介護日記が書けなくなった理由

なんと、1月以来noteを書いていなかった。

介護に関するハプニングを面白おかしく伝えていこうと思っていたのに・・・


あ、母は元気ですよ。念のため。
母に何かあったから書けなくなったのではありません。

では何があったのか?


ある夜、気がついたんですよ。


「わたし、この人のこと嫌いじゃない。」と。


嫌いだったハズなのに。

憎たらしかったのに。

こんな人のようになりたくないと思っていたのに。


さんざん傷つけられて、本人はそんな風にも思ってなくて。

仕返しする方法は

「私が先に死ぬこと」って思うほど嫌いな時代があった。。。



それが当人、認知症のおかげか

ネガティブなことは覚えていられなくなって

嫌味を言う能力が減って


『ありがとう』を言う人に変わった。


悔しい、本当に悔しい。


何かするたびに「ありがとう」って言われる。


私にとって”嫌いな気持ち”はある種の原動力になってきた。



絶対にこの人のようにならない。

この人のような人生を送らない。


それが私を外側にむけるチカラとなってきた。


世の中に「毒親」って言葉があるようだが、

私にとっては「神親」だった。


だって嫌いだったおかげで

かなり早い段階で自立した。

親に頼らず生きるチカラがついた。



嫌味な言葉のストックができたから

ブラックユーモアのスキルが高くなった。


「神親」でしょ。


話がそれた。



ある夜、気がついた。

「この人のこと、嫌いじゃない。」


そう思ったら泣けてきて。


苦しめられたのは事実だけど。

もう、自分を許すことにした。


そう、母を許すのではない。


自分を許したのだ。


憎むという行為は結構疲れるのだ。


憎みからの行動はエネルギーの消耗量が多いのだ。


「もう、いいや」


憎むというエネルギーの浪費をやめてもいいや。と。


このnoteも、

ヤツのことを面白おかしく書いてやるんだという

仕返し的な気持ちだったのだ。


それがなくなったから。


それが書けなくなった理由。


毎日何度も「ありがとう」を言う人になっていて

デイケアのスタッフさんからも可愛がられていて

泣きまねをしてこっそりお菓子を食べて。


私はこんな人に育てられたのだ。


そして今、また悔しいことに気がついた。


私は母以上に「ありがとう」を言っていない。


接してくれる人に「ありがとう」を言う数が負けている。


絶対に負けない。


ありがとうの数では負けたくないのだ。


ここは反骨精神を持ち続けるとする。


ということで、介護に関することはこの記事をもってお仕舞にします。


この先、何を書いていくかは決めていないけれど、またお会いしましょう。


最後までお読みいただき「ありがとう」ございました。

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