寂しい思いが少なくなる形なら何だっていい
今回も面白いCOMEMOのテーマに参加します。正直今日の18時が締め切りなのでギリギリの投稿になりそう。。。
#ミレニアル政策ペーパー 第一弾「家族イノベーション」。
今回の企画はCOMEMOキーオピニオンリーダーの日比谷尚武さんが理事を務める「Public Meets Innovation(PMI) ーイノベーションを、社会と接続する。」とのコラボ企画として開催します。
【日比谷さんからのメッセージ】
ぜひ皆さんにとっての「理想の家族」や、自分の描く「家族像と社会とのギャップ」について、考えてみてもらいたいです!
おもいっきし、私見を書きたいって思います。
私はいろんな人が居た方が良いって思っているので、家族の形が色々とあることに対してなんにも異論はありません。
一番大切な点は、そうした色々な形があることを何の躊躇もなく息をするくらい自然に話せるような社会へと成熟することだと思っています。
私は、両親と妹という4人家族の構成で生まれ育ちました。なので、それが当たり前のように感じているところはあります。端的に言うと、それ以外を体験したことがないので、これがわたし自身のデフォルト設定ではあると思います。
私の育った家庭は、色々と話やすい家族環境だったので、私は寂しい思いをしないで成長できたと思っています。これはシンプルに私に影響を与えていると感じています。
というのも、生まれ育った横浜では近所の小中学校に通い、高校はちょっと遠いところに自転車通学していました。友達の中には、お父さんだけの友達やお母さんだけの友達もいっぱいいましたし、離婚や再婚で名字が突然変わる友達もいました。
子ども心には、色んな家族がいるんだなという程度で、そうした友達とはそれこそ普通に遊んで、一緒に勉強して、家庭というのを感じる機会は全くありませんでした。
ただ、子供心に気になっていたのは、暗くなっても公園で遊んで帰らない友達でした。家に帰っても、誰もいないんだよね。と話してくれたのは今も覚えている言葉で、遅くまでその子とよく遊んだのを覚えています。
そういった、寂しい思いをする子供というのは、子供から見てもとても嫌なものだったので、親が早く帰って来てあげたらいいのにと思ったものです。
いま、大人になって考えてみるととても複雑な状況だったのだなと思う訳です。地域で助け合ったり、近所で融通をし合ったりというのが出来ないような隔絶された状況だったかもしれません。
家族っていうのが、誰かに寂しい思いをさせないものであって欲しいなと思うんです、それならどんな形でも良いと思うです、私は。
これが難しい場合もあるのは承知しています。
私にはまず私の妻や子供たちが寂しい思いをしないようにしたいし、保育園や小学校で出会う子供たちにはいつも「元気かい?」って声をかけて、話やすい状況をなるべくつくるようにしたりと出来る範囲でやっていますが、それがどれだけ意味があるかは自分でも分かりませんが、自分の中では大切な行動だと思っています。
そして、私の心持として一番大切なのは、色々な背景や状況がそれぞれの個人にはあることを想像して、家族という形がそれぞれの人の数だけあるだろうと想定しておくことだと考えています。