【連載】冷蔵庫と魔法の薬 (8)
8.睡余
「おはよう」
目覚ましに起こされて、二日酔いがのそりのそりと居間に入ってきた。案の定、ジャケットもスラックスもしわくちゃだ。
「俺、何時頃に帰ってきた?」
――私の苦労も知らないで。
環に悪戯心が湧いてきた。声を落とし気味にして、
「十二時過ぎよ。もう大変だったんだから。ニイニは私が寝ていたベッドに潜り込んできたんだから」
「えっ、嘘だろう?」
健二は、驚きと疑いが混ざった目で環の表情を探る。
「本当か?」
環はこくんと頷く。
「俺、その……、お前に、その……」
健二の声はもごもごと聞き取りづらい。
「何?」
「……何か……しなかったか?」
環が黙って両手で顔を覆うと、健二は一気に酔いが覚めた。
「えっ。酔っていたとはいえ、ごめん。本当にごめん」
健二は米つきバッタみたいに何度も頭を下げた。その度に頭痛に襲われるらしく顔を顰める。環はその様子を指の隙間から覗いて面白がっていたが、次第にかわいそうになってきた。
「嘘よ、嘘。ニイニはべろべろに酔っ払って、泥のように眠ってたよ」
それを聞いた途端、健二は床にへなへなと座りこんだ。
「何よ、そんなあからさまにほっとした顔、しなくてもいいじゃない」
環は膨れる。
「夕べはね、ジェニーさんがここまで送ってくれたの。私たち、すっかり意気投合しちゃって。彼女、明け方までいたのよ。ニイニによろしくって。コーヒー、淹れておいたわよ」
「ありがとう。後で連絡入れておくよ。いやあ、夕べは焼き鳥屋で飲んだんだ。三杯目あたりまでは覚えているけど、途中から記憶がないんだ」
「焼き鳥屋?」
「彼女、日本で会社を立ち上げるんだそうだ。俺も誘われたけど断った。そしたら時間が空いたから、俺がよく行く飲み屋に連れて行けって」
「ジェニーさん、本当にいい人ね。ニイニから、いろいろ話を聞いたって、教えてくれたわ」
「彼女、焼き鳥をうまいうまいって、焼酎もぐいぐい飲むんだ。それですっかりペースを狂わされちゃって」
「ニイニ、そんなに強くないんだから」
「あれっ。お前、帰らなかったのか?」
健二は、今初めて環がいることに気づいたようだ。
「今頃、そんなこと聞く? もう。あのまま帰れるわけないじゃない。私、おばさんに様子を見てくるように頼まれたのよ。だから女の人と一緒にお酒飲んでると知った以上、相手がどういう人か確かめないといけないでしょう。ここで待っていれば、その人に会える気がしたの」
「何、お袋もよけいなことを。でも俺は、嘘はついていない。本当に彼女とはビジネスだけの関係なんだ」
「もういいわよ。そのことはジェニーさんから聞いたわ。昔のことも含めてね」
「でも、よくお前と話が合ったなあ」
アメリカ人でバリバリのキャリアウーマンであるジェニーと、日本人で典型的な腰掛けOLの環との間でどんな話がなされたのか、健二にはまるで見当が付かなかった。
「ジェニーさんは、ニイニの恋人だったんでしょう? どうして別れたの?」
「どうして過去形なんだ? まだ現在進行形かも知れないじゃないか?」
「そうね。別に意識して過去形にしたわけじゃあないわ」
「そうだろう。焼け木杭に火がつくかも知れないし」
「ってことは、やっぱり別れたんじゃない」
環がころころ笑う。
「ねぇ、今度私も、その店に連れて行ってよ」
「ああ、いいよ」
健二はやっとコーヒーにありついた。
「ところで冷蔵庫の話って、何?」
<続く>