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『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』/ 第1回 興味津々全体主義

1.はじめに

ここ最近、自分の中で世界史のマイブームが到来しつつあり、あれやこれや読むうちにふと思い出して手に取ったのがこの本。

実は私、全体主義にモーレツに興味がある。
それはもう、メっっチャメチャに。

なぜならば、己の育ってきた家庭の有り様と非常によく似た『何か』を全体主義の中に見てしまうからだ。

大きな集団の中で起こることは、小さな集団や個人の中にも起こる(可能性がある)。だって大きな集団を構成しているのは小さな集団であり、小さな集団を構成しているのは個人であるわけだから。
そこで似たようなコト現象が起きてたってちっとも不思議じゃない・・・・と、思うのだ。

『全体主義の起源』と、波紋を呼んだ『エルサレムのアイヒマン』は、現在も全体主義を巡る考察の重要な源泉となっています。この二作を通じてアーレントが指摘したかったのは、ヒトラーやアイヒマンといった人物の特殊性ではなく、むしろ社会の中で拠り所を失った「大衆」のメンタリティです。現実世界の不安に耐えられなくなった大衆が「安住できる世界観」を求め、吸い寄せられていくーーーその過程をアーレントは全体主義の過程として重視しました。

本文より

ドイツの全体主義はヒトラーにムリくり強要されたものではない、あれは大衆自身が望んだ結果でもあったのだ、とアーレント先生は捉えていらっしゃる(たぶん)。

第一次大戦に敗北してボロボロだったドイツの人々は拠り所を求めていた。自分たちを強力に引っ張ってくれる『何か』に縋りつきたい。
そんな大衆の願望を吸い上げて、メリメリと台頭していったのがナチスだったのである、と。


よく似た視線で世界を眺めていた人が書いた本をもう一冊。
こちらは『自由』がテーマ。

宗教改革からの資本主義の発展。革命、独立、人権意識。人々は昔に比べてとても自由になった。
しかし、自由を得ると人はそのぶん孤独になる。孤独に耐えられなくなった人々はせっかく手に入れた自由をポイして、再び束縛を望むようになってしまった。嗚呼。
ーーーみたいな内容。
私が入ったのはこっちからだった。

長くなりそうなので5回の連載にします(^^)
今日はここまで。


2023.11.23.

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