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とある男と女と、関係ない子供が住む家:複雑な家庭事情、1軒目の家

これは私、脱処女40代の苦労ねこルネが、病院に行くことなく挿入障害を克服した実体験のブログです。

挿入障害とは男の人のペニスを「挿れられない」「挿れようとすると痛い」「挿れても気持ちよくない」という女性のお悩みのことです。

あなたは、なぜ自分は、自分だけが挿れられないのかと悩んでいませんか?
「普通の体」になりたくて隠れて涙を流していませんか?
これを克服できた人はいるのか、いるとしたら一体どうやって克服したのだろうかと、実例を探していないでしょうか?

そんなあなたのためにこのブログを書きました。
あなたにとっても、私の経験が何かの役に立てば嬉しく思います。試しに読んでいってください。

物心つくと同時に、山積みの大人向け雑誌の洗礼

私が物心ついたころには、トイレに山積みされた「大人向けの雑誌」があった。
主人公が美女たちとセックスをするシーンがあまり意味なく差し込まれている漫画が連載されていたり、そのとき流行りの若い女性の全裸の写真が袋とじになっているようなやつのことだ。

便座に腰かけると、左側にたぶん100冊以上積まれたエッチな本……普通に見れる状態だったので、ひらいて見ていた。当時3歳。意味が分からないなりにも、何となく本能的に心躍るものを感じた。

挿入障害の原因になった育ちの一例

といった具合で、私は育ちが悪い。
私の子供時代には3つの家が関わっており、こんなことになっていた家はそのうちの1つだ。

幼少期の育ち、経験は大人になってからも消えず、その人の人生を形作る。特に心が傷つくような経験は。
だから、人は人生の悩みにぶつかった時、自分の育てられ方にその原因がないかを振り返った方がよい。
子供のうちから悩みと苦しみだらけだった私は、この人生の振り返りを何度となく繰り返してきた。それでもまだ、振り返るたびに発見がある。

もし、あなたも人生の大きな悩み、そういえば何度も繰り返している悩みがあるなら、自分の育ちを振り返ってみると解決に向かうかもしれない。

ここでは私、脱処女40代の苦労ねこルネの、どんな育ちが大人になってからの性的な悩みを形作ったかを、かいつまんで物語っていく。

挿入障害だけでなく、あなたがセックスや男女関係にトラブルを抱えているなら「私の場合はどうだろう?」と振り返るきっかけにできると思うので、参考にしてみてほしい。

とある男と女と、関係ない子供が住む家

私の生育に関わった1軒目の家は父と母親の家だ。

父と母親は子供の私がいるにも関わらず、お父さんとお母さんではなく「男と女」であった。食卓では父が母親の胸を触ったり二人でエッチな話をしていた。
もちろん私がいるのはお構いなしである。
今でも覚えているが、父はときどき母親に「おいアレ買ってこい」と命令していた。
アレといえばコンドームのことであった。
母親はそう命令されると、いつも「うすうす」と書かれた箱を買ってきた。
繰り返されるやりとりを不思議に思い、私は「うすうす」に興味を持った。

私は後で叱られそうなことを平気でやるところのある子供だった。
父も母親もいない時、それが何なのか確かめたくて勝手に箱の中の包みを破って開けてみた。
赤色や緑色をした包みの中身は、さわるとべたべたしていた。
予想外の感触にびっくりして、何か気持ち悪い感じがしたのですぐ捨てた。

私はこの家の中で孤独だった。
たとえば夜は親子3人川の字で寝ていたものの、それは母親・父・私の順番で、父と母親はだいたい抱き合って寝ていた。
子どもなので横になるとすぐ熟睡していて、めったに起きることはなかったが、たまに夜中目が覚めた時のうっすらとした記憶からしても、多分二人は毎晩のように行為に及んでいたのだろう。
当時の私には何をしているのかは分からなかったが、ほったらかしにされているようでなんとなく寂しく感じていた。

後年、それまでの自分の人生をつづったときにも書いたが、この家に住む3人は家族というより、とある男と女と、関係ない子供が暮らしていた感じであった。

ちなみに、もうお気づきかもしれないが、この家が冒頭の成年向けトイレの家である。幼い子の子育て中であることへの配慮がまるでなかった実の両親の家だ。

私の挿入障害の元凶となった父

父の私に対する行為はただ「配慮がない」では済まないようなものだった。

例えば大人の男性向けのエッチな漫画雑誌のエロシーンを見せたり、自分の下半身を露出し、玉をめくって裏を私に観察させた。
父はこのような、振り返ればちょっと変質的なことを日常的にする人だった。
さらに、小学校を卒業するような歳までに父から聞いた話のほとんどがエッチな話だったと言ってもいいくらいにそんな話ばかりする人だった。

私はいわば、父によってエロの「英才教育」を施されていたのだ。

父の性的虐待めいた私への所業はこの「英才教育」だけにとどまらず、私に挿入障害の核心となるトラウマを植え付けもした。

私が20年もの長きにわたって苦しみ続けたのは、ほぼ父のせいだ。
詳しくは別の記事にまとめたので読んでみてほしい。


エロについては父に隠れて影の薄い母親

父が家の中でそんな行為に及んでいるとき母親はどうしていたかというと、何も関心を示していなかった。
大して広くもない間取りのアパートに確保した自分専用の部屋にこもっているか、誰も聞いていなくても自分のしたい話を延々としているか、その時自分が関心を持っていることだけをしていて、自分の夫と娘がしていることを見ているだとか、口を挟むといったことはまったくなかった(夫に自分の要求を伝えるためにやりとりを遮ることはあったかもしれないが)。

そして、数々の虐待などで私の人生に大きな影を落としている母親ではあったが、エロに限定したときの悪影響は、父に比べると印象が薄い。
彼女自身は色狂いと言ってもいいような好き者で、食卓では飽きもせずにエロいことを話題にし、夫の命令に従って嬉々として「うすうす」を買いにいき、毎晩のように夫と抱き合ってはいたが、私のすぐそばでそんな生活をしていたというだけで、積極的に性虐待めいたことをしてくることはなかったのである。

母親への憎しみから自分の性別であることや、母親になることへの嫌悪を植え付けられたことが必然的に性的な障害にもつながったりはしたが、父が私にした性暴露の悪影響と比べれば、やはりその影はずっと薄く感じる。

とにかく父の悪影響を受けた主なトラウマ受傷の現場

私が育った1軒目の家はさすが両親の家だけあって、エロ関連に限っても、とにかく父の悪影響を受けた主なトラウマ受傷の現場だったとまとめることができる。

ただでさえ幼少期の子供にとって両親の影響は計り知れない。
それが両親から配慮を受けられず、虐待や性的トラウマに晒されながら育ったとなれば、一生を台無しにして余りあるほどの悪影響を受けることになる。

猫なので自分で言ってしまうが、これほどひどい両親の家で育ったわりに、私は奇跡的なほどマトモである。
挿入障害で20年も「人生台無し」級の苦しみを味わわされたが、それですら「これだけで済んだ」と言えるほど、この家は本当に、本当にひどかった。
2軒目、3軒目の家は私の生育に小さくない影響を与えたことで、この両親の家から受けた本当にひどい影響をぼやかしたり、部分的に打ち消してくれたように思う。

あなたが育った家はどんな所だっただろうか?
それはあなたにとって安心できる、安全な場所だっただろうか?

この質問に「はい」と即答できないとしたら、あなたはその家から良くない影響を受けて育ち、その影響が現在にまで続いている可能性が高い。
もし今現在に悩みがあるなら、自分が育った家での体験を思い出して、その悩みにどこか似た経験がなかったか探してみよう。
そんな経験が見つかれば悩みの根本解決のカギになるかもしれない。

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