教育こそが日本人を強くする
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ビリギャルのモデルとなった小林さやかさんのインタビュー記事。
2022年の秋からコロンビア大学の教育大学院へ進学されるそうだ。
「もともと頭が良かったからでしょ?私には無理」という言葉をよく耳にしてきた。
羨ましさの裏に妬みもあるようなそんな響き。
そもそも「もともと頭がいい」人なんているんだろうか?
記事の中には「地頭がいい」という言葉が出てくるが、
地頭について調べてみるとたくさんの記事が出てくる。まとめると上記の引用ようになる。
「地頭がいい」人はいるのだろうけど、これは単純に生まれつきそうであるとは言い切れない気がする。
「地頭をよくするには?」なんて生地がいくつもあるように「地頭」も後天的なものなのだろう。
それなら誰だって地頭をよくすることができるし、勉強ができるようになるはず。
それができないということは
自ら諦めてしまっている
勉強をする環境が整っていない
という理由があるからなのでは?
記事内にも出てきた「日本人の自己肯定感の低さ」に加えて「チャレンジする人の足を引っ張る性質」が人々を成長させるための環境作りを阻んでいるのではないか?
どうせ自分なんてダメなんだ。
うちの子は勉強できないから。
そんなことできるわけないじゃない。
そんなふうに自分や他人が成長できるチャンスのきっかけさえつかもうともしていない・つかませようともしない人が多い気がする。
(私もその1人かもしれない)
諦めてしまうことだけでなく環境が整っていないことも成長を阻んでしまう。
小林さんが言うように周りの人が信じて応援してくれることが学びや成長の環境を整えるのだと思う。
私は地頭がいいかどうかはわからないが、いわゆるお勉強はできる子だった。
でも希望の大学には入れなかったので入試というものに対応したお勉強を効率よくこなす能力が低いところをみると地頭はいい方ではないのかもしれない。
それでも両親は私を信じて最高の環境を整えてくれた。大学まで通わせてもらったし、海外留学の提案もしてもらった。
希望の大学に入れなかったことや海外留学を選択しなかったのは私自身の諦めや当時自分が作り上げていた環境のせいだ。
良い環境を与えてもらってもそれを生かすも殺すも自分の責任ではあるが、環境は誰にも平等に与えられるものだと思う。
周りの人が勝手に「あの人は環境を与えられてもうまくいかないだろう」と判断して環境を与えないというのはちょっと間違っているのではないだろうか?
私は日本人は頭のいい民族だと思っている。
それこそ地頭もいい人が多いと思う。
環境が与えられないことで諦めている人が多いのかもしれない。
これからの未来を担う子どもたちに思いっきり学べる環境をみんなに平等に用意できる社会にするのが我々大人の仕事。
資源もなければ、最近は日本の技術や産業は世界からもてはやされなくなってきている。
さらに世界で一番早く超高齢社会を迎える国でもある。世界中が日本の問題解決能力に注目している。
これからの日本人を強くするために必要なのは教育だと思う。日本人の持てる才能を開花させたら世界中の問題をほとんど解決できるかもしれない。
小林さんは日本の大学で教育について学び、今度はアメリカの大学でさらに教育の知識を深める。
そのために最高の環境を選んで進んでいく。
環境は与えられるだけでなく、その環境を選んで自分で向かっていくのも大事なんだなと気付かされた。
何も考えず与えられた環境をうまく活かせなかったことを少し後悔している。
だけど、学びは一生だと思っているので今からでもその環境に飛び込んでいくことはできる。
40歳すぎてるんだからもう勉強しても意味ないでしょ。
って声も聞こえてきそうだけど40歳を過ぎた今、他人の言葉は全然耳に入ってこなくなっている。
私は死ぬまで学び、考え事をしていたい。
私にできることはなんだろう?
教育に関しては平等だとは言えない状況。
まともな教育が受けられない子に学ぶことを教えられる場所を作ればいいのか?
これもまた学びたい分野になる。
時間とお金が欲しいなぁ。