書くことに対する「苦手意識」の正体は?今こそ苦手意識の檻を飛び出そう。
みなさんは「文章を書くこと」にどんなイメージを持っているでしょうか?
夏休みの読書感想文。
職場体験のお礼の手紙。
社会科見学のレポート。
など学生時代に「文章を書かされた」という苦い思い出がよみがえってくることも多いと思います。
noteを書いているあなたは、すでに書くことに対する苦手意識を克服したか、または今も苦手意識を抱えながら書いているのかもしれません。
あるいは初めから苦手意識はなく、書くことを満喫されているかもしれませんね。
もしそうだとしたら「書くことの苦手意識ってなんだろう?」と興味があれば、この先もお付き合いください😊
では、どうして僕たちは文章を書くことに苦手意識を持ってしまったのでしょうか?
文才や表現力が欠けていたからではありません。また、単純に文章の書き方を教えてもらっていなかったからでもありません。
苦手意識の根っこには、他人から評価されたという経験があるからです。
たとえば読書感想文を思い出してみてください。
原稿用紙が配られて「宿題は読書感想文。枚数は2枚。」とだけ告げられます。
そして、提出した読書感想文は赤ペンで誤字脱字や句読点の位置が修正され、最後に「もっと登場人物の気持ちを考えましょう」という先生のコメントが添えられて返却されます。
きっと、あなたはこう感じたはず。「自分なりに登場人物の気持ちを考えたはずなのに……」と。
そうやって根づいた書くことへの苦手意識は大人になっても拭いきれません。
むしろ時間が経てば経つほど苦手意識が強くなっているのかもしれませんね。
小学校よりも、もっと前。僕たちは真っ白な画用紙に思いのままに絵を描いていました。
赤いりんご。緑のりんご。青いりんご。大人が見たら「毒リンゴだよね」と思うようなカラフルなりんごだって、子どもにとってはりんご。
でも、大きくなるにつれて「普通はりんごは赤色じゃない?」「こんな形をしたりんごはないよ」と他人に評価されるようになると、子どもは萎縮してしまい絵を描くことをやめてしまいます。
これと同じようなことが、あなたが書くときにも起こっているんです。
他人との比較。他人との優劣。他人の視線を気にしたとき苦手意識は生まれます。
アメリカのホラー小説家スティーブン・キングの著書『書くことについて』に、こんな一文があります。
スティーブン・キングは「下手な文章」と言いましたが、僕は「他人の評価を気にして書いた文章」だと思っています。
文章は誰でも、何歳からでも書けるようになります。最低限の文法は身についているからです。あとは自分の感情や思いを素直に表現するだけ。
だから今こそ「書くことが苦手」という檻を飛び出して、自由に書く楽しみを味わってみませんか?
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