バッドエンドは流行らない(でも好き)
バッドエンドは好きですか?
好きです。昔からバッドエンドが好きです。
バッドエンドと云わずとも、ハッピーにならない物語好きです。
高校時代の友人にハッピーエンドが好きだと云う友人がいて、理由を聞いたら「空想の物語くらい、幸せがいい」と云って居て、ハッピーエンド好きの方が闇深いんじゃないかって感じたことがありました。
以下には今回の新作「ルドベキアの花束 -遊戯の章-」のネタバレを含みます。
多分捻くれ者
なんでバッドエンドが好きなのか。
昔の自分は「自分より不幸な物語が存在する」ことに安心感を求めて居たような気がします。
身の上話すると泣かれたり人生ハードモードって言われたりする人生を歩んできたので、自己分析するとそんな気がします。
今は色々吹っ切れて諦めて受け入れてまぁまぁ楽しく人生送ってるので、バッドエンドは「最悪のその先を受け入れる」ことで今の自分を肯定している気がします。
そういえば初めての「本当のバッドエンド」
今回、「ルドベキアの花束 -遊戯の章-」は自分が考え得る最悪のバッドエンドです。しかも、登場人物たちは自分の信念を貫いたが故に。誰も悪くないけれど、バッドエンドになることだってあるんです、現実だってそうでしょう?
「幻夜 -ドウラチオの暴虐-」も正直バッドエンドな気がする。そういえばこっちもダウンロード数伸びてない。
世の中綺麗事ばかりじゃないじゃんって思うけれど、やはり世間は物語くらいでは綺麗なものを見たいのでしょうか。
そう考えると、日本自体が病んでいるような気もします。
「ルドベキアの花束 -遊戯の章-」は本編小説の宣伝用のスピンオフゲームで、本編でも歴代に続くクローンである九時は登場しますが、今作の主人公とも言えるノエルは一切登場しませんし、九時も一切回想しません。だって経験に存在しないから。
私はそれが「いい」と思っています。真実で事実でリアリティがあると思う。
あと、どんでん返しが好きなんですよ。「そうきたか!」みたいな。だから宣伝方法も間違ってるのかな〜とか思いつつ、ブラッシュアップしていくべきなんだろうな。
一人の人間なんてちっぽけで、忘れ去られるのが「当たり前」なんだと思ってます。それは悲しいかもしれないけれど現実だと思う。
死んで記憶や記録に残るのなんて一握りの人間でしょう。少なくとも私は歴史に残るような人間ではないので、死んだらすぐに全てから消え去ると思う。
それは悲しいかもしれない。
でも、どうしようもなくない? 負の感情を持ち続けることに、私はあまり価値を感じません。なので受け入れるし「しゃーないよね」って思う。
んだが、多分これって自分の人生観なんだと思う。
手に入れたいものは自分の努力じゃどうしようもないものばかりだったので、受け入れて諦めるしか無かったんですよね。
ハッピーエンドも考えた
勿論、バッドエンドがウケないだろうことは認識してました。
ハッピーエンドになるパターンも考えましたよ。だってマルチ・バースの世界観だから、幾らでも別の宇宙の話とかにシフトすることはできるし、なんだったらSFなんだから時間を遡ることだって考えられる。
でも、でもやっぱりこのエンドが正しいと思う。
空間は曲げられても(現在の科学で考察すると)時間は戻れない。起きたことは受け入れるしかない。
無理矢理ハッピーエンドにするのは、なんか違う気がしたんですよね。強い意志を持ってみんなが選択した結果を、ご都合主義でハッピーにするのは、なんかキャラクターたちを裏切る感じがして。
レアな感情
というか、ここまで書いてきて思ったんですが、多分私は現実世界で「負の感情をできるだけ持たないようにする」ことを意識して生きている気がします。だから、「負の感情」は私にとって「レア」なのかも知れません。
うーん、難しいですね。
でも、とにかく私は私の物語が大好き!
さいごに
ルドベキアの花束の本編は5月の文フリ東京40で販売予定です。
現在全6話中4話まで執筆完了していまして、「多分、バッドエンドではない」です。
このスピンオフゲームと同じく、本編でもキャラクターそれぞれが自らの意志で「最後」を選択します。それが彼らの生き様だと思います。