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【ショート・ショート】ある朝の情景
「もう、パパ。早く出てよね。急いでいるんだから」
ドアのノブが、ガチャガチャ鳴る。
「せかすな、今出る」
「早くしてよ、もう」
二階のトイレ。ドアの外では、まだ不満が足踏みしている。
「また本でも読んでるんでしょう。もう。持ち込まないでって、言ってるのに」
この騒ぎに、幸子を呼びに来た妻まで加わった。
「ここが一番落ちつくんだよな」
「朝は忙しいのよ。少しは、みんなの迷惑、考えてよ」
二対一では、私に分がない。しかも口数では十対一以上だろう。五月蠅さも相乗される。
「おう、スマン」
こんな時は、早々に退散するに限る。
「どいて」
大袈裟に鼻をつまみながら、娘が側をすり抜けた。邪険な態度にカチンときた。
「いつものことだから、分かってるだろ。待ってるぐらいだったら、下に行けばいいじゃないか」
「いやよ。また、そうやって開き直るんだから。パパが下を使えばいいでしょう」
「大して変わり映えもしないのに、化粧なんぞに時間を掛け過ぎるから時間がなくなるんだ」
「大きなお世話よ。あっちに行ってよ。もう、いやらしいわね」
バタンと、幸子はドアを閉めた。
毎日が、大概こんな感じで、我が家の一日が始まる。
私は自由業だから、朝早く起き出す必要はないのだが、どうも、お天道様と一緒に動き始めないと気持ちが悪い。
ある日。
夜遅くまで仕事をしていたせいで、少し寝坊した。いつものように本を携えて行くと、幸子がまたもノブに手を掛けてドアを叩いている。
「誰だ。ママか?」
「違うわよ、啓介よ。変なとこだけ、あなたに似たんじゃないの」
妻が、ダイニングから顔を出す。
「啓介、早く出てよ。遅刻するじゃない」
私は、苦笑いしながら、下のトイレに向かった。
「おい。早く、出ろ」
幸子は、まだドアを叩いている。
そのうち足蹴りに変わったようだ。
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