心のなかにまだあるトラウマ的な感覚
生まれた時から、自分はまるで娼婦みたいな。
適切な表現かわからないけど、自己犠牲的に、いかに他人を精神的に気分良くさせるかが行動の基準になっていたから、そう表現するのが自分の中では適切に感じた。
ずっとご機嫌取り、こびへつらい。バレないように。本心からニコニコしてるつもり。本当に尊敬しているつもり。
そうやって自分の父親の機嫌をとってたんだ。今考えると気持ちが悪い、気分が悪い。
父親をはじめ、気難しそうな親族、学校の教師、自分よりも年上の人には同じように嫌われないように機嫌を取っていた。
「ずっと機嫌を取って生きてきたんだ。もう2度とやりたくない。」と言っても、周りの人は「機嫌なんて取らなくてよかったんだよ。自分が好きなようにのびのび生きればいいから。」って。
私は自ら、ご機嫌取りをやってたのかな。誰にも求められてなかったらしいのに、生まれた時から自己犠牲を始めてたなんて。
私の愛想笑いや褒め言葉を本気にして、本当に気分が良くなったりしている人には、男性が多かった。
女性は「しっかりしてるね〜。真面目だね。」とか言う人が大半で、私の気遣いや機嫌取りで気持ちよくなろうとする人はほぼ居なかった。
そういう点からも、私は自分のことをまるで娼婦みたいだったと表現したのかもしれない。
私が悪いのかもしれないけど、相手の話に興味あるフリをして相槌を打っていると、「気が合う」のだとか勘違いする人も多かった。(本来そう思わせて気分良くさせるのが目的だったから、当然かもしれない。)
おかげで私は、自分のことを気持ち悪い存在だと感じてしまう時がある。何より気分が悪いのは、このような他人に魂を売るような行動を「自分から」していた(らしい)ということ。
いまだに、どうやって「自分」として生きていけばいいのか分からないことも多い。
この記事を読んでいる人も、どうかただ1人の人間として愛され生き生きと生きていけますように。