【①】三森みささんが教えてくれた、トラウマケアをはじめる。
来月30歳になろうかという今、
自分を愛することを学びなおそうと思いました。
私は発達障害の診断を受け、障害者手帳を取得しています。
自分のいわゆる「生きづらさ」については諦めがつき(のように思い)、
愛する彼氏ができそのアンコントロールな状態にも「まあ私って足りない人間だしな~人間の考えを学ばなきゃ~」と恋愛本・心理学本を数百冊積み上げ読みふけり、そうして気がついたら執着の果てに別れていました。
なーんだ頑張ったら報われるんじゃないのか。
足りない面を埋めれば愛されるんじゃないのか。
「私が頑張ればいい」と思ってたのに。
そもそも頑張れば愛されるってなにに?
「あーもう限界だ」「このままじゃ無理だ」「恋人になったら相手の顔色伺いはじめてちゃんとコミュニケーション出来ないのキツすぎる」
…というか、本気で楽に生きていきたい。もう「頑張る」はムリ。
そう思いながらKindleを巡回していたころ、この本に出会いました。
「いいかげんに生きづらさを終わらせたい: トラウマ治療体験記」
ご本人のnoteがこちら
い、い、い、い、いる!
ここにもう一人の私が、いるーーーーーッ!
・自分の感情がわからない、自分にとってのYES/NOの判断基準が持てない
→私です。NOが全く出てこない。
自分を主体にして話すことは最近別れてからやっと復活してきた。
・自分の世話を放棄し、他人の世話にかまける
→これも私。別れてやっと自分を愛していこうという気持ちに。
付き合っている間は「相手が」「相手は」と相手の軸に吞まれていた。
・「努力するのは自分のため」という文言に強烈にショックをうける
→努力は「自分が足りてない」からやらなきゃ「いけない」もんだと……
付き合っている間中、「私は彼に見合わないしもっと努力しなきゃ!」と
自分が残した結果に無頓着なまま努力しまくっていました。
(その後友人に「マジですごい!」と褒められまくる。嬉しい)
・恋人の前にだけ出てくる"人格のパーツ"がある
→ある……「多分他者を選ぶんだろうな」と
少ない愛(と仮定したもの)を追い求めるような必死のふるまい。
さながら水の中で息継ぎするよう。死にかかりながら人と付き合う。
三森さんのレポに勇気をもらい、とりあえず「トラウマケア」も掲げられている心理士の方のカウンセリングを予約しました。
主治医の先生(この方も的確に薬を処方してくれて嬉しかったけど、やっぱ伝えてた情報は少なすぎたよな~)に了承を取って、受けてみるつもりです。
トラウマ、めちゃくちゃキツくないですか!?
私はもうこれに左右されるの、こりごりです。楽になりたーい。
人生、外に踏み出したら敵ばっかじゃん!と身体が勝手に判断するんですよね。私の身体ちゃん、気の毒すぎる。とりあえずお金はしっかりかけて、なんなら時間もしっかりかけて、プロの方の力を借り、私を楽にさせてあげることにしました。
私、本当に元彼のこと好きだったんですよね。今も好きです。
好きなんだけど、大好きなんだけど、私のこのトラウマに彼もぶち込んじゃって可哀想だし、NOが言えない時期に築いた関係はなんら健康的ではないし、もうどうしようもないなあって。だから復縁してやるぞ~とかは考えられないです。
あ~あ、一緒の墓に入りたかったな。マジで死ぬまで看取ってやるぞって気持ちだったのにな。私といてさ、笑っててほしかった。今写真見返すと、彼笑ってないんですよね。心に来ちゃった。
でも仕方ない、それより自分のトラウマなんとかしてやらないと。私を看取るのは私なんだから。
本当に、私よりも健康的な女の子と幸せになってほしいです。
吐き出し口の無い話に付き合ってくださってありがとうございました。
次回からカウンセリング受けてみた所感とか、心の動きとか書いていきます。自分のこと、めちゃくちゃ愛するぞ~!待ってろ~!