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東大理一に6点差で落ちた慶應生の私が、2度目の受験をしなかった理由。

こんにちは。狂葉です。

今回は、東大に6点差落ちの慶應生の私が、2度目の受験をしなかった理由というのをお話していきます。

私は今慶應理工学部の2年生で、受験自体は2年前の高3の時に受けた1回のみです。

主に3つの要因で私は東大の2回目の受験をしないことに決めました。

さっそく経験談を元に詳しく書いていきます。



①諦め

2022年2月26日、東大入試が完全に終了し、
得意科目である数学は、少なくとも4完の手応えは確実にありましたし、他の科目も模試の感覚で言うと悪くありませんでした。

合格してるならギリギリで、不合格なら数点差、過去問と模試を通じて得たこの洗練された感覚が緊張を高めました。

もともと国公立は東大一本で行くと決めていたことと、慶應理工に合格していたこともあり、試験が終わったあとの十数日間は友達とご飯に行ったり、アニメをワンクール全部見てみたりと、高三になって初めて深呼吸が出来たような感覚でした。

3月10日、いよいよ合格発表の日です。
人生で1番時の流れが遅く感じ、合格発表が近づくに連れて心拍数が上がっていく感覚は今になっても忘れられません。

12:00になった頃、震える手を抑えながら東大のホームページにアクセスし、合格発表を見ました。今想像するだけでも震えそうです。

結果は不合格。(開示の結果は6点差落ち。実家に開示が置いてあるのでまた別の機会にでも載せます。)

予備校に通わずただひたすら1人で戦ってきた1年間。もっと言えば高校3年間。
クラスメイトの鉄緑会のテキストや東大特進のテキストを横目に市販の参考書を開く自分、学費で生活を切り詰めていながらも毎日笑顔で送り出してくれた母の姿や、1年間A判定を維持し続けることのプレッシャー、色んな感情が一気に降り注ぐようで、

少し、というかかなり期待していたせいもあって、その時の私は現実を受け止めきれずただ泣き崩れることしか出来ませんでした。

それから一日をかけてこれからの事を考えました。

慶應に進学か、浪人か。

浪人の場合は家計の都合上、宅浪(予備校に通わず、自宅で浪人すること)一択でした。

しかし決め手となったのは金銭面ではなく、自分の能力に限界を感じていたことでした。


私は超先取り型で、高校1年生の頃から本格的に受験勉強を開始しました。
これは中学受験の時に学んだことで、周りと比べて私だけ伸びが遅く、最後の最後で滑り込んだという経験から早めに勉強を始めました。

どのくらい本格的かと言うと、中学まで続けていたサッカー部は退部し、朝に1時間勉強し、学校の自習室に16時半から21時まで残り、家に帰ってから1時間勉強する。
正直受験生よりも勉強を頑張ってるんじゃないかと言うぐらい当時は受験勉強に熱中していました。

この生活を2年間続けたこともあり、ようやく結果として現れたのが東大同日模試(東大志望の高二が、2/25,26の当日に本番と全く同じ問題を受けられる模試)、

易化したことも要因ですが、
高二にしては合計210数点の大勝ちで、東大理IIIすら狙えると周りの友達や担任から言われていて、私もこのまま理一合格に向けて、さらにギアを上げることを決意しました。

そこからは地獄でした。

どれだけ勉強しても点数は上がらず、ただA判をキープし続け、ただ合格に届くかどうかは半々。

ここで言っておきたいのが、A判定というのは合格水準に達していなくても取れるものなのです。
結局は相対評価なのですが、たとえ190点というのが本番では落ちる点数でも周りよりも優れた点数であるならばそれは誰がなんと言おうとA判定でしょう。

しかし1番大事なのは本番で合格点を取ること。
つまり230点程度が本番で求められる実力です。

お察しかもしれないですが、高三になってからの私の成績というのは下がることはあっても大きく上がることは1度も無く、常に本番の合格ラインの少し下を走り続け、でも模試の判定としては優秀な受験生、そんな感じでした。

受験勉強を続けて行く中で私自身能力の限界を感じていました。

ケアレスミス、何度暗記しても頭から抜けていく知識、時間内に解き終わらない理科、言ってることが分からない国語、残り数ヶ月で改善しようがない英語、

ただ数学だけは大好きで点数も常に安定していたことは、今になって安心材料だったんだなと強く思いますが、他科目の伸びにレッテルを貼っていたことも問題だったなと思います。

A判って周りよりも優れているんでしょ?
じゃあ本番でも受かるんじゃないの?

当時の私もそう考えていました。

ただ、それは周りが成長しなかった場合のお話です。

事実として、合格者は冠模試で安定的にA判やB判を叩き出していた人に集中しているというのはあります。

しかし、そんな人でさえ最後の一日まで自分の実力を最大限引き上げていきます。受験生のラスト1ヶ月というのは、唯一東大のことだけを考えられる期間なのです。

ここで伸ばせるか否か、それが合格に直結していると言っても過言では無いでしょう。
C判定の方が合格するのも奇跡ではありません。

彼らは着実に、本番のラスト1日まで実力を上げてきています。

逆に言えば、たとえA判でも最後の最後に伸ばせなければ落ちてしまうのです。

これが「模試の判定はあまり気にしなくていい。」
と合格者が口を揃えて言う理由なのでしょう。

つまり高校2年生で自分に出せる実力が限界を迎え、成長することなく高校3年の1年間を全力で走り抜けたことが諦めを生みました。


②専門分野の興味

私は高校数学が好きですし、今となっては大学数学に日々夢中になっています。

大学数学に興味を持ち出したのは高校生の頃で、当時から数学者になってやるとか考えていました。笑

なぜ興味が出たのかと言うと、高校数学が好きだったからです。

よく高校数学が好きというだけで大学の数学科に行かない方が良いという話を聞きますが、学問の興味というのは自分が好きな事の延長線上にあると私は考えますし、もっと些細なことで興味を持っても良いと思います。

もともと大学数学に興味はあったのですが、数学科の道を確信したのは、高校2年生の頃に「極限の定義って曖昧だよなぁ」って所から深堀していくうちに、いつの間にかε-δ論法のお話を夢中で調べては考えて、というのを繰り返したことが始まりでした。

そこからは数学の厳密性や、ひとつの証明に対して複数の定理が論理を持って成立していることに感動し、数学の世界にハマっていくことになりました。

とはいえ受験勉強は毎日空いている時間の全てを注ぎ込んでいて、休憩とはいえ数学は脳が休まらないので殆ど手は付けられていませんでした。

大学で一刻も早く数学を勉強したい、大学数学を語り合える友達が欲しいと考えた私は、数学への強い興味そのものが慶應理工に進むひとつの要因となりました。

この後1年次は慶應理工でがっつり物化もやらされるんですけどね。笑(理工は学門制があるため)


③慶應に居たいと思った。

とは言っても年中A判、6点差落ちの一東大受験生です。
入学当初は仮面浪人(大学に席を置きながら受験勉強をする浪人体型。家庭の事情が絡んでいることが多い。)を真剣に考えていました。

入学してまもない頃、オリエンテーションという名の自己紹介を終え、クラスでは
「一般?どこ落ち?」や「共通テスト何%?」
などという会話が飛び交い、ここは本当に大学なのだろうか。という思いと共にすごく居心地が悪かったのを覚えています。

特に慶應理工は殆どが東大や東工大などの難関大学落ちで、入学当初は誰もがコンプレックスを抱えてるような雰囲気はありました。(毎年こんな感じらしいです)

それと同時に仮面浪人が現実味を帯び出してきた瞬間でもあったと思います。

そんな私に転機が訪れたのは慶應理工で出来た友人K君でした。

K君はいかにも慶應生という雰囲気の子で、オリエンテーションで知り合い、昔サッカーをやっていたことや、サッカー観戦が趣味だということ、さらには東大理一落ちなど共通点が多く、

彼は東大落ちにも関わらず受験はもう綺麗さっぱり忘れているというか、周りが暗い雰囲気だとすると、彼は圧倒的に光り輝いていて、私自身も入学当初から居心地の良い人だなという印象でした。

そんなK君からある誘いを受けました。
「一緒にフットサルのサークル入らない?」

サークル活動です。

私自身その時は仮面浪人を検討していたこともあって、サークルには入るつもりもなかったというか、取り敢えず夏まで集中しようとさえ思っていました。

しかし、K君の勢いとあのワクワクした表情を壊す訳にはいかないと思い、体験という名の新入生歓迎会に顔を出すことにしました。

するとどうでしょうか、入学して慶應理工に閉じ込められた暗い世界が一気に明るい世界が広がっていくようでした。

楽しそうな上級生や、常に目を輝かせ、まるでK君のような他の1年生、

その時私は完全に悟りました。
「そうだ、慶應に来たんだ」と。

この明るい世界は私にとっては救いで、今思えば私の頭の中は3年間を通して受験勉強に染まりきっていたので、余計にキラキラとしていて新鮮なことだったのだと思います。

「大学生って髪の毛黒じゃないのか...」
とか、
「男女でこんなに仲良いの?!」
とか、
「女子もフットサルやるの?!」
とか、
「みんなお洒落だな...」

とか、とにかく

楽しそう。

この一言以外に表す言葉がありませんでした。

そこからいくつかのサークルの新歓を回るようになり、仮面浪人を考えていたのにも関わらず、その勢いで純粋にフットサルが楽しめるサークルに入りました。

学部間をも超えて、親しい先輩や笑い合える友人と出会い、

入学当初に味わった居心地の悪さは完全に解消され、少しずつ気分を取り戻したのと同時に慶應でしか味わえない楽しさを捨てたくない、

K君を初めとする友人とこれからも慶應で過ごしたいと思うようになっていき、それらもまた浪人をしない要因となりました。


これは2年次に上がってから感じたお話ですが、
慶應理工が学問の教育レベルで東大に劣っているということでは無いということです。

学生思いの教授、研究で成果を出し続ける教授、

トポロジーについて質問した私に、私だけのために30分間自分の研究分野について語ってくれた教授、

毎回のテストでほぼ満点を取り、学部レベルの数学を終えている優秀な友人、

その他の学生も東大生と比べれば平均的に劣るかもしれないですが、決してそれを感じさせないぐらい優秀です。

慶應にしかない楽しさ、優秀な友人、尊敬する教授の方々に恵まれていること。

もちろん東大に受かっていれば別の楽しさ、別の友人がいたことでしょう。

しかし今となっては寧ろ慶應で良かったとさえ思っています。



ここまで
①諦め
②専門分野の興味
②慶應に居たいと思った

この3つについて話してきました。
誰もが進んだ道が間違いだったなんてことは無いと思います。
そこで出来た友人、そこでしかできない体験、どの道に進んでも私は間違ってなかったと言える自信がありますし、この不合格という経験は人生を通して学ぶことがたくさんありました。

今こうして教育に興味があるのも、友人、教授に恵まれたことも自分が選んだ道でしか訪れなかったことです。

もし落ちるのが怖いだったりとか、進路に迷ったりしている方が居れば、人生の選択に正解、不正解を付けるのは自分自身だと言うことを頭の片隅にでも入れていて欲しいと思います。



この記事が少しでも誰かの心の支えになれば幸いです。


では!

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