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みにくい左利きの子

今日は気ままブログを書きたくなったので思いのまま綴りたいと思います。


皆さんは左利きと聞いてどのような印象を持ちますか?

天才?変わり者?障害者?好き?嫌い?

私は先天性の左利きなのですが、正直、それを自慢したりすることはありませんでした。

正確には、決して誇れるものではなかったのです。

左利きだからといってなにかズバ抜けて優秀なわけでもなければ、特技があるわけでもありませんでした。

左利きが天才とか頭が良いとか言われるけど、それって一部の人間に該当するわけであって、私は間違えてもその枠には入りません。

それどころか、私のような無能な人間がなぜ左利きという中途半端な個性を神から拝借したのか、逆に悪目立ちをして生きてきたではないか。


ちなみに、私は幼少期に父親から左利きを矯正されていたため、左手を使うことは醜いことだと潜在意識に組み込まれていたのかもしれません。

そのため、文字を書くこと(硬筆も毛筆も)とお箸を持つことは右手で行っていました。


なぜ過去形なのかというと、小学2年生の時に、矯正された右手で宿題をしていたら右で書くことに対してのストレスが爆発して、殴り書きされたままの漢字プリントを提出しました。

普段、丁寧な字で書く私の異常を心配した担任の先生に問いただされた時、そのストレスの根本原因が右手にあると判明し、自らまた左手で書くことに戻しました。


しかし、お箸に関しては現在も引き続き右手を使っています。

こちらに関しては、今までも特にストレスを感じることはありませんでしたが、この違いは謎のままです。

そのため、大人になった今も、会食の席などで左利きであることが周囲に知られることはほとんどありません。


中学生の頃の私は、クラスメイトに左利きの子がたくさんいることに驚きました。

35人のクラスのうち6人は確実に左利きという、約6人に1人の割合で存在することは未だもって高いと思います。

両親や兄弟、祖父母にいとこ、どこを探しても私と同じ左利きは見当たりませんでしたが、他人の中に入ればこんなにも仲間がたくさんいたことに、当時は心底驚きました。


さらに驚いたことに、皆思いのまま左手を使っていて、聞けば今まで右手に矯正されたこともないと言うのです。


なんか羨ましい〜!!という素直な印象。

あるがままに生きている彼らがとても輝いて見えました。


しかも、なぜか皆お勉強ができる子ばかりで、成績も優秀な子が多かったのです。

やはり、私だけ特別に才能のない、間違えて左利きに生まれてきちゃった落ちこぼれ人間なのかなーと思っていました。


それから、『左利き』について書かれている著書を読み漁っていると、あることが明らかになりました。

それはつい最近の話。

左利きには、知能レベルが極めて低い左利きが一定数存在するといったことが書かれた記事を見かけたのです。

しかしながら、その記事をもっと詳しく調べようにもそこまでの事実しか書かれていませんでした。

それはおそらく、左利きには知的障害・学習障害・失読症などの特定の疾患を発症する可能性が高いという研究結果があるため、『知能レベルが極めて低い』=『知的障害』ということをそこでは示しているのではないかと思います。

また、ある記事には、右利きにも左利きにも知能レベルに差はないと書かれております。


これらのことからわかるのは、左利きだからといって、

天才と呼ばれる偉人の中には、左利きの人物が存在するだけであって、全員の頭がキレるというわけではなく、知能レベルは至って普通であるということ。

ただ、日頃から左手を多く使用するという点において、右脳が右利きよりも発達しているため、脳の働きは極めて良いということはいえます。


それにしても、太古から左利きは障害者だとか、悪魔の利き手だとか、不浄だとか、決して良い扱いをされてきたわけではないのですから、未だに差別的な目で見る人は少なくありません。

『多様化』が認められてきた現代では、当たり前に左利きが左手を人前でも使っているのだから、否定する側が「古臭い考え」というように異常者の目で見られる時代になりました。


左利きが生きやすくなったとはいえ、逆に良いイメージを持たれた私のような左利きはある意味生きづらい世の中にはなりました。

しかし、知的障害だとか、学習障害だとかがあり得るのであれば、自分が周りよりも劣っているということはガッテンがつきます。

私はもう、「左利きだからどこかに才能があるはず!』『いや、自分は愚か者かもしれない』というジレンマに陥ることなく、気楽に生きていけるような気がします。


まとめになりますが、私が言いたかったのは以下の通りです。


『左利きだからといって誰もが優秀なわけではなく、中には落ちこぼれ左利きも存在するのであり、それに該当する当人はなにもプレッシャーを感じる必要はない。自分らしく、自分のペースで、自分に最適な範囲の中で、自分にできることを精一杯やり遂げるということ』


この記事が、私のように『平凡な左利きさん』の肩の荷が少しでも下りてくれれば幸いです。


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