれて閉口したものだ。
 だが同時にそんな弥生を愛らしく思い、質問されることが嬉しくて、水谷はその都度丁寧に答えたものだ。弥生は根っから菓子作りが好きなのだろう。今では山口と同じぐらいの技術を身につけていると思う。

 そして、試食会だった。
 水谷は、一目見て出来は悪くないと思った。一口食べて美味しいと感じた。でも食べ終わった後に何か物足りなさが残った。これなら今のうちの商品の延長上にある。つまり、ちょっと手を加え、目先を替えただけに思えた。水谷は、上手く言葉にできないが、社長が言う『それではだめなんだ』は、こういうことだったのかと理解した。
 水谷は心を鬼にして不可の評価を出した。
 ――それにしてもお嬢さんの涙を見るのは辛かった。

 そんな経緯いきさつもあり、弥生が助言を求めてきた時、社長からは口出し無用と言われていたが、水谷はつれなくできなかった。独り言と断って試食会の感想を述べながら休憩所を出ようとした時、弥生が深々と頭を下げる気配を背中で感じて、水谷は胸が熱くなった。


 弥生の笑い声を聞いて安堵あんどしたのは水谷だけではなかった。両親も祖母も例外ではなかった。
 特に楢崎は、その後の娘の動静には細かく気を配っていた。
 しばらく部屋でふさぎ込んでいた頃は流石に心が痛んだが、再び作業場に姿を現した時に目の輝きを見てほっとした。
 ――やっとトンネルを抜け出たようだ。

 その日から、弥生は試作に没頭した。亜希子も毎日のように会社帰りに立寄り二人で試食した。反省点を上げ次への改良に繋げるという作業を繰り返す日々。

 一週間ほどして、二人の明るい声が作業場に響いた。

 楢崎は夜中にこっそり冷蔵庫を開けた。中に三種類の試作品が、A、B、Cと書かれたトレーバットにきちんと並べられていた。
 楢崎はバットを一つずつ手に取り試作品をじっくり眺めた。荒削りな部分もあるが、力強さも感じた。
 楢崎は大きく頷いて冷蔵庫のドアを閉めた。

 次の日の朝、弥生が楢崎に再度の試食会を申し入れた。
「お父さん、もう一度、やらせて。お願い」
「社長、私からもお願いします」
 水谷が横から口を添えた。
 楢崎は、自分に向けられた娘の目に力がみなぎっているのに気づいた。
「いいだろう」
「では、今日の仕事終わりにお願いします」

 娘が去った後、楢崎は水谷に
「娘に何か言ったのか?」
「いいえ、何も。社長に止められてましたから」
 楢崎はじっと水谷を見ていたが、
「そうか」
 と作業場を後にした。ふうーっ。水谷はそっと息を吐いた。


 二度目の試食会に、志村老人も足を運んでくれた。亜希子が仕事終わりで到着したのを機に、試食会が始められた。亜希子は志村を認めると会釈をした。志村は一瞥いちべつしただけだった。

「見た目が大分変わりましたね」
 志村が目を細める。
「はい。冷やし汁粉はあくまでも概念で、新しいお菓子を作るという観点から挑戦しました」
 楢崎は、求肥の上に載っている胡桃くるみを指さして、
「これは前のには、なかったが……」
「はい。食感を楽しめるように、載せました」

「中にクリームが入っているね。あんとのバランスもいい」
「前作はミルフィーユにこだわり過ぎて、求肥と餡が同じ厚さでした。それでは餡が余り感じられず ”お汁粉” から離れてしまいます。そのため餡の厚さを倍にして、それだけでは普通のあんこ餅と変わりませんから、真ん中をくり抜きクリームを詰めてみました」
 弥生の説明にはよどみがない。

「大野屋さん、私はいけると思うが……」
「そうですね。まだ細かいところで修正は必要ですが、おおむね及第ということで……。お母さん、いいですね」
「ああ、いいよ。弥生、よく頑張ったね」
 弥生の祖母、澄江がねぎらった。

「本当に、ありがとうございます」
 弥生は満面の笑みで頭を下げた。
「お嬢さん……、よく……」
 水谷は感極まって顔をおおう。
「弥生さん、おめで……とう……」
 亜希子が涙ぐんでる。
「どうしたの?」
「だって、水谷さんが……」
「亜希子さんも、水谷さんも、泣かないでよ。私ももらっちゃいそうじゃない」
「私もお母さんも、お前に何も言えずに、苦しかったよ。でもよく頑張っ……」
 弥生の母、冴子も胸に迫って言葉が続かない。

「泣くのは、まだ早いよ。売れたわけじゃないからね。新商品の開発は難しいよ。千三つと言って、千品目出しても当たるのは三品目くらいだからね」
 澄江が静かな声でぴしりと締めた。

 ――どうも、こういう湿っぽいのはいかん。
 志村は小さく咳払いして、
「大野屋さん、いい後継者ができましたな。では私はこれで失礼しますよ」
 と引き上げて行った。


 製品版の味の仕上げは水谷に任された。水谷は、餡の甘さを抑えて、その分クリームを少し甘めにした。砕いた胡桃の大きさや量は試作品のままだ。
 商品名の『夏越るこ』は志村が揮毫きごうしてくれた。包装紙のデザインは亜希子と弥生が担当した。

 こうしてやっと『夏越るこ』が完成した。

 さて、この先は亜希子の仕事である。県内の道の駅を回って交渉し、菓子売り場に置いてもらった。但し一定の期間内に指定以上の売り上げがないと、売り場から外される。
 何としても短時間で知名度を上げる必要があった。
 その対策として弥生がインフルエンサーマーケティング会社というのを探してきた。AIの画像や言語解析で商品に合うインフルエンサーをマッチングしてくれるそうだ。これを利用することにしたらしい。

 お陰を持って『夏越るこ』は少しずつ売れ行きを伸ばしているそうだ。

 ところで試食により増加した亜希子の体重であるが、『夏越るこ』のPRため東奔とうほん西走したことによりほぼ元に戻った。だが亜希子の悩みはまだ解消していない。というのは顔と首回りはすっきりしたが、下半身は元のままなのだ。減量が必要ない胸まで痩せてしまった。
 それもあって、大野屋からお礼に一年分の『夏越るこ』を提供する話があったが、丁重にお断りした。


 今回のことで亜希子の評価が上がった。周りの見る目も変わった。
 何より自分の提案が形になった。しかもそこそこ売れていると聞いた。その結果に、亜希子は大いに満足している。

 何となく入社した観光協会だったが、水が合っているようだ。

 亜希子は初めてこの仕事を面白いと思った。

<終わり>


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