雇う、雇われるの構造をなくしたい

本当に好きな仕事や、やりたい仕事ができている人は極ごく稀で、尚且つ成功するにはメチャクチャ努力が必要だし努力とも思わないくらい夢中になることが必要だと思う。

それ以外の大半は、流れ着いて出来るようになった仕事を、この仕事が好きだと周りからも自分からも思い込まさせられる環境に立たされ、生活の為受け入れることになる。

正直そんな人たちに必要以上に多くを望む事自体がナンセンスだと感じる。

思い返さずとも人間の本質は未だ『楽』をすることだろう。そして自由でいたい事。

結局は仕事も楽するための手段で、人は楽するためのものを売り買いする。
傘だって濡れると楽じゃないから、タバコも吸うと楽になったり、携帯だってあると楽だから、鞄も服もなんでもかんでも。。。

でも楽で自由な仕事はまずない。
仕、とは仕える(目上の人のそばに居て、その用をする。その人を主君・主人でも楽な仕事はまずない。)ことを表す。

そのため仕事が好きだとかいうやつが大体嫌いだ。仕事は楽でも自由でもない。
制限された自由を楽しむ懲役兵の中でのお局の様にすら感じる。

管理者であれば、その人が1番楽で自由になれる手段を取るべきで、勝手なルールや制限の多い中で、やりたい仕事を聞くこと自体が傲慢で自分勝手にも思える。
何も知らない奴が個人のキャリア設計の一端を担えると思うことすらおこがましい。
例えは悪いが、塀の中でやりたい事を聞いたところで、答は塀を出ること。なら塀を出る為の更生手段と出た後の生活手段を本気で一緒に考えるべき。

その本質を無視した制限だらけの仕事上では無理矢理とる必要のあるコミュニケーションも自ずと嘘が多くなる。

乱暴過ぎる言い方をすると、サスティナブルだろうがシェアエコだろうがジョブ型だろうがDXだろうがAIだろうがロジカルシンキングであろうがなんだろうが、
引いて詰まるところ皆んなが楽して好きな時間に誰にも縛られず、好きな仕事をして、好きな時間に寝て、好きな人と好きなだけ遊んでいられて安全が守られれて、楽し続ける為に考えられたごくごく一部で、売り物にする為に命名されたただの言葉に過ぎないとも思えてしまう。

結論をいうと、皆んなが楽ができて個性にあってて稼げるプラットフォームを作りたい。
辞めても続けても好きでも嫌いでも自由に満足にご飯を食べれればそれでいい。

仕事 = ルールで縛り個性を奪う
仕事 = ルールを作り個性を活かす


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