誰にも奪われないもの
これはうちの教育方針だったのか分からないけど、中学生ぐらいから、お小遣いは、新しい学年に進級するタイミングで親と交渉する慣わしであった。例えば、週に何回購買部で100円のパンを2個買うから、月にはいくらになる。本代は年間どれぐらい(去年の実績を踏まえ)になるから、月割だといくら、洋服代は年間いくらぐらい等の予測を明記し、よって、今年から月額のお小遣いはこれぐらい必要なる、と予算を提出し、親からもあれこれ質問を受け、承認されたら、その額になるという具合だ。
”欲しい時におねだりして買って貰う。”というパターンでは全くなかったし、小学生から、「みんなが持っているから、買って。」というアプローチも全く通用しなかった。
その結果、私のような人間が出来上がったと言えよう。
私の様な、というのは、まず、子供の頃から、収入内で生活しないといけないというのが身に染みており、特に家計簿とかつけなくても、日々の生活でどれぐらい使えるかが分かる。お陰で、大学進学で一人暮らしをし始めた時も、仕送りが途中で足りなくなるという経験は一度もない。
その上、常に、何かあった時の為のお金を確保する癖もついていた。
多分、親に、自分が飼いたいと言って飼った犬が炬燵でオネショをして、こたつ布団を買い直すことになった時、「私が弁償するから、もういいでしょ。」と言う為には、お金が必要と実感したのであろう。
また、”みんなが持っているから”が、通用しない親のお陰で、周りとの協調性は低くなったが、独立心は旺盛に。多分、承認欲求が低いのも、”みんな”に認められる必要がないと思っているからであろう。ある意味、傍若無人な性格に育ったとも言える。
親はこんな大人になると想像して育てたのであろうか?
自分は子供がいないので、”自分の子供をどんな大人になって欲しいか”で育てる感覚はイマイチ分からない。犬に関しては、どんな犬に育てたいかはあるけれど。。。
その為、人間の育て方として、良し悪しは言えないし、うちの教育方針、おすすめですよーとも言えないが、ただ、母に、「誰にも奪われないものを持ちなさい。それの為には、金を使いなさい。」と、言われたことがあり、それがずっと頭に残っていて、生きていく上で、悪くないと思っている。
お金、地位、名誉、若さ、美貌、頭脳、人気、などなど、確かに得ても、それ以上の人がいたり、若い人に取って代わる日が来たりと、”奪われる”ものばかりだ。
誰にも奪われないもの。
それは、自分の心、記憶、思い出、経験、想像力・・・そして、自分の中にある愛。
あとは何があるだろう?
きっと、そんなことばかりを考えながら、私はこれからも生きていく。