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また、走ってみないか?(4)
鹿内は怪我を隠し通した。
それは、自分の怪我によって、部内の士気が落ちると考えたかもしれないし、彼自身のエゴかもしれない。
でも、僕も何も言わなかったし、聞かなかった。
結果、箱根駅伝予選会では、彼は最終ランナーでゴールした。脚を引きづりながら。
誰も彼を責めなかった。誰もが、自分も彼と同じ状況なら、同じ選択をすると考えたからだろう。ただ、予選会落選、その記録だけが残っただけだ。
僕たちの箱根の夢は終わった。それは、同時に現役引退でもあった。
正直、悔しいとか寂しいとかより、ああ、もう走らなくていいんだ、という安堵感があった。そう、僕も、鹿内に負けないぐらい、脚はボロボロだったのだ。
その後、僕は銀行に、鹿内は商社に就職した。
体育会系の僕たちは、昭和カラーの上司達の受けも良く、順当に社会人としてのキャリアを積み上げていった。
脚は、1年も走らなかったら、治っていた。研修期間が終わる頃、どこにも痛みを感じなくなっていた。試しに、天気の良い朝に、近所をジョグしてみたら、全く、痛みも違和感も感じない。嬉しかった。久しぶりの、ジョグもすこぶる気持ちが良かった。昨日と同じ空気なのに、何故か、美味しく感じた。
社内で、マラソンをやっている先輩から声をかけられ、レースを勧められたこともあった。でも、また、レースに出る気持ちは湧かなかった。
”あなた達みたいに、遊びでやれないんです。”
傲慢と受け取られるかもしれないが、そんな気持ちが湧いてしまうのだ。
同時に、あの頃みたいに走れないであろう現実と向き合うのを恐れていた。
もう、僕たちの青春は終わったのだ。
会社を退社する時、真っ暗になった空を見て、今日はどんな天気だったのか思い出せない自分にそう言い聞かせた。
だが、社会人になっても、鹿内との付き合いは続いた。
「そういえば、出雲駅伝観た?」
「ああ、あれな・・」
やはりランニング馬鹿コンビ、自分たちは現役を引退しても、ランニングの話題には事欠かない。というか、ランニングの話題しかしないと言った方が正しいかもしれない。自分でも恐ろしいぐらい、同じ話で盛り上がる。
あの時のレース、あの時の練習、あの時の仲間たちの話。
でも、僕たちは、まるで暗黙のルールのように、最後のレースの話題に触れず、「で、どう、最近、走ってる?」「まぁ、ジョグ程度ね。」という会話で締めくくっていた。
しかし、そんな日々に終わりを告げたのは、僕からだ。
(続く)