見出し画像

3行日記 #218(止まり木、儀式の跡、柘榴)

九月二十二日(日)、秋分の日、雨のちくもり
白露、玄鳥去、つばめさる、ツバメが南下する。
白露、金鐘児鳴、きいんしょうじなく、鈴虫が鳴いているね。
秋分、雷乃収声、かみなりすなわちこえをおさむ、雷鳴が聞こえなくなる。
秋分、鶺鴒翩翩、せきれいへんぺんたり、セキレイがひるがえり軽やかに飛ぶ。

未明に雨が降り出した。朝、雨の音で目を覚ました。雨脚が強まっている。これで熱帯夜とはおさらばだ。きょうからは、一気に気温が下がる。朝、シンクの排水口を掃除。キッチンハイターの泡。何も言うまいと思った。歯磨き。歯に挟まったとうもろこしのカスを、糸ようじでほじくりだした。

昼、妻の実家で炒飯、中華スープ、カステラ、キウイ。チャックにキウイのかけらをあげた。日曜恒例となった読売新聞の数独をやる。新しいコツを見つけた。繰り返しやってるとふとした瞬間に、視界がぱあっと開けるように、新しく気づくことがある。

午後、京阪で藤森へ。もともと大衆食堂で今は読書カフェの要素も取り込んだ食堂へ。しばらく本を読んだあと、ボードゲームをやった。ボードにくっついた偽のダイヤと、置いただけの本物のダイヤを見分けて掴むというもので、単純だがなかなかおもしろかった。

店を出て南へ歩く。妻が右脚をかばって跛をひいて歩いている。右膝が痛むらしい。軒先にならんだ植木鉢がすべて枯れている家があった。とよしまでんきの壁にある看板の絵がかわいかった。野球帽をかぶった黄色く丸っこいキャラクターが、笑顔でとことこ駆けていた。途中の道端に、とまり木ベンチを見つけて腰をおろした。前に閉まっていた墨染の玩具屋に行ってみたが、きょうも閉まっていた。墨染寺の門のところにも、とまり木ベンチがあった。

ラーメン屋の行列を横目に国道を越えて、さらに南へ。妻が高校生のころから通っている画材屋に行こうとしたところ、通りを一本間違えていて、横筋に折れた。そこは、近鉄の高架下の、野良猫しか歩かないような細ほっそい脇道だったのだが、朝の雨の名残の水たまりを避けつつ歩いていると、とつぜん、目の前に、なにかの儀式の跡かと思わせる不思議なものを見つけた。ドデカミン、アイスコーヒーなどの空き缶とペットボトルが十二本、等間隔に散りばめられていた。どれもキャップは閉まっておらず、今朝の雨だろうか、黄ばんだ泥水が満タンに入っていた。外されたキャップはというと、その空き缶とペットボトルのあいだの隙間に、どれも小石に囲まれて置かれていた。ふたはどれも裏向きで、そのなかにも雨水が溜まっていた。近くにはタバコの吸殻も落ちていた。誰かが一服しながら、育てているのだろうか。

画材屋へ。半地下の駐車場の脇に端材があった。店のなかで妻は筆や画材をみて、私は鉛筆の棚を物色した。文房具屋にはない、いろんな種類の鉛筆がある。デッサン用だろうか。紙に黒鉛を刻むような、濃い黒の鉛筆が欲しくなったが、今回は見送った。また来よう。

さらに南へ。この道を通るときに以前から気になっていた、元パーマ屋だと思われる白いタイル張りの壁の建物があるのだが、妻によるとそこは今ギャラリーになっているというので、扉を開けてみた。なかには男性がいて、どうぞどうぞと招いてくれて、どうぞ座ってください、とお茶までごちそうになった。男性はジュエリー作家で、奥の工房で制作しているらしかった。手前はギャラリーで、今は青を基調にした陶器の小物が並んでいた。男性が首から下げていた皮の小さなカバンに、妻が注目して話題をふると、左京区の作家さんのものだという。店頭に並んでいたカラフルな靴下を買った。来月はそのひとたちの作品が並ぶらしい。妻がまた何かを見つけた。棚の上にあった、ロボットの顔のようなもの。段ボールとビニールテープなどでできていた。訊くと、小学生五人の芸術ユニットがつくったものだという。目が薄緑の透明の板でできていて、奥からビニールテープを透けて淡い光が届き、目を緑色に光らせていた。店の前に柘榴の木があり、赤い実がなっていた。

夜、妻の実家でタコライス、ほうれん草と豆腐、ぶどう。チャックの散歩、商店街に入りすぐに南へ折れる。ぐるっと回って帰宅した。一気に涼しくなって、チャックの足取りも軽くなった。今晩からは窓をあけて風をとおして眠ろう。

#3行日記

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?