見出し画像

司書の考える読書の意義。

#クロミミ的読書論



昔から、教育現場において

「読書をしなさい」

と言われる。

わたしはその言葉とは全く関係なく、本を読むことを愛していた。なので当然聞き流していた。(というか、昔から大人の言うことなど碌に聞いていない子供だった)


だが、今のわたしは公共図書館司書であり、加えて学校図書館司書でもある。


子供たちに、もしくは世間の皆々様に、

読書をしましょう!
読書は素晴らしいです!!

と言わなければいけない立場になってしまったとということなのだ。


ならばここは一つ、持論の一つでも展開して読書の意義とやらをお伝えすべきだろう。


では、改めて問おう。

読書の効用とはなんだろうか。


これはいくつか挙げることができると思う。

まずは、文章の読解力が上がる。もしくは自分の知らない知識を知ることができる。または、知らない考え方を取り込むことができる。ついでに語彙が増え、文章の構成が上手くなる。

これらが、学校教育において読書が推進される主な理由だ。

だが、この理由だけでは小説や詩や戯曲といったものを読む意義を十分に説明できない。

わたしにとって、読書をする最大のメリットとは

「深くものを考られるようになること」

である。「読書の意義とは?」という問いは「教養を身につける意義とは?」という問いと同義だ。

読書をするという行為、もしくは映画や絵画、音楽に触れる……要するに教養を身につける行為は全て自分自身に跳ね返ってくるものだと経験上、感じている。

自分への跳ね返り、とは教養に触れる経験の中で自分の心に残った物事、と言い換えることもできる。

自分はこの本のどこを素晴らしいと思ったのか、それはなぜか、この登場人物像をどう受け止めたか…などと。

読書をする→自分自身への跳ね返りを受け止める

この過程で我々は自分自身と向き合わざるを得なくなるはずだ。

少なくともわたしはそうだった。


すると、いつもは見えない自分や他人の輪郭までもがより深く、そしてはっきりと見えてくるようになる。

これを洞察という。


この作業を繰り返すことで、より深くものを考えることが可能になるはずだ。

そして、自分自身を見つめることは借り物ではない自分の考え方を醸成することにも役立つ。

それはまるで地中深くまで伸びた根のように自分自身をしっかりと支えてくれるはずだ。

こうした状態は、自信を持つことにつながることだろう。

よく、「おれは◯◯を読んでいるから」という部分だけに自信を持っている子を目にする。かつての幼いわたしもそうだった。


無論、何かを最後まで読み切った。そのことは素晴らしいことだ。

ただし、そうした自信というのは往々にして儚く脆いものだ。かつて経験した私が言うのだから間違いない。

上には上がいるし、何より読書をしない人間にその誇りは理解されない。

だからこそ、ここで言いたい。
読書をした、それだけにとどまってはならない、と。

そう。大切なのは読書の後なのだ。


自分の中で読書によって得た経験をどのように消化したか。本当に大切なのは、その部分なのだと考えてみてほしい。


そうすれば、さらに読書は面白く、濃くなるだろう。ひとつの本の中に無限の宇宙のような広がりを感じるのではないだろうか。一度でいい。一度でいいから体験して欲しい。

あの快感を一度知れば、やみつきになる。
それだけは約束する。

そして、そう言う世界の扉があることを広く知らせることこそ、学校司書の役割であると不遜ながら考えている。

読書をすることは世界を知ること。

世界を知ることは自分を知ること。

では、なぜ他の教養ではなく読書なのだろうか。

本を読むという行為は、比較的自分の意思で辞めたり始めたりしやすい。自身のペースで行うことのできる行為だ。

また、一度本を手に入れてしまえば、時間制限も存在しない。読み終わるまでの時間を自由に操ることが可能だ。

この点で他の映画や絵画に音楽に勝ると考えている。(映画や絵画そして音楽にも読書より優れた点は無論あるが、いまは割愛する)

例えば、あなたが映画を見ていたとする。映画の今見た部分を何度も見たいと思う。みながら、なぜそこが自分に引っかかったのか、考えたいと。しかし、そうするためにはわざわざ巻き戻さねばならない。容易に何度も見ることはできない。

しかし、読書は違う。

考えたいなら、本から目を離すだけ。
もう一度読みたいなら、視線を動かすか、ページを捲るだけ。全て一動作で完結する。

行う動作は少なければ少ないほど良い。
思考の線が途切れないからだ。

より深く潜るには集中力が必要だ。

一度切らした集中をもう一度取り戻すことは容易ではない。

なにより、読書はシンプルだ。

本さえさればどこでも出来る。

テレビがなくても、美術館がなくても、再生機がなくても、できる。


移動中でも、休憩中でも、どこでもできる。



最も身近でハードルの低い教養が読書であると言える。

だからこそ、わたしは読書をお勧めしたい。

より深い知恵を身につけることは、明日のあなたを助ける力強い根や幹を成すはずだからだ。




いいなと思ったら応援しよう!