『Audible つんつんブラザーズ The cream of the notes 8』/ 怒りと謝罪について考える
森博嗣先生とはだれ?
調べてみたら『すべてがFになる』の先生だった。読んだことはないのですが。
つんつんブラザーズはエッセイ集。
経験豊かなかしこい先輩によって綴られる、ためになるエッセイ。
その中からひとつ、一部を抜粋。
こういうの読むと私はすぐに対毒親目線へシフトしてしまうのですが・・・・
毒親許すかどうか問題。
「許す派」「許さない派」それぞれに立場お考えがあると思いますが、私の場合は許さない派。
なぜかといったら親が絶対に謝ってこないからだ。謝罪なくして許しなしのスタンスです。だってゴメンナサイしないやつを許すとかある?
私にはできん。心が狭いからね、無理っ。
そんなだから謝られた場合のことなんか考えたこともなかったんだけどーーー上記の先生の指摘はとてつもなく正しい。少々謝られたところで、まず許さないだろーなって思うからだ。あの長い長い苦しみをオマエはゴメンの2秒でチャラにしようってのか!!ってなる。
持っていき場のない怒りを引き摺り続けた経験は、私にも随分長くあった。
罪悪感と怒りがセットになった謎の振り子期間。
しかし。こういうのもまた、形を変えた親への依存なんだろうなって思う。
昔はサンドバッグをやらされ、成人して力がついたら今度は親をサンドバッグにしてぶちのめす。悲劇のヒロインをやっても、代を変えて虐待の連鎖に走っても、結局はみなおなじことだ。
役割が入れ替わっただけで共依存状態にあるのは変わらない。
となると、一見美しく感じられる『許し』行為にすら親の影がチラついちゃあいないか、と思えてきたり(許すためには許す相手が必要だ)。
ホントのゴールは過去のしうちを「んなもん今更どーでもええわい」と思えるようになることかもしれんなって。(※個人の感想です)
そんなことを考えさせられた耳読書であった。
40/200 2024.2.20.