おがさわら丸が16時間遅延して竹芝桟橋に到着した話
こんにちわ、くろもあさんです。
今日も今日とてお酒を片手に筆を執っていますよ。
わたくしは、さる2023年10月22日に小笠原諸島の父島を出港したおがさわら丸(以下、おが丸)に乗船しておりました。おが丸は通常であれば東京と小笠原を片道24時間で結ぶはずなのですが、この便は不幸にもトラブルに巻き込まれ16時間遅延したために、東京到着まで40時間乗船することとあいなりました。
せっかくなので、そのときの貴重な体験を記録として残しておこうと思い、この記事を執筆することにしました。
はじめに
わたしは船に乗るのが好きな人です。なので、同じ便に乗船されたみなさんにとってはつらい記憶だったかもしれない16時間の遅延ですが、わたしにとっては乗船時間が増えるということで終始ハッピーだったりしたわけです。よって、この記事では苦労話や恨みつらみを吐露するのではなく、基本的に楽しかった出来事という文脈で語るので、読みたい内容と違うなと思った方はそっ閉じ推奨。
あと、トラブルが発生したのは乗船二日目である10月23日の早朝6:00頃のため、それまでは平穏まったりとした普通のおがさわら丸乗船記になっています。予めご了承ください。
なぜ小笠原に行ったか
そもそも、なぜわたしが小笠原に行ったか、いや、行かなければならなかったかについては、以下の記事中にウザいポエムが書かれていますのであわせてお読みいただけると幸いです。しかし、ちょうどほぼ一年前の小笠原滞在の思い出を引きずった結果、偶然にも10月22日に父島を出港するおがさわら丸に乗り合わせることになったのですから運命とは不思議なものです。
幸運だったこと
今回は、奮発して個室である1等室を予約していました。なぜ予約したかというと、おがさわら丸が16時間遅延する未来視をした……わけではもちろんなくて、自分が小笠原で体力を使い果たしてダシガラになることをあらかじめ想定して静かに落ち着けるプライベートスペースを用意したかったからです。
結果的に16時間遅延という非常事態において健康的に過ごす上では大変有利にはたらきました。たとえフトコロがいたんでも1等室の予約を完遂した過去の自分をほめてあげたい。
みなさんも、不測の事態に備えるなら上級船室を予約するのも一つの手です。とはいえ、ここまでダイナミックな遅延はめったにありませんけどね。
出港
いってらっしゃい
小笠原諸島の最大の有人島である父島の二見桟橋から東京に向けておが丸は出港します。乗客のみなさんの多くは小笠原から帰りたくないと後ろ髪を引かれながら乗船していたことでしょう。もちろん、わたしもその一人です。
この時点で、おが丸が16時間遅延するなんて予想できた人は誰ひとりとしていなかったでしょうね。
規模の大小こそあれ、離島の港ではお見送りは付きものですが、父島のお見送りは盛大です。島のほとんどの人間が港に集まっているんじゃないかというくらい。お見送りの言葉は「いってらっしゃい」。これは、おが丸乗客の心を小笠原に縛りつけるためのおまじないと言っても過言ではありません。
それに輪をかけて小笠原のお見送りが特殊なのは、港でのお見送りにとどまらず、島の船がおが丸を追いかけて海上からも見送りを続けること。
古くは、内地に戻る女性達の気を引くために漁師の男性達がはじめたともいわれていますが、このお見送りの光景は人々の胸を打ちます。多くの人は、このお見送りを見て小笠原への再訪を誓うことになるでしょう。
一方で、今回のおが丸の16時間の遅延がどれだけの人々の小笠原への再訪の誓いを打ち砕いたかは不明です。思うに、きっと小笠原がイヤになった人はほとんどいなかったんじゃないですかね。それくらい、このお見送りの感動はすごいのです。小笠原滞在中に関わった人の数が多ければ多いほど。
小笠原の思い出に浸る
父島を出てしばらくは小笠原諸島の近海を航行します。父島よりも北の島はすべて無人島です。兄島、弟島、孫島、嫁島、媒島(なこうどじま)、聟島(むこじま)……と家族を思わせる名前の島が続きますが、北之島、針之岩といった関係のない名前も微妙にまざっているのが面白いところ。ついに家族関係の単語が思いつかなくなったのかな。媒島(なこうどじま)の時点で、すでにギリギリ絞り出した感があるように思えなくもないですが。
小笠原のボニンブルーの海を名残惜しみつつ楽しむために、小笠原諸島の近海を航行中に展望ラウンジHaha-jimaでボニンブルーというカクテルをいただくのがおすすめです。そろそろ携帯電話の電波が届かなくなってくる頃合い。アルコールで脳を蕩けさせて、デジタルディバイドを忘れましょう。
揺れないことはない
弟島よりも北、父島列島を抜けたあたりまで進むと、外洋ということもあり揺れることも多いです。おが丸は揺れ防止のためにフィンスタビライザーを備えていますが、それでも揺れるときは揺れます。シケてなくても揺れます。余談ですが、シケたときは乗船オタクにとってはボーナスステージです。
いま思い返すと、小笠原諸島の近海で機関トラブルにならなかったのは多くの人にとって不幸中の幸いだったでしょう。もし、このあたりでトラブルが発生していたら東京まで3泊以上の航海になったか、父島に引き返していたかもしれませんからね。
最初の夜
夕焼けは雲の向こう
10月22日の日没頃は曇っていたので夕焼けは拝めそうになく、自室にこもっていました。もちろん、この時点ではおが丸で二度目の夜を迎えるなんて思いもよりませんでしたから、おが丸乗船中の最後の夕焼けチャンスを逃したことを大変悔しく思ったものです。
ですが、天気とはままならぬもの。さっさと切り替えて、ベッドでゴロゴロしながら小笠原の思い出を反芻するという贅沢な時間の過ごし方を楽しむことにしました。
ちなみに、1等室の案内には絶滅危惧種にして小笠原固有種のアカガシラカラスバトの絵があしらわれていました。それを見るたび、午前中に見た本物のアカガシラカラスバトの姿を思い出してニヤニヤしたものです。
アカガシラカラスバトをひと目見たいと、アカガシラカラスバトサンクチュアリというガイドさん同行でないと入れない区画に行ったことがあるのですが、せっかく行ったにも関わらずアカガシラカラスバトを見られずがっかりしたものです。ですが、今回おが丸に乗る日の朝に普通に町中で見かけてびっくりしましたね。
島民の方の話では、父島の北の方にある宮之浜に至る道すがらでよく見かけるとのことでした。もしかすると、父島の北の方がアカガシラカラスバトにとっては住みやすく、アカガシラカラスバトサンクチュアリのある父島の中央部には実はあまりいないのかもしれません。
フォローしておくと、アカガシラカラスバトサンクチュアリは小笠原固有の植生を堪能できる素晴らしい場所なので、たとえアカガシラカラスバトが見られなかったとしても行く価値のある場所です。ぜひ、ガイドさんにお声がけの上訪問してください。
夕食
夕食はおが丸での最後のディナーという心づもりで豪勢にキメようと、船上レストランでまだ食べたことのない和風ハンバーグセット(と瓶ビール)をいただきました。
この和風ハンバーグはポン酢ではなく照り焼きのようなソースでした。甘ったるいわけではなく上品にサラッとした味わいで、柔らかいお肉と相まって、実においしかったです。
ただし、冷めているというわけではありませんが、アツアツではないのでアツアツ好きの方はご注意ください。おが丸に限らず船上レストランでアツアツの料理をいただくことは難しいわけですが、むしろアツすぎない料理の方が味の機微をゆっくり楽しめて個人的には好きですけどね。
北太平洋の星空よ、もう一度
夕食を済ませたら、屋上のスカイデッキへ出てみました。相変わらずの曇り空。行きの船では半袖ショートパンツで快適でしたが、この夜は肌寒くなっていました。ちょうど、わたしたちが東京に帰るタイミングで入れ違いに小笠原にも秋が来たのかもしれません。
しばらくスカイデッキにいると、雲が薄れて星の瞬きが見えるようになりました。これですよ、これ。おが丸の夜はこの星空を屋上のベンチに寝転がりながらぼんやりと眺めて過ごすのが最高なのです。でも、先述の通りちょっとサムかったので、あまり長く滞在することはできませんでした。
他の人達も同じような考え方だったのでしょうか、往路である父島行では混雑していたスカイデッキも心なしか閑散としているように感じました。あるいは、いくら美しい星空であっても往路で一度見たからもういいや、という感覚なのかもしれません。
自室で過ごす
自室に戻ってテレビの航路案内図を見ると、まわりに島がまったくない海域にいることがわかりました。当然携帯電話の電波も届きません。
Kindleでダウンロード済みの書籍を読むことも考えましたが、小笠原で遊びまくって消耗しきった体力を早々に回復しようとシャワーを浴びてさっさと眠ることにしました。
ちなみに、1等室の室内にはシャワーはありませんしトイレもありません。部屋を出て共用のものを使用します。よって、個室だからと心置きなく大量に飲酒すると、夜中に何度も自室とお手洗いの間を往復することになって大変かもしれません。バス・トイレ付きのお部屋をご希望の方は特1等以上の等級をご利用ください。
最初の朝
朝日を見よう
夜行便の船に乗ることは、水平線より上る朝日を見る権利を得ることとイコールです。遅い時間までぐっすり眠るのも正解ですが、日の出の瞬間を見るためにもそもそと早起きするのが夜行便に乗った時のわたしにとっての正義、モーニングルーティーン。
日の出前、昨日とは打って変わって雲の少ない空の下、おが丸はまだ元気ピンピンでした。
やがて、日の出の時を迎えます。
雲以外に邪魔するものはない水平線の向こうに一日の始まりを告げる光が。
ありがたや、ありがたや。
こんな感動的な光景を見られたのですから、東京までのご安航が約束された瞬間と疑う余地はありませんでしたね。
ですが、悲劇はほどなくして訪れてしまうのでした。
唐突に訪れた異変
地震のような振動。海の上なのに??
異音とともにクレーンのまわりでのたうち回るワイヤー。
明らかな異常事態。いったい、なにが起こったのか。
アナウンスによると左舷側の機関になんらかの漂流物を巻き込んだのだとか。乗客間のウワサによると漁業用の網だったという話も。発生した場所は八丈島近海でしたので人の営みがある場所の近くということもあり、まことしやかな話なのかもしれません。ただ、八丈島の近海に漂流していただけで、どこから流れて来たのか実際のところはわかりませんけどね。私人逮捕的な安易な犯人探しはやめるべきでしょう。
乗組員の皆さんは一所懸命にトラブルを解消しようとされていたようです。が、海上でなんとかなるものなのかは素人にはよくわかりません。スクリューを逆回転したら漂着物が外れることもあるのかなと思いましたが仮に強く巻き込んでいたとしたらそうもいかないでしょうし。他にも手立てがあったりするのでしょうかね。
とりあえず、安全上の問題はないというアナウンスがあったので一安心ですが、片方のスクリューだけを使って弱々しく航行する姿は痛々しい。
おが丸の不調を受けて不安に陥る船内ですが、そんな中多くの人の心を慰めたのは澄み切った空の下に見える八丈島の姿であったでしょう。陸地が見えるということは本当に心強いものです。たとえ、どんなに距離が離れていたとしても。
わたしは一般の人よりも船に乗る頻度が高いと思いますが、それでも、360°全方位が水平線となり他に行き来する船舶がほとんどない小笠原航路の乗船は正直緊張します。万が一、この大海原に投げ出されたらどうなってしまうのだろうと。だからこそ、わたしにとっても今航海中の八丈島の存在は本当に心の支えとなりました。
7ノットでの航海
船内アナウンスは「東京の到着予定時刻は未定です」と繰り返すばかり。案内所を訪れると、「いつ着くのか」と問うて、スタッフから当然のごとく「未定」と回答されている他の乗客の姿がありました。
きっと、洋上で問題が解消されれば、その時点でおが丸の性能をフル回転させて東京まで帰り着くのでしょうから、安易に到着時刻を答えて船内を更なる混沌に導くわけにもいきませんからね。
とりあえず、船員さんにカスハラする人を見かけずに済んだのは本当によかったです。これは、小笠原に渡るという覚悟を決めた人しか乗れないおが丸だからこそ質の悪い客が少ないという特異な事情に起因するかもしれません。
さて、到着予定時刻はわからないとのことですが、さりとて目安の乗船時間は知りたいもの。ここは先人とは質問の仕方を変えてみることにしました。
「現在の速力は何ノットくらいですか?」
すなわち、時間=距離÷速さという義務教育時代に得た知識を活用するわけです。学校のお勉強も時には役に立ちます。
すると、現在の速度は明確な値であるからか即答いただけました。
「7ノットくらいですね」
なるほど!?
1ノットは時速1,852m。すなわち7ノットは時速14kmくらい。つまり、自転車よりも遅いかもしれない速度。
そして、おが丸が入港する東京側の竹芝桟橋までの八丈島からの距離はおよそ290km。このまま航行したとすれば東京到着まで単純計算であと20時間はかかることに。
これは、簡単には東京には帰りつけないことを意味します。一般人のお客さんは悲嘆に暮れるかもしれませんが、逸般人であるわたしは、乗船時間が長くなることがわかり却ってテンションが高まってきました。
腹が減っては戦はできぬ
大体の乗船時間が予測できるようになって安心したからなのか、急にお腹が空いてきました。人間は欲望に素直になるべきという持論のあるわたしは、従順に船内レストランに吸い込まれることにしました。
朝ごはんに選んだのは和定食Aにベーコンエッグの小鉢。
和定食Aは焼き魚付きの和食メニュー。父島行きの焼き魚は鮭、東京行きはサバです。お値段は1,000円しますがまあ船の上ならそんなものかなと。
一方でベーコンエッグは150円と陸上でも滅多にないお値打ち価格。写真からは見えませんが目玉焼きの下には炒められたキャベツまでが敷かれています。価格設定バグりすぎでは???
和定食Aから焼き魚を抜いた和定食Bというメニューもあり、こちらは500円。これにメインディッシュとしてベーコンエッグつけて650円というのも賢い選択かも知れません。
ちなみに、朝食はパン派という方のために洋定食Aと洋定食Bというメニューも用意されています。洋定食は両方とも船内で焼かれたパンが付いてきます。こちらもおいしいのでおすすめです。個人的には洋定食Aはちょっとコスパ悪いかなと思ったりしますが。
視界から消えない八丈島
朝食を終えて外部デッキに出てみると、引き続き八丈島の姿が。ここまでクリアな青空と青い海に挟まれて島影が浮かぶなんて、かなりレアなんじゃないでしょうか。
午前9時頃に八丈島から携帯電話の電波がガッツリ届くようになりました。乗客のみなさん、外部デッキに集合し八丈島の方を向いて、飛行機やホテルといった予定変更の電話連絡に忙しそう。
小笠原渡航はスケジュール面でも費用面でも大変です。しかし、首都圏の住民なら比較的大したことないでしょう。一方、他の地方から来ている人は、おが丸を下船してなお長旅が続くわけですから大変です。小笠原に魅せられるということは、すなわち時と財力を終わりなく捧げ続けることでもあると思い知らされる瞬間であります。
内地滞在を目的としていた島民の方にとっても大幅な遅延は予定が狂わされて、大変つらかったことでしょうね。父島から内地に移動するだけで24時間かかるわけですから。それが、今回は半日以上の大幅な遅延。内地でやろうと思っていたあれやこれやが台無しになってしまった人もいらっしゃるでしょう。
そして、そんな困り顔の皆様を尻目にわたくしめは長くおが丸に乗っていられると内心ホクホクしているという、世が世なら魔女狩りにあっているかもしれませんね、いやはや。
そんな三者三様の人々を乗せておが丸は淡々と航海を続けます。
しかし、八丈島がいつまでたっても視界から消えない。
そりゃ、7ノットという自転車よりも遅いかも知れない速力での航行ですからね。トラブルの全容がつかめていなかったころは心の拠り所だった八丈島ですがそろそろ、うんざ……いやいや、こんな美しい姿を長時間楽しませていただいて、身に余る光栄ですよ!
11時すぎには御蔵島もくっきりと見えてきました。その右奥にはうっすらと三宅島。そして、振り返れば相変わらず八丈島がまだ見えるという、そんな位置関係。
八丈島と御蔵島の間は距離が離れているけれど、御蔵島と三宅島の間の距離は近いという、伊豆諸島の地理の勉強にもなりますね。お子様の教育に、おが丸の乗船いかがでしょうか。通常は片道たったの24時間です。
2泊が確定
到着予定は翌朝に
航海中にトラブルを解消するのは難しかったのか、最終的には漂流物が絡まった左舷側のエンジンを止めて右舷側のエンジンだけを動かして航行をつづけることになりました。
ただ、速力は10ノットに上がっていましたね。つまり時速18km。単純計算ではだいたい深夜0時頃に東京につくことになるわけですが、そうは問屋が卸さない。
どうやらその時間帯は竹芝桟橋まで入ることができないため東京湾のどこかで停泊して夜を明かし、翌朝の午前7時に入港となるようです。
この報せを聞いた一般の方はいたくがっかりしたと思います。一方で、逸般の方であるわたしはひそかに大歓喜。通常より長い時間乗船できるだけでもテンション上がっていたところ、追加でもう一泊できるのですから夢のようです。おが丸で二泊できるなんて、なかなかできることじゃないよ。
まあ、仮に東京港に入れたとして、深夜0時過ぎに竹芝で降ろされても接続する公共交通機関はほぼないので、いずれにしろホテルシップ的な扱いにはなっていたでしょうか。タクシーで帰着できるような選ばれしリッチメンはたとえ深夜であっても早く降りたかったかもしれませんが。
ランチ
追加でもう一泊することが確定したところで、おひるごはん。もちろん、ここまで大幅に遅延することは当初想定していなかったので、追加の夕食代のことを考えるとお財布に用意していた現金が足りるかどうか心配に。一瞬「どうしようかな」と逡巡しましたが、結局欲望に素直にからあげセット(と瓶ビール)を注文しました。
他のお客さんが注文して出てきた実物を見てずっと気になっていたのですが、からあげは1ピースがけっこう大きい。そして、それがゴロゴロと盛られております。少食の方は食べ切れないのでは、と心配になるくらいの学生街の食堂的なボリューム。
おが丸のレストランは船内価格ではあるものの、しっかりと手間がかけられていたり、なぜか量が多かったりと効率を度外視するかのような不思議な運営がしばしば見られます。もしかすると長時間の乗船において数少ない娯楽のうちのひとつである食の楽しみを乗客に提供するために、あえて割に合わないことをやっているのかもしれませんね。知らんけど。
船内生活を楽しむ
昼食を済ませたら船内をブラブラ。船内売店のショップドルフィンでコーヒーとアイスを買ってきました。
ショップドルフィンではマシンが都度抽出してくれるドリップコーヒーをいただくことができます。通常のコーヒー豆だけでなくプレミアムなコーヒー豆も用意されていて、コーヒー中毒者のわたしは両方とも航海中何度も飲ませていただきました。
そしてアイス。パッケージに『小笠原牛乳』と書いてある?小笠原でアイス作ってるの!?とテンション上がって衝動的に買ったもの。しかし、自室に戻って改めてパッケージを見ると『新宿』の文字。あれ、小笠原に新宿なんて地名あったっけ?と。なんか嫌な予感がしつつパッケージをもう一度よくみてみれば、『小笠原』じゃなくて『小島屋』だったというオチ。完全に内地で作られたアイスでしたね。自分で自分を笑いました。あ、味はミルキーでおいしかったですよ。
東京に着くのが翌朝と発表された直後、ショップドルフィンで食料を買い込む人々の姿が見られたのが印象的でした。結果、陳列棚がガラガラ。まるで、おが丸入港直前直後の小笠原生協やスーパー小祝みたい。
かなしいかな、危機に直面した人々による買い占めは人間の本能なのかもしれません。
コーヒーとアイスを楽しんだ後は、展望ラウンジHaha-jimaへ。行きの父島行は終始混んでいましたが、帰りの東京行きは空いているようです。
本来、東京行きは14時閉店ですが、今回は16時間遅延ということで14時を過ぎてもまだ営業してくれていました。結局閉店したのは21時だったようです。長時間の営業おつかれさまです。
今回は、以前から気になっていた、おが丸かき氷をいただきました。いわゆる最近流行りのふわふわなかき氷ではなく、昔ながらの密度の高い硬めのかき氷。小笠原海運カラーの赤青赤で層になるようにシロップがかけられています。さらにトッピングにソフトクリーム。
おいしいかというと、おが丸で食べられるメニューの中では味的には特筆するものはありませんが、でもおが丸に乗っているからこそ食べられる、という風情があってよいですね。お子様も喜ぶでしょう。お子様でなくても風流を解する人は課金してみてはいかがでしょうか。
伊豆諸島フルコース
15:30。定刻では竹芝桟橋にとっくに入港している頃、この日のおが丸はようやく三宅島の近海までたどり着きました。
御蔵島付近では雲が多くなっていましたが、ふたたび快晴に。今航海は本当に天気に恵まれました。
そして、三宅島がくっきりと見えてきたら、まもなく離島ラッシュがはじまるのが、おが丸の航路の特徴。
この日は快晴だったため、東海汽船のさるびあ丸やジェットフォイルが就航している神津島、式根島、新島、利島、大島が一望できました。それだけでなく富士山も同じ視界に収まりましたよ。これは眼福。天気がすこぶるよいときに乗船した人の特権ですね。
二度目の夜
神津島に沈む夕陽
おが丸は通常であれば15:00の時点ですでに東京に入港しているはずですが、今回は16時間の遅延ということで、神津島近海で日没を迎えました。16:55頃のことだったでしょうか。
父島行だと御蔵島と八丈島の間で日没時刻を迎えるため、この光景をおが丸から見ることができるというのは本当にレアなのでは。胸が熱くなります。
やがて、伊豆諸島に夜の帳が下りてゆきます。
息を呑む美しさ。この絶景を見ることができただけで、16時間の遅延は報われたと思いました。少なくとも、わたしの中では。
夕食が無償で提供される
16時間の遅延ということで、船内レストランでは無償で夕食が提供される扱いとなりました。このアナウンスがもう少し早ければショップドルフィンでの買い占め騒動は発生しなかったのではとも思いましたが後の祭りですかね。
夕食の無償提供で選べるメニューは以下の4種となっていました。
島塩ラーメン
きつねうどん
きつねそば
カレーライス
回転重視と思われるメニューしか選べないとはいえ、船内レストランで普通に提供されているメニューが無償提供されるということもあってか大行列に。船内レストランはいつも行列していますが、エントランスを超えて反対側の廊下まで列が伸びるのはあきらかに異常事態。
わたしは、おが丸で今まで食べたことがないメニューであるカレーライスをいただくことにしました。船内レストランのカレーライスはおいしい説という持論がありおが丸のカレーライスもずっと気になっていたのですが、ほかメニューが魅力的なのであとまわしにしていたところ、図らずも今回チャンスが巡ってきました。
薄切り肉が使われたカレーで、かなり奥深い味。既製品という感じはなく、丁寧に作ってそうですね。結論として、船内レストランのカレーライスはおいしい説が崩れることはありませんでした。今後のおが丸の通常営業でもメニュー選びで迷って途方に暮れた人はカレーライスを選ぶとよいと思いました。
ちなみに、ライスの量がけっこうありました。やっぱり、少食の方は厳しいかも?
普段は食事の際にはお酒をたしなみますが、今回のレストラン臨時営業はメニュー限定で利用客が多いこともあり遠慮しました。店内レジではドリンクメニューは選択可能のように見えましたが、お仕事の邪魔になりそうだったので詳しく確認しませんでした。結局、アルコールはショップドルフィンで購入して自室で給油させていただきました。
房総半島が見えてきた
ついに、伊豆大島近海までやってきました。このあたりも星空はきれい。ただし、ときおり飛行機の姿が見えて、内地が近づいていることをうかがわせます。
やがて、右舷側に明かりが見えてきました。あれは、房総半島。
おが丸は八丈島近海からエンジン一つで頑張って、とうとう東京湾の入り口まで到達したのです。これまでの人生において房総半島は当たり前の存在と思っていたので、その姿を見て感動をおぼえたのは生まれて初めて。
左舷側には伊豆大島。このあたりまでくると、船室内にも携帯電話の電波が届くようになりました。
遅延証明書
20時すぎ、船内アナウンスがあり遅延証明書の配布がはじまりました。
船で遅延証明書が発行されるのは初めての経験でした。実物を手にして、とにかく16時間遅れという文字がショッキングでしたね。船内のアナウンスで「16時間遅れ」と何度も聞いてはいましたが、視覚的に見ると改めて自分がすごい出来事の渦中にいるんだな、と思い知らされました。
船内アナウンスによると、この遅延証明書は交通機関や宿泊施設での提出を想定されているようです。さすがにLCCは問答無用でキャンセル料請求と思いますが、その他の交通機関や宿泊施設に対してはこの遅延証明書の提出でキャンセル料を負担せずに済むのかもしれません。同乗したみなさんがそうなることをお祈りせずにはいられませんでした。
二度目のおやすみなさい
ついに三浦半島と房総半島の間、東京湾に進入するおが丸。消灯時間は通常と同じ22時でした。外部デッキも22時で閉鎖となります。
理由はわかりませんが、22時を過ぎると船室のテレビでは航路案内図を視聴できなくなりました。普段からそうなのか、間違って航路案内図の電源切ったのか、どこかで停泊していることがわかると「遅延行為だ」とクレームにつながるという判断で意図的に電源を切ったのか、そのあたりはよくわかりません。
案内所で聞いたところによると、東京湾には入るけれど浦賀水道を抜けられないので手前で錨を下ろすという話でしたが、普通に浦賀水道を抜けて横浜沖も越えて、羽田沖までゆっくりゆっくりと進んでいきました。
なんとなくオーシャン東九フェリーのフェリーしまんとが停泊しているあたりが邪魔にならないエリアなのかなとは思っていましたが、実際にそのあたりで錨を下ろしはじめたようです。耳慣れないジャラジャラと鎖のような音が聞こえたような聞こえなかったような?時刻は午前1時すぎのことでした。
深夜まで続いた長時間の航海の果てに、一時的に仮眠を取るような感じでしょうか。おが丸関係者のみなさま、お疲れ様でした。
二度目の朝
夜明け前
おが丸で通常はありえない二度目の朝を迎えました。空は燃えるように赤いです。
時刻は5:30頃。まだ錨は下ろしたままでした。
明るくなったことで、右舷前方にはおが丸より前からずっと停泊していたフェリーしまんとの姿が見えるようになりました。
東京湾上で停泊中ということで、おが丸の船尾には波が立っていません。
再始動
日の出前の5:40ごろ、動きがありました。錨が上げられエンジンが再始動。
時間的に5:30に東京港に入港するオーシャン東九フェリーの定期便を退避していたかのような印象ですが、この日10月24日は火曜日ということでオーシャン東九フェリーは休航日でしたので関係あるのやらないのやら?
一夜明けて、機関トラブルが治ってるかといえば、当然そんなことはありませんでした。船は人間のように睡眠中に自然治癒する生物ではありませんからね。
昨日と同じく右舷側のエンジンだけを動かして竹芝までラストスパート。
東京湾で迎えるおが丸乗船中の二度目の日の出。オーシャン東九フェリーの東京行きで日常的に見られる当たり前の光景ではありますが、小笠原諸島から延々と航海してきたおが丸から見ると、それとは別のまったく異質なものに映りますね。
ラストスパート
東京港に入ると、タグボートが朝日を受けつつ颯爽と近付いてきました。普段のおが丸はタグボートなしで竹芝桟橋に入港していたような?気がするので、おそらく、右舷側のエンジン一基のみ稼働でバランスがとりづらく操船が大変なおが丸の竹芝桟橋入港をアシストしに来てくれたのでしょう。
圧倒的に東京らしい景観が広がります。いつもなら東京諸島の青い海と対比して茶色い海と揶揄してしまうところですが、おが丸が頑張っている横で、そんなことを言っている暇はありません。
レインボーブリッジが目の前に。竹芝桟橋まで、あと一息。
右に左に七面六臂の大活躍のタグボートさん。
そして、ついにレインボーブリッジをくぐりました。栄光のゴールまであとわずか。
見慣れた竹芝桟橋。長かった40時間の船旅ですが、ついに終わりの時を迎えました。
竹芝桟橋に入港。下船がはじまります。
等級別の下船なのは通常通り。ですが、今回は特別に「お急ぎの方」も特等の乗客と同じタイミングに最優先で下船できるという配慮がありました。
エントランスにスーツケースを放置するというルール違反をした人が若干いたようですが、その他はとくに混乱なく整然と下船が続きました。
40時間ぶりに陸地を踏み締めた瞬間。
感動とともに、いくばくかの疲労感。
振り返るとおが丸はそこにいました。
痛みに耐えてよく頑張った。
心の中で某元首相みたいな労いのコメントを告げたのち、わたしは東京砂漠での日常生活に戻っていったのでした。
おまけ
おが丸は10月24日中に機関トラブルが解消され10月25日に元気な姿で小笠原に向けて出港しました。大きなトラブルでなくて本当によかったです。