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遅ればせながら、ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでみました。~立花隆の言葉を思い出したので少し追記しました~

ちょうど新聞で最近のヒット本は題名が長いという記事を読んだのですが、ネット上で作品を発表することも多くなっている昨今、大量のウェブ情報に埋没しないよう説明的なタイトルが増えてきているんだそうです。実はこの“なぜ働いていると…”も御多分にもれずオンラインで連載されていた内容が基になっています。

さて、普通に考えれば仕事が忙しくて読書の時間がとれないからなんじゃね?と思うのですが、筆者によれば、日本人は昔から長時間労働をしていて忙しさの度合はさほど変わらないと考えると、我々の社会は「ノイズを除去する行動を促す社会」になってきていて、情報のみ(知りたいことそのもの)が求められ、知識(他者や歴史や社会の文脈+知りたいこと)は余計なことと考えられるようになったからだそうです。

政治の時代であり内面の時代であった90年代(うーん、そうだったかな~?自覚ないですぅ)は、読書は「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。しかし、90年代以降は経済の時代・行動の時代(うーん、行動してたっけな〜?自覚ないですぅ)、そして00年代以降は情報の時代となり、余計なノイズは求められなくなったらしい。

たしかにネット上で知りたいことはなんでも分かるけれども、例えば本書で日本人の読書の歴史が紹介されているのですが、“「文庫本」の誕生は、戦時中始まった用紙の統制が戦後終わり、紙の値段が高騰したので本が小型化した”なんていうのは本書の趣旨から外れた事柄ですが、読書によって思いがけないこと(筆者の言うノイズ)を知れるという証左でもあります。

にしても、この本なんでこんなに売れたのか不思議です。おそらくは流行りの「説明的なタイトル」のおかげもあるのかもしれません。

追記:
note公開後に以前、敬愛する立花隆がこんなことを言っていたのを思い出しましたのでちょっとずれますが、せっかくなので追記しておきます。

「インターネットは使いようによっては、かつての古代アレクサンドリア図書館に匹敵するような知の集積の場でもあるのだから、どんどん使えばよい。私が知る現実として、それらを利用して知的活動を膨らませている若者はとても多い。しかし、ネットだけではどうしても掘り方が浅くなり、やはりそれだけでは足りないので、読書は必ず必要である。なぜなら、本は知識だけでなく、知識、感情、意欲をすべて含んだ総合メディアであり、つまりそこに著者による選別や苦労の過程、製本に至るまで辿ったエピソードや物語が潜んでいて、より深い情報を得るステージに到達できるからだ。そして、アウトプット(書くこと)に繋げることによってさらに理解は深めることができる。」

著書やテレビ出演の際にこのような趣旨のことを言っていて、必ずしもネットを悪者にしてはいないところが立花らしくて好きです。今、通勤中の車内で近現代史に関する本を何冊か読んでいて勉強中なのですが、「あれ、シベリア出兵ってなんだたっけ?ロシア革命は2回あったんだっけ?」と記憶があやふやなマイナーな出来事もスマホで簡単に情報(ノイズのない知りたいこと)を得ることができ、すぐに読書に戻れます。これがスマホやパソコン登場以前だったら、自宅に帰ってから百科事典で調べる必要があったわけで、モヤモヤを抱えたまま読み進めていたはずです。

本は著者の情念をも含んだものだからこそ、より深い理解を得られるし、補完的に情報を収集するためにネットに頼るのを否定しないということで良いのかなと思います。


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