<幼保無償化制度>共働き家庭の子供の進級先(④保育園を選ばなくて本当に良いか)
こちらはこの記事のマガジンの4回目で、3回目の記事の続きです。
前回の記事からの経緯
我が家は共働き家庭ではありますが、2020年度に年少を迎えた息子(第1子)の進級先は、保育園ではなく幼稚園にすることにしました。
ちなみに現在は1歳の第2子のための育休中です。
私の住む自治体の保育園事情としては、非常に優位に保育園に入ることができるにも関わらず、敢えて兄妹別園送迎といういばらの道を選択した経緯について、マガジン形式で綴っています。
初回にご紹介した章立ては以下ですが、本記事では「④保育園を選ばなくて本当に良いか」について記載します。
マガジンの章立て
【前編】入園前の話
①幼稚園を視野に入れたきっかけ
②私の仕事内容・働き方
③悩みに悩んだ子供の教育方針
④保育園を選ばなくて本当に良いか ←本記事はこちら
⑤別園送迎を乗り越えるための準備
⑥育休延長して育児に注力する決断
⑦まとめ(共働きで幼稚園を検討する方へ)
【後編】入園後の話
※実際に入園してから章立てを考えます。
■はじめに
こちらの記事では、前回の記事では幼稚園への進級を決めた経緯について記載したものの、本当に保育園を選ばなくて後悔をしないか、再度保育園の良さを振り返りながら、自分の決断に対する裏付けのような内容を書きます。
実際に息子を2年間保育園に通わせた経験から、働く母親にとってこれほどまで最適な環境は他にないことを重々承知しているからこそ、簡単に幼稚園への進級を決めることができませんでした。
幼稚園に入園する子供は、入園前に保育園に通っていた子も、通っていなく幼稚園で初めて集団の中で生活する子もどちらもいますし、最近であれば後者の保育園に通わなかった子はプレ幼稚園などに通って、少ない日数・時間から集団での生活を慣らして入園するケースも多いのではと思います。
前者の、保育園(小規模保育園)から幼稚園へ転園した身としては、実際通ってからも色々と落差を感じることはありますが、そのような内容については後編で記載できたらと思います。
④保育園を選ばなくて本当に良いか
0、我が家の前提条件
このマガジンの冒頭にも書きましたが、このご時世では大変ありがたいことに、3歳クラスの息子と0歳クラスの娘は第一志望の近隣の同一保育園に内定を頂くことができました。
説明会に2回も行くほど、近隣の保育園の中でも断トツに気に入っている、とても魅力的な保育園なため、こちらの保育園を辞退するというのはあまりにも勿体ない決断でした。
ですのでまず最初に、次節からは辞退した保育園の魅力的な点、しいて言えばやや気になる点について記載します。
1、辞退した保育園の、魅力的な点
・家から徒歩5分以内
・都内の割には広めの園庭(遊具付き)あり
・保育園に広い公園が隣接、自然環境が抜群
・もともと公立の保育園で、ベテランの保育士が多い
・栄養バランスの整った給食を自園調理(家政科系大学の監修)
・完全自由保育で、子供の自主性を尊重する方針
・子供が楽しめる行事やイベントも盛ん
はい、挙げてみても本当に魅力的で、何一つ不満はないのですが、無理やりネガティブな点を挙げてみるなら以下になります。
2、辞退した保育園の、しいて言うならやや気になる点
・父母会(PTA)があり、負荷が高いという噂
・3歳クラスの転園枠が少なく、持ち上がりの園児達と馴染めるかの不安
・「完全自由保育」の方針に対する、"自由" への漠然とした不安
では、上記の懸念点はどのように払拭できるのか、できないのか。
1つ目の「父母会の負荷」については、実際に通わせているママ友に聞いたところ、確かに現状は負荷があるために、今後はイベントを減らしたりして父母会の負荷を減らす方向になるとのこと。
2つ目の「子供が馴染めるか」については、実際に息子と同じ小規模保育園からそこの保育園に転園した1つ上の学年の先輩ママさんの話だと「思ったよりすぐに子供はすぐ馴染んだ」とのことなので、それほど心配する必要はないのかなと思いました。
3つ目の「自由保育への漠然とした不安」については、前回の記事で触れましたが、自由保育自体が悪いのではなく、機会の平等性の観点で、確率の問題から不安があるという結論に至りました。
しかし幼稚園を検討する以前は、むしろ逆に幼稚園のように親や先生が手を焼きすぎるのはかえって将来的に見たら子供のためにならないのではないか?と考えていたこともあったことを再度思い出し、この記事では再び「自由保育の保育園の良さ」について振り返りつつ、実際に園見学で感じたことも含めて以下に記載したいと思います。
以下では、「自由保育への漠然とした不安」を「どこまで自由?」と「幼児期にこそ教育を」と言うサブタイトルに分けて書いています。
【どこまで自由?】
→子供の意思を尊重するとは、どの程度まで許容されるのかが不透明
【幼児期にこそ教育?】
・脳の成長が最も著しい幼児期に教育の専門家による効果的な指導が欲しい
3、自由保育への漠然とした不安とは(どこまで自由?)
これは実際に何度も園に足を運んで感じたことなのですが、「自由保育」というのは、「各々の子供がどのような遊びをしても良い」ということだけではなく、「子供同士でトラブルが起きた時も、保育士が間に立ってそれぞれの子供の言い分を聞いて共感することがメインで、大人が両者に対してどちらかが良し悪しの判断を下さない」という方針も含まれているように感じました。
ここでは実際に園見学に行った時に、目の前で起きた出来事の例を書きます。
私が園長と会話していた時に、園児達が園長の前に来て突如トラブルになり、園長が園児達の間に立って会話したと言うシチュエーションです。
■園児間のトラブルの対応例
園児Aは自分が作った作品を手に持っていたが、隣にいた園児Bにその作品のことをけなされたので、園児Aは腹を立てて咄嗟に園児Bのことを叩いてしまいました。
怪我に発展するようなものではなく日常茶飯事どこでも起こりうるトラブルですが、園長はとても冷静に園児達にこのように言っていました。
(園児Aに対し)どうして叩いたの?
(園児A)これ(自分の作品)をけなされたから
(園児Aに対し)そうだね、せっかく作った作品をけなされて悲しかったんだよね?
(園児A)うん
(園児Bに対し)A君は自分の作品をけなされたことが悲しかったんだって。B君はどうしてけなしたの?
(園児B)(その理由は特に答えず)叩かれて痛かった
(園児Bに対し)そうだね、叩かれて痛かったよね
(園児Aに対し)B君は叩かれて痛かったんだって
という具合に淡々と両者の言い分を聞いて仲介するだけで、作品をけなすことが悪いとも、相手を叩くことが悪いとも言いません。
まだ幼い園児同士では円滑なコミュニケーションが取れないので、単に互いの気持ちを仲介して伝えてあげるだけで、そこから自分がこれをしたら相手がどう思うかを自分で学び、良し悪しを自分で判断できるようになるとのことでした。
なるほど。子供同士のトラブルに大人があまり介入しすぎるのは良くないというのには私も同感であるので、半分は納得しつつも、一方でこの指導方針が有効な子とそうでない子が出てきてしまうのでは?という疑問も私の中では湧きました。
「相手が悲しい気持ちになることはやめよう」と、全ての子供が思えるのでしょうかね?
これは保育士のこの指導自体が良い悪いと言う問題ではなく、家庭環境に大きく依存するものではないかなと私は思っています。本来であれば、人に暴力を振るうとか、相手が嫌な気持ちになることを言うのは良くないことだよ、という躾は、各家庭の保護者が第一人者として担うべきであると私は思っていて、ある程度(全部を家庭で躾ることも不可能だと思っています)は家庭で躾がなされていることが前提であれば、自由保育は子供の自立心を育む良い方針だとは思うのですが、残念ながら少なくとも私立等の入園に面接が必要などと行った特別な基準を設けていない普通の保育園では、色んなご家庭の子供が通うので、その前提を満たすのは難しいのではないかなと思いました。
もちろん、うちは家庭できちんと躾ているので、保育園ではのびのびさせても問題ないというか、むしろそうさせたいという親の言い分も非常に理解できるのですが、その親のお子さん自体は全く問題がなかったとしても、環境の問題で、そうではない(家庭環境に問題のある)同級生がいた場合に何かトラブルに発展して、いじめのような不当な扱いをされても、保育士が間に立つだけで実際にその加害する方の子供の問題行動を抑制することが機能しないことが想定しうるので、不毛にも被害者になってしまっては気の毒だなという心配があったりします。
まぁしかしこのようなことに関しては親により価値観が様々だと思うので、むしろそのような不条理なことにも小さいうちから免疫を持っていた方が、大人になってからたくさんぶち当たる理不尽な出来事にも耐性持って柔軟に対応できるのでは?という見解があるのもわかります。
本当にどちらが良いんでしょうね(笑)
少なくとも私は、あえてあまり小さいうちから多様性の理解を子供に求めて様々な人がいる環境に置くことには懐疑的に思っています。
4、自由保育への漠然とした不安とは(幼児期にこそ教育?)
次に、これは前回の記事の「7、自由保育の保育園ではなく一斉保育の幼稚園を選んだ理由」でも書きましたが、自由保育でも幼児教育は施されるけれども、「一斉保育のような意図的な幼児教育は無い」という意味で、以下には一斉保育で行われる幼児教育の具体例について書きます。
言い換えると、自由保育は意図的な幼児教育は無いけれども問題ないか?という話です。
「意図的な幼児教育」とは、一斉保育の幼稚園または保育園によって様々で、読み書きそろばん、ピアニカや鼓笛などの楽器演奏、絵画や工作、水泳や体操、英語などといったものがあると思います。
満遍なく様々な分野(運動・芸術・勉強など)の教育を取り入れている園もありますが、あまりにも「意図的な幼児教育」の時間が長すぎても自由遊びの時間が短くなってしまいますので、園によって力の入れる分野に焦点を当てて「意図的な幼児教育」を取り入れ、自由遊びとの時間もバランスよく取ってる園の方が多いような印象です。
私は、自由保育の時間が短くなってしまうのも子供の負担になるのでは?という考えから、後者の幼稚園に息子を通わせていますが、園選びをする時にどの分野を重視するか?と考えた内容は以下になります。
これは私の持論ですが、読み書き系のお勉強の類のことは就学後からのスタートでも問題ないが(文字数字程度なら親でも市販のドリルで教えることが可能)、情操教育や基礎的な運動能力は就学前にある程度基盤を作ってあげた方が、後々の人生で極めようと思った時に、基盤を作ってあげなかったのと比べて飛躍的に能力を向上させやすい、且つ、幼児教育の素人である私や夫が教えることが非常に困難なため専門機関に委託したい分野だなという考えです。
プラスαで言えば、言語能力(母国語の日本語はもちろんですが、特殊な国に住む予定はなく暫く日本に住むのであればもう一つは英語)も、就学前までに抵抗ない状態にしてあげられたらベストだなと思います。「抵抗ない」とは、「私は(少し)できるという自信がある」ということとイコールだと思っていて、なぜなら人間、全くできない事を好きになることは難しく、少しできるからこそ好きになる可能性が広がるものだと思っています。
当然、お勉強系もできるならやらせるに越したことはないと思いますが、私の場合は、情操教育や基礎的な運動能力よりは優先度が下がるなという考えです。
その軸で、「自由保育は意図的な幼児教育が無いけれども問題ないか?」の話に戻った時に、「無くても問題は無いけれども、経済状況や私の就労状況が許す限りインプットとして与えてあげたい」という結論になりました。
5、幼児期の情操教育を重視した理由
昨今では、AIで将来の仕事の一部は自動化されるなどとも言われますが、それでもこれからの時代に必要とされるのは、従来と変わらずそのような「速くて正確な処理能力」なのか、それとも機械での判断が難しい人間にしか持ち合わせない「クリエイティブな創造力」なのか。勿論両方あるに越したことはないけれど、私個人の判断としては、幼少期には(後天的に習得しにくくなる)後者の方を伸ばしてあげたいなという結論に至りました。
その理由は、いわゆる処理能力(計算力や記憶力など)を小さいうちに鍛えすぎてしまうと(全てのケースがという訳ではありませんが)、どうしてもその処理能力に頼って物事を瞬間的に解決するようになってしまい、試行錯誤する過程で育まれる創造的な発想が芽生えにくくなってしまうのではないか?という仮説を立てているからです。
前者は(基本的には正解が1つしかない)読み書き計算系のお勉強の分野が当てはまる一方で、後者は(基本的には正解が無い)情操教育が当てはまるという理解のため、幼児期には情操教育を重視したいなという考えに至りました。
では、情操教育とは何か?を一言で言うと、「子供の豊かな心を育てる」という非常に抽象的な概念になるため定義が曖昧でもありますが、とあるサイトの記載を引用したものは以下です。
■情操教育とは
(1) 道徳的価値観を養う教育【道徳的】
→他者を思いやる気持ちや協調性を育てる教育です。自分から善い行いをしたり、社会性を身につけたりできるでしょう。
(2) 命の尊さを学ぶ宗教的教育【情緒的】
→宗教とは何か決まった教えのことを指しているのではなく、命の大切さなどもっと広く一般的なものを指します。命の大切さを知ることで、自分や周囲の人、生き物などを大切にしようという気持ちが生まれるかもしれません。
(3) 美的センスを育てる教育【美的】
→美しいものを見て感動し、自分でも何かを表現することで美的センスが育まれます。また想像力や個性を養うこともできるでしょう。
(4) 自ら考える力を養う教育【科学的】
→子どもたちは知的好奇心のかたまりです。いつでも「なぜ?」「どうして?」と感じているもの。この好奇心は、上手に育てると学びへの原動力となります。
上記について、自由保育と一斉保育の違いだなと思った点について以下に書きます。
5、(1) 道徳的価値観を養う教育
道徳的な(心の)教育という意味では自由保育と一斉保育の差分は特に思い当たりません。先生1人から大勢の生徒に対して「善い行いをしましょう」と言うから効果的という類のものでは無く、完全に個人の人間同士の接し方の問題のため、自由保育か一斉保育かの問題では無いからです。
ただ、豊かな心を養うためには健やかな体が不可欠なので、体操など体を動かす事による教育も、道徳的価値観を養う教育と言われています。
園選びをする時に、前節で挙げた「基礎的な運動能力」を向上させる教育として、「専任講師による体操の指導がある」、「毎日の必須課題として"かけっこ"がある」、「運動会では集団競技に力を入れている」の3点が魅力的なポイントになりました。
もともと運動神経の良い子であれば、どのような環境下でも自主的に体を動かして自然と運動技術を身につけるものだと思いますが、それほどではない子の場合、自由時間内にそのように自主的に習得するのが難しいと思われるので、日課のように短時間でも効果的に体を動かす習慣を身につけさせてくれる指導は大変ありがたいなと感じました。
また、体操の専門講師による指導は月1程度で、預かり保育という形で追加の月謝を支払えば毎週(より少ない生徒数で)指導を受けることも可能です。月謝といっても良心的な価格なので、より上級なプロのレッスンを求めるのであれば外部の高額な習い事に通うべきだとは思いますが、プロを目指すわけでは無いならこの幼稚園の授業で十分かなと考えています。
5、(2) 命の尊さを学ぶ宗教的教育
自由保育でももちろん生き物を育てたり命を大切にする教育はありますが、一斉保育の中でも宗教の要素がある園に関しては、一般的なその教育よりももう一段階踏み込んだ形で、宗教を通して命の尊さを学ぶ教育があるという理解でいます。
日本では日常で宗教を特に意識しなくても普通に生活できるからこそ、今後の人生で外国人と接した際に価値観のギャップを少しでもなくすために、幼児期に「そういう概念があるんだな」程度にでも学んでおいて損は無いな、くらいの感覚でいました。
園選びをする時に、宗教の有無は正直優先度は低かったのですが、結果的に選んだ幼稚園が宗教系(神道)の園でした。
といっても、信仰を強制する事は全く無く、毎日の朝の会で「神様ありがとうございます」と挨拶をしたり、たまに園の敷地内の神社にみんなで参拝する程度の指導だと説明を受けています。
5、(3) 美的センスを育てる教育
この点については、4つの中でも後天的に身につけようとすると最も時間がかかるのでは?という理由から個人的に最も重視した点ですが、「自分でも何かを表現する」という点で、自由保育と一斉保育を比較すると、表現するための基礎的な技法や技術を最初に体系的に教えるかどうかだと思います。
例えば、楽器の演奏技術や絵を描く技術にしても、知識や模倣経験が完全にゼロの状態だと、最初の1を表現するのに到るまでが困難なことは想像できるので、短期間で効率良く一定のレベルまで到達するには、上記のような基礎的な技術を最初に教えるという指導法は非常に有効だと考えています。
確かに、ずっと先生のお手本ばかり真似をするだけで終わってしまっては創造力は身につきませんが、模倣に終止せず自由に表現する時間を十分に設けられているかも合わせて重要になってくるポイントだと思います。
園選びをする時に、まず「絵画や工作」領域については、「専門講師による絵画の指導もある」、「各々が表現した作品の展示会がある」という2点が魅力的なポイントになりました。
絵画の専門講師による指導の頻度や追加の対応については、上述の体操と同様です。
次に「楽器や歌などの音楽」領域については、「ピアニカが必修」、「毎日の必須課題として"ボイストレーニング"がある」という2点です。
息子の場合は音楽全般は好きそうなので、ピアニカを通じて音楽理論も早いうちに学べたら、より音楽を楽しめるようになるのではと思いました。
5、(4) 自ら考える力を養う教育
先生から一方的に指導を受けて他者から学ぶ一斉保育よりも、園児が自発的に考えて自主的に学ぶ自由保育の方が、自分で考える力は養われやすいのでは?という風に思えます。
ですのでこれは一斉保育の方が弱いように思えるからこそ、一斉保育でもカリキュラムのようなインプット系の教育とは別の切り口で、自ら考える力を養うことに焦点を当てたアウトプット系の指導方針も兼ね揃えていると良いなと思っていました。
園選びをする時に、今まで私は存じていなかったのですが「SIあそび」という、アメリカの著名な研究者による教育方法論に基づくメソッド(知能構造理論)のカリキュラムを取り入れている点も魅力に思いました。
詳しい内容はわからないのですが、インターネットで検索した情報からの私なりの解釈だと、「SIあそびとは、とあるねらいや教材を用いた環境下で、子供の行いの正解か不正解かを問うのではなく、子供が何を感じ、どのようにして問題解決に導こうとしたのかという思考の過程を重視する遊び」という理解です。
これでもまだまだ抽象的な表現なので、私も完全に理解しきれてはいませんが、きっと子供のやる気を促しながら自主性を重んじ、思考力を養ってくれる教育なのだと期待をしています。
以上が、私が子供が幼少期に重視したい情操教育の内容です。
情操教育だけでこれだけのことをやるので、さらに文字の読み書きや計算そろばんなどもやってもらうとすると、自由遊び時間がなくなって子供も息が詰まってしまうと思うので、優先順位を考えた上で必要だと思った内容は以上です。
単に私は、親である私でも指導できることをあえて専門家に頼む必要はないと思っているので、であれば読み書き計算であれば私でも教えられるが、情操教育を養う多面的な指導は難易度が高いので外部の専門家に頼もうという発送でもあります。
では次に、以降は「自由保育かどうか」とは関係なく、全ての保育園に共通する話として記載します。
6、全ての保育園に共通する制度の問題
(1) 自治体により内定が決まる保育園、一方で各家庭で入園を決める幼稚園
保育園は入園の志望順位は各家庭で決めて出願することは可能だが、最終的には自治体が定義する指数に基づいて入園可能な園が内定します。一方で幼稚園は各家庭で出願する園を決めて、よほど人気の高いまたは入園条件の厳しい園でない限り、希望の園に内定する確率は、一般的には保育園よりは高いと思われます。
よって保育園では様々な価値観・経済状況等の家庭の子供が混在することになるのに対し、幼稚園では同じ園の教育方針を希望する似たような価値観の家庭の子供が集まる傾向が強いということになります。
個人的にどちらの方が性に合っているかと考えた結果、後者の幼稚園の方が親同士も子供同士も比較的ストレスが少なく園生活を送れるのではないかと判断しました。
6、(2) 午睡(昼寝)の有無による生活リズム
保育園では概ね年長クラス以外は午睡(昼寝)をする前提で1日のスケジュールを組んでいますが、幼稚園では通常のカリキュラムの中には午睡が組み込まれていません。幼稚園でも預かり保育がある園では、預かり保育時間中は午睡が可能なように布団が用意されていたりしますが、大半の園児が元気に遊ぶ中で午睡をする園児はほとんどいないという話を伺います。
我が家の息子の場合は、3歳になる以前から登園していた小規模保育園午睡をすると、夜は22時過ぎなどかなり遅くまで寝付けなく、本人も生活リズムが崩れて辛いのに加え、寝かしつける親のストレスも過多であるため、親子両者のために午睡のない幼稚園に通わせたいと思いました。
7、さいごに
今回も非常に長文の記事となってしまいましたが、結局は直感的にこの幼稚園が良い!と思った決断に対し、本当に大丈夫なのか、後悔しないのかと言った裏どりをしているだけに過ぎないという流れです(笑)
次回は、教育の内容からは離れて、送迎や実務的な実現可否、及び対処法などについて、書いていく予定です。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。