ビー玉
私がとても小さな子どものころ。
父と母は私がチビッ子の頃からもう、ケンカばかりだった。
ボロボロの借家の1階で定食屋を営む両親は、赤字続きで生活も苦しくて、
心に余裕がなかったのだろう。
夜になると怒鳴ったり、客の居ない店のテーブルや椅子を叩いたり。
両親とも気が強く、言い争う声も大きかった。
生活スペースの2階で兄とふたり、
毎晩のように下から響く怒鳴り声や物音に聞き耳をたてて
今日はいつ頃ご飯が食べられるだろうかと予想していた。
特に母がヒステリーを起こすと八つ当たりが飛んでくるから。
今、思い返せば
小さい妹の私はただ、怯えているだけだったが
その妹の面倒も見ながら、両親の機嫌を冷静に伺う
小学生の兄のほうがずっと、大変だったと思う。
妹の私から見ていた兄は、落ち着いていて
好きなアニメ番組を見ながら宿題をして、借りた漫画を読み、
色んな遊びを考えては私と遊んでくれていた印象だが、
内心いつも怖かったり、不安でいっぱいだったのだろうと思う。
そんな私はといえば、ある日いつものように両親の怒声が始まったとき
大事にしていたビー玉をゴミ箱にひとつ落としてしまった事があった。
すると、不思議なもので、1階からの怒鳴り声や物音がぱったりと
止まったのだ。
4歳か5歳の子どものころである。
このビー玉には、不思議な力が宿っているのだ!
と、信じたのである。
次の日から、両親のケンカが始まると、
大事なビー玉をひとつ、またひとつ、こっそりゴミ箱に捨てていった。
いわゆる等価交換。
ケンカ1回起きたら、ビー玉1個で、ケンカを止めてくれる。
子どもらしいルール。
そう思い込むと不思議なもので、
毎日の両親のケンカが少し、小さくなるような気がしたのだ。
あんなに怖いケンカが止むのと引き換えなら、
大事なビー玉は捨ててもいい。
自分の中の優先順位という感覚が芽生えたのだ。
そして当たり前の流れで
母親にその証拠が見つかってしまう。
ゴミ箱に、買ってやったビー玉が、コロコロ捨ててあるのだ。
ビー玉だけは、お下がりじゃなくて娘に買ってやったのに!
何なのよ!
腹が立ったと思う。
厳しく理由を問われるも、頑として口を割らない私(笑)
何故そんなことをしたかの説明が、難しいのと
時間をかけてでも気持ちを聞いてくれる女性ではなかったのだ。
子どものころは、大人の目線や道理では思いもよらない真似をする。
けれど、すくなくとも
あの頃のチビッ子の私は
ちゃんと自分なりの道理とルールがあったのだ。
そんな、思い出話。
何か良いことありますように。
空だと思ったクッキーの箱にまだ1個あった!みたいな。
では、また。