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エロと男性に対して否定的だった母親の実家:複雑な家庭事情、3軒目の家

これは私、脱処女40代の苦労ねこルネが、病院に行くことなく挿入障害を克服した実体験のブログです。

挿入障害とは男の人のペニスを「挿れられない」「挿れようとすると痛い」「挿れても気持ちよくない」という女性のお悩みのことです。

あなたは、なぜ自分は、自分だけが挿れられないのかと悩んでいませんか?
「普通の体」になりたくて隠れて涙を流していませんか?
これを克服できた人はいるのか、いるとしたら一体どうやって克服したのだろうかと、実例を探していないでしょうか?

そんなあなたのためにこのブログを書きました。
あなたにとっても、私の経験が何かの役に立てば嬉しく思います。試しに読んでいってください。

私にあった男性に対する敵意の原因になった家

私の子供時代には3つの家が関わっていた。

幼少期の育ち、経験は大人になってからも消えず、その人の人生を形作る。特に心が傷つくような経験は。
だから、人は人生の悩みにぶつかった時、自分の育てられ方にその原因がないかを振り返った方がよい。
子供のうちから悩みと苦しみだらけだった私は、この人生の振り返りを何度となく繰り返してきた。それでもまだ、振り返るたびに発見がある。

私は父の変質的な「英才教育」の影響で幼い頃からエロに対する関心が強かったが、一方でそのセックスの相手であるはずの男性に対する敵対心、恨みのような感情も抱えていた。
言葉にすれば「男に屈服するなどもってのほか、必ずやり返してやる!」みたいな感情がいつもどこかにあって、結婚生活などの近い人間関係になるほど顔を出し、トラブルを引き起こした。
パートナーの選び方にもこの感情の影響が強く出ていると思う。
これらは、私の子供時代に関わった3軒目の家、性にまつわるトラウマが親子連鎖していた母親の実家から引き継いでしまったものが原因だった。

もし、あなたも人生の大きな悩み、そういえば何度も繰り返している悩みがあるなら、自分の育ちを振り返ってみると解決に向かうかもしれない。

ここでは私、脱処女40代の苦労ねこルネの、どんな育ちが大人になってからの人間関係の悩みや性的な悩みを形作ったかを、かいつまんで物語っていく。

挿入障害だけでなく、あなたがセックスや男女関係にトラブルを抱えているなら「私の場合はどうだろう?」と振り返るきっかけにできると思うので、参考にしてみてほしい。

エロと男性に対して否定的な刷り込みを受けた母親の実家

少し距離があったので父の実家ほど頻繁にではなかったが、お盆や年の暮れ、それ以外もなにかの折ごとに母親の実家にもよく世話になった。

1軒目では命も危ないようなネグレクトなどの虐待を受け、2軒目では居てもいなくても構わない預かり子扱いだった私だが、この家では逆にずいぶんと甘やかされた。
もしこの家が中心になって私を育ててくれていれば天国のような子供時代だったろうが、多分また別の、小さくはない問題を抱えて大人になっただろう。

この母親の実家は、どちらかというとエロに対して否定的な空気の漂う家だった。
人によってはエロそのものへの嫌悪もあったし、女性には共通して男性に対する否定的な気持ちが流れている家だった。

母親の実家の、エロへの拒否感の根源だった強烈な曾祖母

母親の実家を特徴づけるのは何と言っても曾祖母だ。
彼女は自分の夫や、女性が抑圧されて自由がない社会というものに対して恨みの感情を抱いていた。

彼女自身の個人的な経験も、そういった感情を抱かせるには十分だったのかもしれない。
しかし、彼女が他界した時まだ17歳だった私が聞いた限りの話だけでも、彼女には「ダブルシフト」が起きていた可能性が高い。

「ダブルシフト」というのは、曾祖母の場合について簡単に言うと「母親の父親に対する恨みを娘の曾祖母が受け継ぎ、関係ないはずの自分の夫を恨む」ことである。

(「ダブルシフト」の起こり方とその悪影響についてはまた別の機会に)

これはとてもよく見られる、そして家庭内の不和をこじらせる原因となる現象だ。
ご多分に漏れず、幼い私の記憶の中で、最晩年にあった曽祖父は曽祖母に疎んじられ、小さな自室に押し込められるようにして静かに余生を送っていた。

また、曾祖母は自分の娘にも、孫娘にも、曾孫娘である私にも、一人で生きていける力、つまりは手に職をつけてお金を稼げる力を身につけるように強く望んだ。
自分にはその力がなかったばっかりに全く望まない結婚を押し付けられ、大嫌いな男と家庭を持たされたと思っていたからだ。

そして、曾祖母は色気のある話題を極端に嫌う人だった。
祖母から聞いた曾祖母の所業と合わせると、彼女が ”女性らしくセクシーになってはいけない” という、心の傷からくる思い込みに深く囚われていたことは間違いない。

(”女性らしくセクシーになってはいけない”という心の傷と持つ人の特徴、その悪影響についてはまた別の機会に)

あまりに極端にエッチなことを嫌うもので私の母親は曾祖母に反発し、エロの塊のような父と結婚して、彼女のカマトトぶった態度を2人してさんざんに馬鹿にし、嘲笑っていた。
思い返せば父と話している時、母親は執拗なほどエロな話題に走るところがあった。

たとえばこのように母親の性格を歪めてしまうほど、曾祖母は母親の実家で強烈な影響力をふるっていた。

この曾祖母の押し付けは実にうるさかったので、私も反抗期に反撃した覚えがある。
父からの「英才教育」で学んだ、男のイチモツのリアルな絵をささっと素描して彼女の眼の前にほいと差し出したのだ。
期待通りものすごい形相でにらんできたので胸がスッとした。
ほとんど一緒に暮らしていない私ですらあんな気持ちになるのだから、他の家族にとってはどれほどうるさく、息苦しい人だったかは推して知るべしである。

私の命の恩人だが曾祖母の犠牲者だった祖母

母親の実家での私への影響力といえば、祖母のことを抜かして語ることはできない。

彼女は曾祖母の長女、つまり最初の被害者だ。彼女は曾祖母の言いなりだった。

曾祖母の言いつけ通り手に職をつけたはいいものの、おかしな男を見合いで婿に取らされた。
娘が一人できてすぐ離婚し、その後ずっと実家暮らしの独り身だった。
つまり、一度は結婚して子供もいるのに、彼女は「一度も実家を出ていない」のだ。

手元に残した一人娘は曾祖母の悪影響で性格が歪み、成長するとほとんど話が通じなくなった。
それでも、ああだこうだとしてくる要求には出来るだけ応えてやった。
私が母親の実家にいる時も、電話で一方的に話し続ける母親に何時間も相槌を打っている祖母の姿を何度見たか分からない。

娘は祖母とは違い、結婚して実家を出た。
そして1年ほどで妊娠したが、身重に耐えられるような人格ではなかった。
中絶する、しないといって連日のように大騒ぎし、何度も救急車を呼びつけた。
祖母は娘からの一方的な電話や手紙からその様子を想像し、ハラハラしていたそうだ。

そんなこともあって、どうにか流産もせずに孫娘の私が生まれた時は心の底から嬉しかったという。

祖母には娘と違って養育能力があった。
出産直後は「いつまででも寝顔を見ていられる」と言っていた私の母親は、数週間もしないうちに養育能力と意思の問題を露呈し、夫婦そろって実家に私を預かってほしいと言ってきた。
そして祖母はそれをすぐに受け入れてくれた。

この時に曾祖母は私を預かることに難色を示したそうだが、祖母は生まれて初めて自分の母親に反抗して、私を預かる話を通してくれたという。私の命の大恩人なのである。

こういった経緯で、祖母は生後数週間からの1年弱、私の育ての親でもある。
私には虐待された子供によく見られる特徴と、その真逆のような特徴が混在しているが、真逆の特徴を与えてくれたのは間違いなく祖母だろう。

そんな、もはやただ一人私が実の母のように慕っていた私の母方の祖母なのだが、彼女もやはり母親の実家の人であり、曾祖母の被害者だった。

祖母はまだ小学校低学年ぐらいの私に、別れた夫(つまり私の祖父)は祖母ではなく祖母の妹の風呂だけ覗いていた、だとか、女性を布団に引きずり込んだ話をさかんに自慢していた、だとか、祖父とエロがらみのなんだかおかしな話をよくしていた。
当時の私は自分の祖父の話だとも気づかず(おじいちゃんと言えば曽祖父だったので)、「ふーん?へんなの」とその話を聞いていた。

後年、私が大人になってからは、こんなものではない母親の実家のエロにまつわる業を打ち明けられたので、これでも祖母なりに節度をもって話題を選んではいたのかもしれない。
しかし、小学校低学年の子供にする話ではないだろう。
しかも私にとっては自分の祖父の悪口になるような話である。

そういえば、祖母は私が中学生になった頃、しきりに「ルネちゃんは男勝りだ、ルネちゃんは男勝りだ」といって褒めてくれた。
母親より母と慕っていた祖母からそんなことを言われるので、私は自然に「ふーん。男勝りなのがいいことなのか」と思ってしまった。
このエピソード自体は、無意識への刷り込みが起こるには私の年齢がやや高すぎる。
しかし、そんな褒め方をする価値観を持った人に育てられれば、当然、同じような価値観を持った人に育つ可能性が高い。

性にまつわるトラウマが親子連鎖する典型的な家

色狂いになった私の母親を含め、母親の実家の女性3人は、「エッチなことにとても関心が強いのにそれを無理に抑圧された」というトラウマが共通している。

たぶん曾祖母がそのトラウマの強烈な震源地であり、祖母はエロを抑圧されて素直に抑圧されたままの人生を送り、母親は抑圧に反抗して真逆の色狂いに走った。

(「エッチなことにとても関心が強いのにそれを無理に抑圧された」ことでできるトラウマとそれを持つ人の特徴、その悪影響についてはまた別の機会に)

それと同時に、生涯曽祖父を嫌い続けた曾祖母、子供ができてすぐに離婚した祖母、当たり前のように父にけなすような言葉を投げつけ、食器が飛び交う激しい夫婦喧嘩を繰り返していた母親の母娘3代にわたって、男性、パートナーに対する恨みの気持ちが引き継がれている。

かろうじて私が聞き及んだ限りでは、その恨みは曾祖母の母親から曾祖母へ「ダブルシフト」した感情が元になっている可能性が高い。
「ダブルシフト」とは曾祖母の場合、「母親の父親に対する恨みを娘の曾祖母が受け継ぎ、関係ないはずの自分の夫を恨む」ことである。

(「ダブルシフト」の起こり方とその悪影響について、詳しくはまた別の機会に)

結局、父の実家も母親の実家も、何らかのエロがらみなテーマを持っていたということだ。
心理学的に言えば、丁度お似合いのテーマをお互いに抱えた両家だからこそ、結びついたということになる。

そんなこととは知るすべもなく、ただ生まれ落ちた環境に翻弄されるままに3つの家を行ったり来たりする中で、私のその後何十年も続く苦しみは作られていったのである。

私は自分の悩みを解決するために、これだけのことを調べて向き合ってきた。
複雑な家庭の事情のせいで両親よりも上の世代との関わりが長かったことも、こういったことを調べ上げるためには役に立った。

数々の悩みを克服してきた私の経験からしても、家の過去は知らないよりも知っておいたほうがいい。
だが、その先、「では今からどうすれば?」という問題を本当の意味で解決するには、本物の心理療法との出会いまでの、さらに長い年月が必要だった。

本物の心理療法がどれだけ根本から私の抱えた問題を解消してくれたか、それがなぜ、どのように効くのかについては、また別の機会に。

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