Guzzle Pittのこと、その三
Guzzle Pittのこと、その一 https://note.com/kurokuro0725/n/nc83666df28ce
Guzzle Pittのこと、その二 https://note.com/kurokuro0725/n/n3e221a6e757c
2005年というジェットコースター
前回のnoteではCD「HOME」「君に届かないラヴソング」の制作とレコ発ライブの事まで書きましたが、この2005年という年はガズルにとっても自分自身にとっても大きな出来事が連発。忘れられない年になりました。
この年だけで1話分書けるくらい。というか、これから書くんだけど。
さてGuzzle Pitt結成5周年記念&CD発売記念ライブも終わり、これから頑張ってライブを重ねてCDを売っていこうとしたその時、ガズル結成以来の事件勃発。
pyongchanngと全く連絡が取れなくなってしまったのです。いわゆる心の病でその後3年くらい引っ込んでしまう事になります。そのためライブやレコーディングをさせてもらってたバーplan-bも閉店する事に。
レコ発ライブが6月19日に終わり、次のライブが7月10日のSound Summit、その次が7月25日の「ニュー☆ポニカスキップ」と決まってて、特に7月10日はもう目前。
この年のSound SummitはREOが仕事の関係で参加できないことからtrouble3という仲間のユニットと合同で「trouble pitt」として出演予定でした。演奏曲はGuzzle Pittの曲なのですが、ふだんやり慣れてない顔ぶれなので練習も必要です。でもpyongchangがいません。
結局直前で響子にパーカッションを代役でやってもらう事になったのですが、自分はこのイベントのオーガナイザーもしていたのでその心労と連夜のチケット営業でボロボロ。免疫力が低下してるところにストレスで遊びまくってたツケが回ってきてイベント後B型肝炎で入院することに。
Sound Summitは終了後もイベントロスが抜けない地元出演者達と1週間くらい毎夜打ち上げが続くんですが(笑)、イベントが終わって数日後、当時営んでいた某夜の店の店番をしているとおわっとうのテツから「今ぽんてくさん(とんちピクルス)と飲んでるから店終わったら来ませんか?」とメールが。その飲んでる所ががSound Summitの協賛店だったこともあり、ちょっと顔を出したのですがほとんど酒が進まず、2人から「大丈夫?めちゃ顔色悪いよ、帰ったほうが良いよ」と言われ帰宅。翌日猛烈な腹痛に襲われ病院に行ったら「このまま入院してもらいます。しばらく帰れませんよ」と言われそのまま入院。
そう、とんちさんとテツが「顔色悪い」と言ったのは黄疸だったのです。
RAINBOW MUSIC EXPO
そんなこんなで私が緊急入院したことで7月25日のライブ「ニュー☆ポニカスキップ」は出演をキャンセル。立ち上げからずっと関わってきたこのイベントをキャンセルするのは悔しかったなあ。
入院は1ヶ月くらいという事だったのですが、次に決まっているライブが8月20日に東京で開催される「RAINBOW MUSIC EXPO」。これは当時ゲイ・インディーズに関わっている人たちにとっては結果的に最後の打ち上げ花火になったといわれている2会場を使った一大イベントで、2000年代前半に花開いたこのムーブメントの総決算的なライブでした。
前年の東京ライブを成功させたご褒美なのか、九州からはGuzzle Pittと響子を呼んでいただきました。ありがたい話です。
ところが退院日が決まるまで出演がどうなるかわからないという事態になりオーガナイザーのカケジクとケンケンには大変気を揉ませて迷惑をかけました。なんとかイベントの数日前に退院でき、出演をキャンセルせずに済みましたが。
その時の映像がコチラ、冒頭にちょろっと入ってるお客さんのやり取りがpyongchangの事件を既に知っている模様。事情通ですね。(笑)
ただせっかく東京に行ったのにまだ肝炎が完治してなかったので打ち上げもアルコールは無し、もちろんチューも無し。(泣)
ただこのイベントに出演させてもらえたことで、その後長く音楽仲間になるたくさんの人たちと出会えたのはその後の大きな財産になりました。本当にこのイベントに呼んでいただいて感謝しています。
キャストは以下の通り。札幌、東京、大阪、福岡から集まりました。
momo(この時初対面)
All Kities(Vo.は既知、その他のメンバーは初対面)
Suzuki Rizin.(2002年の福岡のBadi主催のイベントで対バン済み)
sola(この時初対面)
Sweet Bite(FNVのスタッフ達のバンド、この年のSSに招聘済み)
響子(言わずと知れた音楽仲間)
屋良朝友(前回のnote参照)
Figure '71(この時初対面)
GOLDEN ROSE(前回のnote参照)
体育Cuts(この時初対面)
KURO@Guzzle Pitt
ab with HGM + THE LIP☆SERVICE(この時初対面)
NAOYUKI(この時初対面)
ヨロコビ(2003年のNorth Pointで知り合いSS2004に招聘済)
君は僕の友達
東京から帰ったらすぐに次のツアーの準備に取り掛かりました。ちなみにまだ肝炎は治ってません。抗体ができて完治するのは退院後3ヶ月をまたなければなりません。なのでこのツアーも、酒もチューも無しです。(泣)
次のライブは9月の頭から始まる西日本ツアー。
福岡→山口(台風で中止)→福山→大阪2ヶ所という全5会場のミニツアーで、福山まではきんちゃんを、そして全日程nao♪さんを引き連れての中年3人旅。
この時大阪2会場のライブに現在のパートナーが見に来てくれて、その後付き合う事になり現在まで18年続いています。
ほんとに2005年って自分にとって節目の年なんです。
さて、大阪から帰ってpyongchangのことをちょこっとmixiの日記に書いたらそれを読んだREOが歌詞を書いてきてくれました。持ち帰ってギターで曲をつけてたら1時間もかからずわーーーーっと一気に曲がついたのですが、それが「君は僕の友達」という曲です。その後Guzzle Pittの代表曲になりました。
この曲ができたのも2005年なんです。
DICEMBER MUSIC FESTA
12月、この年2度目となる東京遠征ライブが決まりました。DICEMBER MUSIC FESTAというイベントに呼ばれて夏のSound Summitに続いてtrouble3の大悟ちゃん(Vo.)と普工(B)と一緒にtrouble pitt再び。さらにパーカッションにはDr.HBまで巻き込んで。
ところがこのライブの前日にまたもや大事件が。
Guzzle Pittの初期のライブや打ち上げを盛り上げてくれて、ポニカスキップでネタをやってくれたり、前回のnoteに書いた初東京遠征ライブ「ポニカスキップ・お江戸へ行く」の時には女装で司会までしてくれた友人の栄一郎が32歳の若さで急死。
ライブが終わって、栄一郎と仲の良かったベースの普工と献杯しました。
本当に2005年はジェットコースターすぎました。
前回のnoteのレコーディングのエピソードからはじまり今回まで、2005年の話だけでほぼ1.5話使ってしまった。(汗)
願い
途中、ディープな話も多かったので最後は楽しい動画を紹介します。pyongchangが復帰してだいぶ経った2015年、新宿2丁目「がいずば」での生音ライブです。
trouble3のボーカル大悟ちゃんと、元気になったpyongchangと3人で当時の事を笑い話にしながら一緒に演奏した時のライブ映像です。(ギターサポートたむさん)客席にはtrouble3のベースの普工もいます。
あの2005年があって今がある、そんなほっこりできる映像かな?と。
MCも含めてアップロードしていますのでどうぞご覧になってください。
そんなわけで次回はKUROとREOのGuzzle Pitt2人時代の話を主に綴っていこうとおもいます。また一週間後くらいかな、気長に更新待っててくださいね。
つづく