『悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える』/ 第4回 凡庸な悪とは
4.悪の正体
この人は組織の上のほうにいたまあまあエライひとで、とてつもない数のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ重罪人だ。
イスラエルで彼の裁判が開かれることが決まった時、アーレントは自ら『ザ・ニューヨーカー』誌に志願して特派員としてエルサレムに赴き、裁判を傍聴している。
アイヒマンっていったいどんなやつなのか。
悪魔の化身か、じゃなかったら狂ったサディストかサイコパス。
とにかくヤベー男に違いない。
・・・・みたいなテンションで全世界が注目する中、法廷に現れた極悪人、アイヒマン本人がどんなだったかというとーーー
『なんということでしょう。彼はどこにでもいるような、ごく普通~~のおいさんだったのです』と、アーレントはレポートの中で報告している。
だっれも味方なんてしてくれない針の筵のような法廷で、アイヒマンは冷静に淡々と、しかも結構真面目に、協力的な態度で裁判に臨んだのだという。
膨大な資料の全てにくまなく目を通し、聞かれたことにはキチンと答える。
彼はけっしてアホじゃない。
アホじゃあないんだけど意思がない。
それは思考が停止しているから(by.アーレント)
本来悪とは非凡なモノ、我々とは違う種類の人間(悪人)が行う特別なモノであるという価値観をひっくり返したのが、アイヒマンの普通のオッサンっぷりだった。
アイヒマンは裁判において、一貫して、自分は党の方針と法に従っただけだと訴えたそう。
『組織の歯車としてマジメに働いてただけ』のアイヒマンが犯した悪には、悲しくなるほどの陳腐さが漂う。
こーゆうのを『凡庸な悪』って言うらしい。
アイヒマン裁判の後、アメリカである実験が行われた。
これは人間がどこまで残虐になれるかを調べる実験だ。
ほかにもスタンフォード監獄実験とか、フランスでのテレビ実験とか似たような実験が行われたらしいのだが、結局どの実験でも『人ってエライ人に命じられたらコロッと言うこと聞いて残虐なコトやれちゃう』という結果が出たようだ。
こういう時、人って「自分には責任がない」って思いがちですよね。
残虐行為執行の責任はそれを命じてきたヤツに帰属し、罰される責任(原因)は罰を受けるヤツに帰属する。
んじゃ、君の責任は?となった時に、「え?俺?俺には責任なんてないよ?命令されてやっただけなんだから」となる。
この「自分には責任がない」的な感覚って、あらゆるタイプの毒親・虐待親がヒジョ~~に高い確率で標準装備してるヤツではなかろうか。調べたわけじゃないけど。
「お前が悪い(だから指導してやってる)」
『教育』とか『常識』とか『正しさ』とか、何か大きな概念トラの威を借りて、その権威の代理人として思っきしナタをふるいまくる。それによって周囲の人がどんだけ傷つこうがおかまいなし。
四六時中ご機嫌の悪い毒親たちは、この論理をうまーく利用して憂さ晴らしをする。絶対に楯突いてこない弱い立場の人間を相手に勝ち確の戦いくさを展開するのだ。
「大衆的で」「無思想的で」「無責任な」ごく普通の人たちによって行われる陳腐で凡庸な悪。
これが毒親たちの撒き散らす悪の正体じゃないだろーか。