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未来のためにできること 家の前の道を掃くこと
自分に何ができるのか ずっと考えています。持続可能である事、 それは今までもしてきた事しか出来ないと思うに至りました。 それを続けることです。
ある日 いつものように家の前の道を掃いていると、 散歩途中の方から 声を掛けられました。
「いつもご苦労さんですなぁ… 風の通り具合ですかなぁ ここに落ち葉やら何やら流れつきますな…」
驚きましたが、同時にたいへん嬉しい出来事でした。見て下さっている方もいたのか…と。 報われたように感じ、心のどこかが晴れました。
道を掃きながら、今は俳句を考え 短歌を考え なかなか良い時間です。登校の小学生にも会います。お散歩の犬にも会えます。二言三言 交わす会話はたくさんのヒントになってくれます。
何故 道掃除をするようになったか 考えてみますと、 お向いの方へ 行き着きます。
三十年も前ですが、子育て真っ最中に義母が倒れ 私は そのことで忙殺されていました。その頃 お向いの方は よく道を掃いて下さっていました。
風向きで道の片側に落ち葉が集まります。大量の落ち葉が風にのり 何処からか運ばれてくるのです。また、今ほど 犬を飼うことのモラルが確立もしていませんでしたから 犬の落し物も ほぼ毎日でした。田舎では 放し飼いの風潮が色濃く残っていた頃でもありました。また、歩きタバコの落し物も、毎日でした。
朝には 集めたかと思うほど 落ち葉の小山ができています。気になりながらも、やっと時間ができて外に出てみると 綺麗になっていることがしばしばありました。
そういう日々が何年続いたでしょうか。勿論、私が間に合い掃く日もありましたが、多くは お向いの方のお陰さまで 道路は綺麗に保たれました。
いつの間にか お向いさんも 歳を重ね歩くのが大変そうになりました。私より年配の方です。いつからか、自然に私へ道掃除のバトンは引き継がれました。
ほんの狭い範囲ですが、ごみを片付け、道の草を引き 掃除をします。これを、未来のために とは思ったことはありませんでした。
けれども 未来のため だと思うと また気力が湧いてきます。 新たな視点を頂いたことに感謝しています。今出来ることをする ということに尽きるのでしょう。
ただ 家の前の道を掃くことを 未来のためにできること などと言ってよいものか 一抹の躊躇いがあります。