わたしとサカナクション。
理解できないものがあるって、素敵。
#クロミミと音楽 その4
わたしとサカナクション。
わたしがサカナクションを聴き始めたのは、多分中学の終わり頃。たしか、テレビか何かで「ミュージック」を知ったことがきっかけだった。
そんな入り口から入ったせいなのか、なんなのか。わたしは途中で歩みを止めてしまう。
あまりに挑戦的なサウンドに「良さ」がわからなくなってしまったのだ。
おそらく、それまでわたしはロックの中のロック。と言えるような楽曲にあまり触れてこなかった
どちらかと言えば、それまでの傾向はJPOP寄りだった。
友人から勧められて、いきものがかりを一通り聞いていたりもした。知っている曲といえばアニソンとボーカロイド。
ロックといえば、
BUMP やRADばかり聴いていたせいだろうか。(かなりハマっていた。BUMPについてもいずれ話さねばなるまい。)
わたしの音楽の幅は狭かったと言える。
だから、初めて触れるものを理解できなかった。
ある時、「サカナクション」と同じ名前のアルバムを聴いた。
いいとも悪いとも言えない味がした。飲み込めない。というのが近かった。
それきり、サカナクションへの熱は一度冷めた。
そこからモヤモヤすることおよそ三年くらい。
わたしはもう大学生になっていた。
サカナクションをそのままにしている、ということにずっと引っかかりを覚えながら生きていた。
また聴き始めたのは本当に気まぐれだった。
すると、嘘のように夢中になった。
今では殆どの歌を歌えるほどに聴き込んでいる。そのサウンドに、歌詞に魅了され続けている。
楽曲では特に、「夜の東側」や「開花」や「多分、風」が好きだ。このバンドのおかげで寺山修司と言う素晴らしい詩人にも出会えた。
わたしがこのバンドの良さに気がつくことができたのは、おそらく挫折に慣れていたから。
読書をする上で、理解できないものに出会うということは、日常茶飯事だったから。
だから、わたしは
理解できないものを「理解できないまま」にする。ということができたのだ、と思う。
たまに理解できないというだけで、「嫌い」と言う人がいる。
それってほんとに「嫌い」なんだろうか。
理解できない、と言うことは確かに不快を生む。
しかしわからないと思ったことは、ひとまず「わからない」の箱に入れてみてはどうだろうか。
判断を下さない、と言う判断を下してほしい。
すると、時間が経つうちに、
それは理解できないものから理解できるものに変わる。少なくともそう言う可能性を秘めている。そうしてそれが強烈な「好き」に変化することもある。
幼い頃は白黒はっきりしたことが好ましかった。
二者択一は簡単だ。
けれどそれだけじゃつまらない。
毎日の進化や変化に身を任せてみるのもなかなか面白い。
そんなふうに思う、大人のわたしだ。
クロミミはクロミミははてなブログにて「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。連載小説最新話を練り練りしてます。お楽しみに。本日、新作の詩をアップしております。ぜひご覧ください。
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