クラッシュ・イン・アントワープという伝説

 好きで好きで堪らないバンドがいる。彼らの名はクラッシュ・イン・アントワープ。2004年に解散したバンドだ。私が3歳くらいの時によく母が家でアルバム『あゝ、千一夜』を聴いていて、幼い私にロックというものを教えてくれたバンドの一つでもある。解散当時は幼く、ライブを観ることもできなかった私にとっては伝説のバンド。これまでも何度か聴き返していたが、今年の春頃に猛烈に聴きたくなり、入手可能な音源を集めたり、調べたりするうちにますます好きになり、どういった人やものから影響を受けたのか興味が湧いて辛くなってしまった。行き場のない気持ちをどうにかするために、今これを書いている。

 子供の頃から、シングルカットされた「戦ぎの手紙」と「ゴー・ナウ」という曲が特に好きで、小学校に入学した頃は買ってもらったばかりの机の上にCDプレーヤーをセットして聴いていた。ボーカル&ギターの穣児さんが書く文学的で情景が浮かぶ詞と言葉がはっきりと耳に入ってくる歌声。その美しい日本語は、まだ言葉の意味を理解できないどころか漢字すらろくに読めなかった幼い私の記憶にも、心にもしっかりと刻まれていた。「戦ぎの手紙」の”小さな小さな瞳の煌めきは 小さな小さな心の星になる„という歌詞がずっと好きで、心の中にある宝箱に大切にしまってある。

 昔の私はとても弱虫で、何かあるとすぐに泣きそうになる子供だった。心が弱くて集団生活に馴染めない変わり者は、同調圧力の強い学校では何かと生き辛い。今でこそ「多様性」や「個性」といった言葉がよく使われるようになったが、私が子供の頃はそのような言葉を耳にする機会はなく、誰とでも仲良くできない人が悪いのだ、といったような空気だった。弱い自分が嫌いで自信が持てなかった私は、「ゴー・ナウ」の歌詞を魔法の呪文のように心の中で唱え、自分を奮い立たせた。”見えない明日が膨らむから 君は波間で泣いていたようさ„という歌い出しから最高なのよ。

 
 大人になってから聴き返してみると、20年近く前の曲でも全く古びていないことに驚く。確固たる意志のもとに生み出された音楽は、時代に左右されない。今年、15年振りに『あゝ、千一夜』を聴き、自分の血となり肉となった音楽をちゃんと体が覚えていることに感動した。1曲目の「旅人は夜に鳴く」で思わず河川敷を走りたくなる衝動に駆られること、シングル曲以外では「ソング”ハロー”」と「螢ーIt's a cold worldー」が好きだったこと、家庭と学校が全てで今より世界が狭くても、音楽を聴けば心が解き放たれて自由になれたこと。聴きながら蘇る記憶と気持ちに懐かしくなり、安心感を覚えた。
 
 切れ味良く、鋭い安高さんのギターは、言葉にならない思いもかき鳴らし、曲を華やかにする。緩急自在な歌と演奏にドキッとさせられ、儚くも力強い歌とメロディがどうしようもない気持ちを抱えた心に染み渡る。悲しみも怒りもすべてさらけ出し、明日を生き抜くための確かな力に変えていく。絶望の先に微かでも光を見出し、生きていたいと強く願う彼らの音楽が私には必要なのだ。

 アルバムの最後に収録されている「螢ーIt's a cold worldー」の”何処へ行こうと、ずっと君は君のままでいいよ„という歌詞が、大人になった私の背中をそっと押してくれる。歳を重ねるにつれて好きなものや人が増えて世界が広がったが、原点に立ち戻ることで新たな気づきや驚きがあるから人生って面白い。そして、何年経っても彼らの音楽が私の心の支えになっているということが素敵だと思う。昔から、私にとってのヒーローは大好きなロックバンドだ。当時はとにかく青く、眩しく見えていたけれど、常に生と死の匂いがする危うさみたいなところにも無意識のうちに惹かれていたのかもしれない。

 世界中にたくさんの音楽が溢れている中で、決して活動期間が長かったとはいえない彼らの存在を知り、好きになれたことは本当に幸せだ。再結成の可能性は極めて低いが、この世に一つだけ心残りがあるとすれば、クラッシュ・イン・アントワープのライブを観ることができなかったこと。あなた方がかつて刻んだ音楽に今も支えられ、生きる力を貰っている人がいるということ、知ってくれたらいいな。そして、バンド名の由来となったアントワープにCDを持って行き、クラッシュ・イン・アントワープを聴いてみたい。


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