ストラテラの副作用に苦しむ日とわたし。
ストラテラを飲んでいますが時折急に合わなくなったのかムカついたり吐気がひどくなったりします。
ひどいとご飯も食べられないし立つことも出来ない。量を減らしてもらってでも飲みたいと思っている。
忘れっぽくてそれが致命的。私のことだけならいざしらず子供たちの行事、持たせるものなどなど波及してしまえば取り返しがつかない。
飲まなければ頭のなかはひどくうるさく、ざわついている。頭のなかが秒ごとに思考が切り替わり頭のなかが落ち着かない。
そんな今日。週のはじめ。
むすめは学校は行かなかった。うん、想定範囲だ。週明けに登校するのは今までほとんどない。
私は多分不登校の親をするのにはものすごく向いてなくてむしろお前の心構えのせいで子供が行けてないんじゃん?と言われても仕方ないくらいだめな親。
行かない行けないことに深くなにかを考えたりしない。
嫌なら嫌で仕方がない、という端的思考。
学校を休んでるのにプリチャンとかさせちゃうし、一緒にマックでご飯も食べる。
私は不登校について、誰も責めないし誰ものせいにしないでいたい。
学校が先生が教育が、そんなこと言える立場にない。よくしてもらってる。
彼女と彼女のものの捉え方、社会との関わり方の凸凹さがあるからだと感じている。
出来ないことを出来ないっていうことや、集団行動からはみ出ること、それが出来ないあなたは×なんだって言われてしまうこと。それを自分を否定する材料にしてしまうこと。そういうのがあるのかなって思う。
ありのままで生きていいと誰もが口にするけれどありのままでいることと、なにもしないのは雲泥の差だ。
そのことを知っている少し賢い人は彼女がどちらなのかを見極めようとする。
ふるいにかけられ、見極められることに自信を持てるほど彼女は強くない。自分を否定してふるいから真っ先に落ちることで心の平和を得ようとする。
どうせ、私はだめなのよ。どうせ、私はこんななのよ。求めないでよ、期待しないでよ。彼女はそう思ってたりするんじゃないかな。
だから私は下手くそながら受け止めたいとそう思った。否定せず受け止めたいと。
それは甘えで甘やかしで誰のためにもならないことだと言われても仕方ない。
でもどこかに自分を否定しないでストンと受け止めてくれる人や世界があったっていい。
私は彼女のクッションになりたいのだ。
人をダメにするクッション、的なそんな立ち位置でいたい。