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憂鬱な朝の目覚め

あと70年くらい生きるのか、と思ったら憂鬱な気分になった。毎日服を選んだり、髪型を考えたり、食べるものを考えたり、そういうことがとにかく面倒だと感じてしまった。時々そんな風に感じることがある。

そんな時にリリースされたYUIの新曲は驚くほどに若々しく希望に溢れた歌だった。ズバッと歌詞は胸に刺さらなかったけれど、ドキッとした。明日が来ることは当たり前ではなくても、それでもじっとしていても明日はやって来る。嫌でもやって来る。それもまた事実だから、日々に感謝し続けることもまた、とても難しいことのように感じた。この世界で生き続けていけるのかがとても不安だった。とにかくそういう日だった。

とてつもなく憂鬱な朝をどうやって目覚めようか、そういうことばかり考えながら夜に向かっていく。それはとても孤独で苦しい作業だった。

怖い夢にうなされて、目が覚めた最悪の朝だった。どんな夢だったかははっきりと覚えているけれど、到底言葉にできないような夢だった。こんな夢を見るなんて、わたしの頭の中がおかしいのではないかと思う。

物事のタイミングというものが近頃分からない。いつがいいときなのか、イケてるときなのか判断ができない。ここ最近の停滞の原因の大半はここにあるのかもしれない。

昔はタイミングなんて考えなくても、いつだって「今だ。」と思えたのだ。「今しかない。」といつだって思えた。それがどれほどに幸せなことだったのかは、当時は知る由もなかった。
歳のせいというほど、わたしは歳を重ねていない。臆病になる理由などどこにも見当たらない。

ただ、なんとなく、社会の目に映る自分が適切なのか否か、周りと比べて自分は良いか悪いかそういうことをどこかで判断しているような気も、する。立派でいたい。そう思っているのは小さな人間だからなのだと思う。

忘れないようにいつかのメモを。たしか友人と会っていたときに感じていたこと。

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本質的ではなかった、わたしにとって。今のわたしにとって、本当のことではない気がした。アプリで顔を加工することや、お酒をたくさん飲んで本音で話すことや、褒め合うことが本質的に感じられない。

本当のことは、今ここで目に映るすべてだけだということを訴えたかった。ここにある驚きだったり、哀しみの方が、本当は目を逸らしてはいけないことのような気がした。

苦悩が見えてしまうから、心から楽しいと思えない。自分だけは違うのだという偽善が打ち勝っていた。自分だけは特別だと思うようにしていたのだ。そうでありたかった。それは間違いだと分かっていながら、自分だけは違うのだと、思いたかった。そんなことを考えながら一刻も早く家に帰りたいと思うのは、久々のことだ。
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とにかく、日々に精一杯な時期なのだ。それでも続くわたしの人生を、生きるのはわたしだけだ。12月のはじまりに。未来に向けてわたしは書き続ける。

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Yuuri
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