#19 常識と非常識を決めるのは自分のなかの正義感かもしれない【書く習慣1ヶ月チャレンジ】
書く習慣1ヶ月チャレンジの19日目のテーマは、
自分があまり賛成できない常識
この2日間、つぶやきでしかnoteを更新できなかったのは「常識」について、めちゃくちゃ悩んでいたんです。
常識は学校で教えられたわけではなく、子どものころから周囲の大人たちを見て、マネて自然と身についたもの。
あらためて「自分が賛成できない常識はなにか?」と考えたとき、なにも言葉が浮かんできませんでした。
常識は自分の中にある・・・けど、自分の外からの影響が大きい
「常識がなにか」ではなく「常識がどこからくるのか」について考えてみました。
そもそも「常識」っていうものは自分が属しているコミュニティ(国、会社、学校、家庭など)が基盤になっていることが多い。
そして、自分のなかの
価値観
倫理観(善悪の判断)
道徳観(思いやり)
正義感
が作りだしているものだと思います。
たとえば、電車のなかでは騒がないという常識。
なぜ、それを守っているかと聞かれれば、
と多くの人が答えるはずです。
その常識は小さいころから両親に言われつづけてきたこと(=コミュニティ)に加え、他人を尊重する日本人の国民性(=道徳観)が現れているんだと思います。
僕は「自分の正義感」に反したことが非常識に見えるのでは?
僕にとって常識か非常識を決めるのは、自分のなかの正義感が左右しているとわかりました。
だから、僕はエスカレーターの片側を歩く人がどうしても許せません。
「手すりを持って、立ち止まって、ご利用ください」とアナウンスまでしているのに。ズカズカと左側を歩いていく人たち。
阪急大阪梅田駅につながるエスカレーターどうにかなりません?
「早く行きたい人は隣の階段を使えばいいのに」っていつも思います。
僕が怒る理由は、お母さんと小さな女の子が横並びで乗っているところのすぐ脇を、強引に通りぬけようとした男性を見たからです。
舌打ちをし、暴言を吐き、スタスタと歩いていく男性。
小さな女の子は怯えて泣きそうな顔をしているし、お母さんはなんだか申し訳なさそうな顔をしていました。
まったく申し訳なくなんてないのに!
もし「今日は急いでいるんだけどな」と感じたときは、ぜひ階段を使ってみてください。
運動不足も解消できるし、みんなの笑顔も守ることができる。一石二鳥ですよね。
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