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鬼百合,水やり,深層の美しさとは 魔女暮らし日記 8.1.2021

「ルーナサおめでとう!」という第一声で太陽礼拝(ヨガ)をはじめる。
今日はいつもより蒸し暑い。
仕事をしつつ、夜のルーナサのサバトの準備だ。

庭では、蒸し暑さに負けないハーブたち。
カモミールは3株ほど暑さで枯れてしまったので引っこ抜き、まだ大丈夫そうな株を残していた。

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あんなに暑さで死にそうだったのに、これから花が咲きそうな蕾も見受けられる。
カモミールは過保護はだめね。
雨でもそのまま、肥料もやりすぎないようにしたら順調だ。
太陽のハーブ、カモミール。
ルーナサの光に守られて、そのまま元気に咲かせておくれ。

ところで、

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わたしはいつも空ペットボトルで水やりをしている。
品がなくて申し訳ないのだが、これが一番使い勝手がよかった。
ホースやジョウロで水やりをする人もいるかもしれないが、わたしの場合は土だけを湿らせたいのでそれは使わない。

理由は葉にダメージになる場合もあるし、泥の跳ね返りが病気の恐れもあるし、葉にかけても土が濡れてないこともある。
わたしは初心者なので、水やりは「土が乾いたらたっぷりやる」を実践できるように、どのくらいやったかわかるように気をつけている。

大きく育てば、ホースシャワーで水やりしてもいいんだろうけど。
わたしのやり方だと「小さくたくさんの種類を」だからまだまだペットボトルかな。
可愛いジョウロ憧れる。

このように、本気になるとほんの少しのことでも研究したくなってしまう。単純に「やるならちゃんとやりたい」という理由だ。
なんでもそうだが、ちゃんとやらないと喜びや面白さもわからないと思う。
そして何より「わからない」をそのままにしておけないのだ。

ある長期目標があって、今は畑や庭のハーブや野菜と触れて園芸の知識と経験を修行中だが、料理やパン作り、手芸やダンスや音楽など、色々やってきた。
共通しているのは、どれもちゃんとやりたいから最初は先生に基礎を習うという点だ。

信じてもらえないんだが、わたしは昔料理がぜんぜんできなかった(できないと思い込んでいた)。
でもサバトをちゃんとお祝いしたいなー、じゃあパン作ってみたいな、と思ってすぐにパン教室で習った。
最初は軽いノリのような思い付きだが、やり始めると凝るので、大雑把とか中途半端にできない。
わたしのレシピには、砂糖といっても白砂糖、三温糖、黒糖、ブラウンシュガー、グラニュー糖、粉糖、ラベンダーシュガーなど様々でてくる、こだわりの証。(塩も同じ)

べつにレシピ通りに作れよ!という意味ではない。
ただわたしが、美味しいものにこだわって研究した成果として載せて満足している。(今後もいいものができたら書き換えると思う)

魔女の修行とは得てしてそういうものだと思う。
魔女というものに本気で向き合ったとき、様々な疑問が生まれるじゃない。
自分の存在の意味や、世界の成り立ちなど、それらの「わからない」をわかっていくには日々の研究しかない。
そのために日々の成長を書き留めておくノートは必要だ。

黒猫魔術店では魔術具やそのやり方を販売・公開しているが、わたしが完全にすべてを教えることは意味がないと思っている。
結局、目に見えないもの(オカルト)は、上述のように自分自身で研究して、気付いて、セルフコントロールしていくものだから。

だから「教えてくれないからできない」とか「読んだけどできない」とか「やったけどうまくいかない」というのは好きではない。
むしろ「やったからには中途半端にせず、できるようになるため(納得するまで)にやるのでは?」と思うのだった。

しかし習うこともできない分野かもしれない、とも思うので、vimeoで動画でセミナーもしている。
わからなければ、そちらでわかるかもしれないし、何度も実践したらわかるようになるかもしれない。

何が言いたいかというと、わたしだって日々わからないことを研究していて、修行中なのだ。
わたしだって伝えきれない。何十年かけて培ってきたものをどうやって瞬時に説明できよう。
しかも目に見えない概念をどうやって。
動画ややり方のテキストでまとめるけど、それも本当の意味で伝わっているかはわからない。

ただ、こうしてわたしの研究ノートは公開されているわけで、それを読んでニュアンスを理解しようと努めている人もたくさんいる。感謝。

わたしにとって、魔術も魔女術も、単なる「やり方・ハウツー・方法」みたいなものではなく、「世界」なのだ。

うわっつらの概念だけを書いたり、教えたりすることはしたくないかな。
だって世界を知った方が、各人でセルフコントロールができるようになって、より善く生きられるでしょ。


そんな中、奥の庭ではオニユリが咲いていた。

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ただ、ひっそりと。
鬱蒼とした庭の中に咲く、大輪で、グロテスクな、オニユリ。

魔女ってそういうもんでいいよ。
認めてもらいたいなどでもないし、どうしてここに咲いたんだろうなども思わない。
慣れあわなくてもいいし、孤独でもない。
綺麗でいて、毒があるようにも見え、品があり、畏怖もある。

「ただ咲けばいいのさ、それがわたしだから」


今日も善い一日を。
Blessed be Lughnasadh...


本日20時~、ルーナサのサバトの模様をYouTube生配信予定。


オペラシリーズ。昨夜「フィガロの結婚」を見ていて寝不足なわたし。
ショタ好きな人はぜひに。
後半に差し掛かったところで「えっ、いいの?それでいいの?」な展開。
3時間あるけど、やっぱりモーツァルトはオペラでしょうな作品。



サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。