【読書メモ】他人を支配したがる人たち(ジョージ・サイモン)【#68】
人を追い詰め、その心を操り支配しようとする人というのは、潜在的攻撃性パーソナリティと呼ばれる特徴です。日本ではあまり使われていませんが、欧米では「マニュピレーター」、形容詞形の「マニュピレーティブ」がよく使われ、多くの辞書にも第一義として「相手をたくみにあざむき、自分を意のままにする人」と書かれています。
私もプライベートや会社で、この手の人に出会ったことがあり、散々苦しめられてきたので、この本はすごく腑に落ちました。そして10年以上かかってたどり着いた解決法の多くが第10章にまとめられていて、もっとこの本に早く出会っていればこんなに被害に会わなくて済んでいたのにと残念に思いました。
本書にも書かれているように、付け焼き刃は逆に被害を拡大してしまいます。しかし、自分が違和感を感じているのが、潜在性攻撃性パーソナリティに関係してるのか参考になるところを紹介します。もし当てはまりそうなら、すぐに本書を読むことをお勧めします。
なぜ正体を見抜けないのか?
マニュピレーターの被害者は自分が置かれている関係に気づくことができません。
1、自分が攻撃されていることに気づけない
相手の攻撃が明瞭なものでないため、無意識のうちに脅威を抱くが、客観的で明白な理由や証拠が見当たらない。
2、傷ついているのは相手の方と思わせる
知らず知らずのうちに受け身に立たされて、つけ込まれていると疑っていても、自分の勘違いではないかと思ってしまう。
3、自分でも意識していない「弱点」をひそかについてくる
マニュピレーターは、どうすれば負い目を引き出せるかに精通していて、被害者よりも被害者の性格を見抜いている。
4、「問題があるのは自分の方」と思わせる
人は、他人に対して辛辣で否定的な判断をくだすのをためらってしまうため、そう考える自分に疑いを向け、自分を責めてしまう。
神経症とパーソナリティ障害
神経症とパーソナリティ障害は似ているようですが、実は対極にあります。その違いについても詳しく書かれています。
神経症の人たちが見舞われる感情的な混乱は、本能的な衝動と良心のせめぎ合いに端を発している場合がほとんどである。
「愛すること、生きること」(スコット・ペック)の中では、神経症の患者が苦しむのはあまりにも良心的すぎるからだと指摘している。
神経症患者がその欲求や思いを満たそうとしても、心は罪悪感と羞恥心に襲われる。それを恐れて、欲求の対象を追い求めたくても求め続けることはできない。
パーソナリティ障害を病む人は、そもそも自制心が欠如しているため、自らの行為が原因で苦しむことなどありえない。
前述のスコットペックも、「彼らは満足な良心を持ち合わせていない種類の人間なのだ」と指摘している。
これと思い込んだ目的に向かってなりふり構わず突進していき、当人は良心さえ咎めない。
他人の権利や事情にはお構いなしで、それどころか他人を犠牲にしてでも自分1人の目的を追い求める。
次の言葉が最も分かりやすいと思います。
「惨めな思いに苦しむ患者がいて、もし自分1人で苦しんでいるようならその患者は神経症。そして、周囲の者皆全てを苦しめているようなら、おそらくその感情はパーソナリティ障害に違いない」
パーソナリティ障害の問題だと考えられる思考パターン
1、自分本位(自己中心的)な思考
2、所有的思考(他人を自分が思い通りに扱える所有物と考えたり、自分を満足させるために存在している者とみなしたりする思考)
3、「すべてか無」の思考(望んだものがすべて手に入らなければそれは皆無に等しいと考えて全てを否定してしまう傾向)
4、過度にうぬぼれた思考(自分は選ばれたものだという考え)
5、羞恥心の欠如(本性を暴かれたことにうろたえる事はあっても、行為そのものを恥じる事は無い)
6、安直な思考(目的のために努力を重ね、義務を負うことを毛嫌いする)
7、罪の意識を感じない
ただし、潜在性攻撃性パーソナリティには人を支配し、他人を出し抜くことに必死でありながら、犯罪者のようなタイプは皆無に近いという特徴があります。マニュピレーターは非常に狡猾なため、本当に法律を破る事はありません。
犯罪者ではないということで、サイコパスとの関係が気になると思います。著者としては、潜在的攻撃性はサイコパスの軽度なものではなく、攻撃性パーソナリティの中で最悪の危険性と狡猾さを備えたものをサイコパスと考えています。
第9章では、相手がこちらに対して精神的な攻撃に出ていることに気づくための、相手の行動を見抜く項目がまとめられています。
その中でも、神経症と攻撃性パーソナリティを見分ける方法が書かれています。「矮小化」という項目では、「神経症の患者はささいなことを常に過大な問題と受け止めて頭を抱える。一方で、攻撃性パーソナリティは、常に自分の悪事をありきたりなものに見せかけようとする。」1対1のときは攻撃してきても、他人が加わってきた時に「そんな大したことじゃないわよ。騒ぎすぎよ」と、大きな問題にしたがらないのも特徴的だと感じます。
「良心を持たない人たち」(マーサ・スタウト)ではサイコパスが扱われていて、特殊な事例のように思えましたが、このマニュピレーター(潜在性攻撃性パーソナリティ)は必ず身近に1人くらいはいるんじゃないかと思います。自虐的に「俺サイコパスだから」というような人は全然サイコパスではないけれど、思いもよらないような人が実はマニュピレーターであるという可能性は常に持っていた方が良いように思います。
おわり