佐原のおばあちゃんへ
おばあちゃんはいつも、玄関を入ってつきあたりの物置き部屋から、たくさん入ったおせんべいを持ってきてくれましたね。
脚が悪くなっていたせいか、少し歩くのがたいへんそうでした。
夏はスイカを用意してくれていて、みんなで食べたのを思い出します。泊まったことも何度かあったから、夜、蚊帳を吊って寝るのが楽しかったです。
おばあちゃんはいつもおじいちゃんの仏壇の前に座ってたね。
目を丸くして、「そーかねー!」と言いながらちょっぴり驚いたような表情
は今でもしっかり覚えています。
入れ歯が笑ったら取れちゃったり、とてもかわいいおばあちゃん。
母からみたら親だから、わたしとはきっと違う思いもあったと思うし、おばあちゃんからみても、「しょうがねー、母」だったと思います。
でも、おばあちゃんは、「ともちゃんを悲しませるんじゃないよ」と母に言ってくれていましたね。
おばあちゃん、ありがとう。そんな風にわたしを一番に考えて心配して言葉を言ってくれた人は、おばあちゃんだけです。
こうして書いていても、涙がたれてしまいました。
おばあちゃんは、佐原駅の近くに手押し車を押しながら、ソフトクリームを食べに行っていたと聞いています。わたしは、その姿を見かけたのかと思うほど、鮮明にイメージできます。見たのかな?
おばあちゃんが亡くなる前とそのとき、わたしはその場にいませんでした。
母が病院で看取ったときの話は聞いています。
おばあちゃんが懐かしいです。
子供で人見知りだったせいもあって、まともにお礼すらしないで、おばあちゃんは居なくなってしまいました。
水戸黄門が大好きだったおばあちゃん。
わたしはおばあちゃんが大好きです。
どうか、母を助けてあげてください。まだまだふざけて頑張ってほしいから。
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