【短編】しわ
(4,738文字)
――あーあっ、また増えちゃったみたい。
鏡に映った目尻のしわを指先で伸ばしながら、私はため息をついた。窓から射す陽光が作る影で、際だって見える。この頃は日もだいぶ傾いて、かなり奥まで入るようになった。
やっと娘の結婚が決まって気が緩んだのか、結納の後、私は不覚にも二日間も寝込んでしまった。起き上がれるようになってからも、まだ外出する気にもなれなくて、今朝もまだ化粧さえしていない。
――少し気分を変えなくちゃあね。
私は気持ちを奮い立たせて、鏡台を開けたところだった。
そこにドアがいきなり開いて、娘が顔を見せたのだ。私はぎょっとして椅子から滑り落ちそうになった。一気に目が覚める。
「あら、起きてるじゃない。もういいの?」
間延びした声で、娘が聞く。
「もう、ミーちゃん、驚かさないでよ。心臓が止まるかと思ったわよ。まったく。ノックぐらいしなさいよ」
私は胸を押さえながら、椅子に座り直した。
「あら、玄関で結構大きな声、出したわよ。年のせいで耳が遠くなったんじゃないの?」
「まあ、ひどい言われようね」
まだ動悸が治まらない。
「でも、お陰様で、もうすっかりいいわ」
人は自分の顔や体の気になるところや嫌いなところは、他人のそれが気になるのか、無意識に目が行くようである。私の視線に、
「私の顔に何か付いてる?」
と聞く。ううん。私は鏡台を閉じる。
「さっきは真剣に鏡なんか覗いちゃって。あーあっ、しわが増えたな、なーんて嘆いてたんでしょ」
娘はずばっと痛いところを突いてくる。こういうところは夫譲りだろうか。回りくどい言い方をされるよりは余程いいが、今日はその気分ではない。
「誰かさんが苦労ばっかりかけるからでしょ」
「それは私じゃなくて、俊彦の方でしょ」
長男の俊彦は大学を卒業したものの定職にも就かず、アルバイトを転々としている。自分捜しだと言っているが、わたしにはよく分からない。あの子の人生なんだから、私が気に病んでも仕方ないことだと思う。うるさく言わないようにしているつもりだが、気持ちが顔に出る。うん、確かに眉間のしわは俊彦に大いに原因がある。
私は箪笥の上の写真立てに目をやる。夫と初めてのデートで行った遊園地。二つの若さが弾けているスナップ写真。夫の闘病中ずっとお守り代わりに財布に入れていた。角が擦れてボロボロになり、全面に折れじわができている。やっとこの間、それを元に戻したのだった。
――こんなおばあちゃんを、あの人、見つけてくれるかしら。
そんな私の心を見透かすように娘は、
「お父さん、お母さんのこと、分からないかもね」
またも私をドキッとさせる。
「その時は、仕方ないわね」
夫が逝ってから、早いものでもう二十年。私も五十を過ぎて、どうにもカラスの足跡を隠せなくなった。
「今日あたり、お天気もいいから、お墓参りに行って、あなたのこと、お父さんに報告しようと思ってるんだけど」
「そうこなくちゃ。その調子よ。お母さんが元気でいてくれないと、私、おちおちお嫁にも行けないじゃない」
「私がちょっと寝込んだぐらいで、何よ。今からそんなことでどうするの。結婚して家族が増える分、楽しいことや嬉しいことばかりじゃなく、悲しいことや辛いことも、それはもう、この先いっぱいあるんだから。そのたびに一々嘆いてたら、あなた、身が持たないわよ」
「あらあら、とんだ藪蛇だったわね。でもその調子だと、もう大丈夫ね」
「ミーちゃんも行くでしょう?」
「もちろんよ。俊彦も連れて行こうよ。荷物持ちぐらいにはなるわよ。どうせ暇してるんだから」
「まあ、ミーちゃんったら。さあて、こんなしわくちゃの顔でも、時々は見せておかないとね」
さてと。私は腿をポンポンと叩いて立ち上がる。
「大丈夫よ。お父さん、きっと見つけてくれるから」
先ほどとは真逆のことを言いながら、娘がそっと私の肩に手を置いた。そこからじわーっと何か温かいものが伝って、心に浸みていく。何の根拠もないんだけど、この娘に言われるとそうかなと思えてくる。不思議なものだ。
夫は、亡くなる一年ほど前から胃の不調を訴えていた。市販薬を服用する姿を目にするたびに、私はきちんと病院で検査を受けるようにと口酸っぱく勧めていた。
夫は仕事に感けてなかなか耳を貸さなかったが、流石に自分でもおかしいと思ったのか、やっと重い腰を上げて病院に行った。
一週間後、検査の結果を聞きに揃って病院を訪ねた。夫は期するものがあったのか、私をその場に同席させた。
命に係わる病の場合、直接患者自身には知らせず、家族への告知が一般的だった頃の話だ。夫は、万が一の時、私にだけ重荷を背負わせたくなかったのだろう。
夫は、事実をありのまま話してくれるよう医師に頼んだ。医師は逡巡していたが、やがておもむろに口を開いた。悪性の胃癌。しかも既に他の臓器にも転移が見られ、手の施しようがないと言う。三ヶ月、もっても六ヶ月。医師は余命をそう告げた。
私は目の前が真っ暗になった。余命という言葉が頭の中をぐるぐる回る。その渦に巻き込まれて押し潰されそうだ。その場に崩れ掛かった私を、黙ってぐっと抱きしめてくれた夫。私は夫の顔を見ることができなかった。
――もっと早く、首に縄を付けてでも連れて行っていれば……。
後悔が私を苛む。
「お前のせいじゃない。全て俺の責任だ」
夫だって、自分の運命を呪っているはずだ。悔しくて叫びたいはずだ。私が先に慟哭したものだから、夫はぐっとそれを飲み込んだ。
医者から今後の対応について説明を聞いた後、夫は抗癌剤や放射線による治療を拒否し、痛み止めによる緩和と対処療法の道を選んだ。できる限り普通の生活をし、できるだけ長く家族と一緒に過ごしたい。それが夫の願いだった。できる限り、できるだけ長く。しかし、その先にあるものが分かっているだけに辛い。
「それには相当の覚悟と忍耐が必要ですよ」
医師は決意を翻すように促す。しかし夫の考えは揺るがなかった。
帰りのタクシー内で、身じろぎもせず座っている私の背に夫が手を回す。私には、夫がいない世界など想像すらできない。
「大丈夫ですか?」
運転手が私に声を掛ける。私は病人と気遣われるほど思い詰めて蒼い顔をしていたらしい。
「一昨年亡くなった叔父の最期、覚えているだろう。体中にチューブを付けられて、ベッドに縛り付けられて。俺はあんな姿は嫌だ」
いくら覚悟したといっても、病の痛みや苦しみは想像を絶するものがあっただろう。しかし夫はそれに耐えた。
そしていよいよ普通に日常生活を送れなくなって、夫はホスピスに入った。
「パパ、いつ、おうちに帰ってくるの?」
俊彦はまだ五歳になったばかり。真っ直ぐな目が心に刺さる。私は顔を背けながら「もうちょっと先かな」と答えた。
日に日に痩せ衰えていく夫。ベッドから起き上がるだけでも息が上がるようになった。そんな夫を見るたびに、私は残された時間が僅かしかないことを嫌でも思い知らされる。私の闘いは、ややもすれば目を背けたくなるほどの痛々しい夫の姿を脳裏に焼き付けておくことであり、同時にそれが使命だと思った。
往復のタクシーの中だけが自分の感情を素直に出せる場所だった。降りると同時に無理矢理にでも笑顔を作る。
でも時折その笑顔が壊れそうになると、夫は枯れ木のような腕で黙って私の肩を抱き寄せてくれた。
子供達を寝かしつけた後、静まりかえった台所の隅で声を殺して泣く日々もあった。
ある日。トイレに起きてきた俊彦が、側に寄り添って小刻みに震える私の肩を抱きしめてくれたことがある。小さな手のひらだったが、夫と同じように温かかった。私は、なり振りかまわず、その小さな腕の中で号泣した。
「大丈夫、僕がいるよ」
俊彦は耳元で何度も囁く。悲しみと不安で拉げそうになっていた心が、少しずつ安らいでいった。たった一度きりだったけど、あの手の温もりと囁きは今でもはっきりと覚えている。
ずっと後になって、俊彦に「あの夜の事、覚えてる?」と尋ねたことがある。その時、俊彦はちょっと首を傾げた後、「覚えてない」と背を向けたものだ。
日々闘いだった。食欲はないけど食べないと体力が持たない。今ここで私が倒れる訳には行かない。コンビニで買ってきたおにぎりを囓り、機械的に咀嚼しては、お茶で胃に流し込んだ。
ふっと見ると湯飲みの中に茶柱が立っている。思わず頬が緩んだ。夫が死の床にあって、これ以上ないほどの悲しみに打ちひしがれているのに、それでもほっとした気持ちになれることもあるのだと、驚きと戸惑いを覚えたこともある。
残酷な運命を静かに受け入れていた夫だったが、一度だけ未練を覗かせたことがあった。
それはある日、夫の身の回りの世話を終えて、ベッドの傍らの椅子に腰を下ろした時のことだった。
「美鈴の花嫁姿、見たかったな。さぞかしきれいだろうな」
夫は浅い呼吸とともに吐き出した。
「二人のこと、頼む」
語尾が震えた。まだ小学四年生の娘を残して逝くのは、さぞ無念に違いない。夫はきつく歯を食いしばったが、固く閉じた瞼から一筋涙が流れた。私はハンカチで強く口元を押さえて嗚咽を堪えながら何度も何度も頷いた。
症状が悪化していくにつれ、痛みに耐えるための体力が削がれていく。もうモルヒネを使う段階に来たと医者から告げられた。混濁の中を意識が彷徨う日々が続く。痛みは生きている証し。夫が苦行から解放される日はそう遠くない。
子供達が、父親の死をどう受け止めたのかは分からない。特に幼かった俊彦は、まだまだ父親と遊んだり、甘えたりしたかったはずだ。
私自身も、ぽっかりと心に穴が開いたようで、途方に暮れたこともあった。
しかし現実は、私に悲しむ時間さえ与えてはくれなかった。
子供達が私を見ている。私を求めている。立ち止まることも許されなかった。私は母親として、時には父親として、大車輪で生きてきた。それでも時として心が挫けそうになる時は、闘病中の夫の凜とした姿を思い浮かべて、気持ちを奮い立たせた。あの夜の俊彦の小さな手が、心を温めてくれた。子ども達の明るさも大きな支えとなった。
お陰で、何とか今日まで頑張ってくることができた。
「それからねぇ」
んっ? 娘の声に引き戻される。
「自分じゃあ気がついていないだろうけど、私の性格、お母さん譲りなんだよ」
「えっ、そう?」
「そうよ。お父さんがこぼしていたの覚えてる。俺も、お前やかあさんみたいに楽観的だったら、どんなに良かっただろうって」
「まあ、何時そんなことを話してたの?」
「昔よ。だから、後のこと心配していないんだ。まあ、こんなに良くできた娘だから、寂しくなるのは仕様がないだろうけど」
「まあ、背負ってる」
そう言えば。この娘が選んだ相手も、どことなく夫に似ているような気もする。神代の昔から、こんな風にして、遺伝子はもちろんのこと、親の思いまでもが子ども達に受け継がれてきたのかしら。
私は何だか急におかしくなった。初めは口元が緩んだだけだったが、そのうち声を上げて笑っていた。
「ほら、ねっ。言ったとおりでしょ」
娘がしたり顔で笑う。