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フワフワと生きてみる。

久しぶりにおおかみこどもの雨と雪がテレビでしていたのでみんなで観ました。

この作品はレンタルで借りては返して借りては返してを繰り返しすぎて買ったほうがいい、となり購入したほどでした。

あの頃。子育てにてんやわんやだったあの頃。本当に涙が溢れた。心が揺さぶられた。

私はなにをしているの?なにをしてきたの。なにをしてやれるの?そう強く思うくらい。

今でいうところのワンオペ状態で都会の隅っこで毎日息を潜めて暮らしてた。越してきたばかりで土地勘もなく外へも出られないし出ない日々。憂鬱、混沌、圧迫感。そんな中で生きていた。

下の子が幼くて夜泣きがひどかった。癇癪を起こしては泣きわめいた。そのたび上からも横からも怒られドアを蹴られ罵声を浴びせられて。

行くところもなく死にたいとさえ思った。このまま着の身着のまま飛び出してどこかへ流されて何者でもなくなって流され続けて楽になりたいと思ってた。ひどく憂鬱で鬱積した世界にいた。と思っていた。

子供が立ってもスプーンを使えてもコップ飲みが出来ても喃語が始まっても何一つ喜べなくて嬉しさもなくて。あの頃は本当に地獄だった。

そんなときおおかみこどもと雨と雪を見て、こんな世界があるじゃん、て思った。

自分とも重なって感情移入してしまって何度も見た。

なにをしているの?なにをしたいの?どうありたいの?どう向き合うの?

その答えが詰まっている作品だと感じた。

ここをいつか飛び出してこんなことで怒らないようにしたいと強く思った。

そして今は自然がたくさんの土地で暮らしている。いささか都会に比べやりづらいこと、わからないこと、勝手が違うこともある。

それでもここへきて子供がなく度に怯えずにすむこと、子供たち以外のことで気にすることが減ったことはとても大きかった。

お金もなくて何にもなくて、新天地と呼べる場所となるのかもわからない場所だったけどそれでも今もなお思うのは「何かに怯えて暮らすのは息してても辛い」ということだ。

暮らしにくい、そう思ったら思いきって世界を変えてみるのだってありだ。世界は待ってても変わらない。変われるのは自分だけ。

命を粗末にせず、大それた迷惑を人様にかけなければ大体のことは責任背負えるから大丈夫。

子育てに悩んだら、これでいいのかわからなくなったら。何かを変えていこう。着るもの、食べるもの、遊ぶ場所、付き合う人々。住む家、住んでる町、変えられるものから変えていこう。どうしたいのかがとても大切なこと。どうありたいのか、どう暮らしたいのか。今もまだ私も途中。まだまだ上がって下がって急加速して落ち込んでくるくる回ってる。それでも嫌なとこにいてじーっとしてるより進んでると思おう。変えたいと思えているだけ進めているとそう、思おう。

受け入れて、背負って、生きていく。そうやって好きな人と好きなところで生きることが出来たらどれだけ素晴らしいだろう。迷ってフワフワ。落ちながらフワフワ。それが今はいいんじゃないかな。今の私は。

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